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#17 放課後登校と欠席連絡を皆で共有する意味

怒涛の4月。
教員の仕事は、年度末から年度始まりまで、ノンストップ。かく言う私も、走り続け、息切れた…

授業参観を無事に終えた。
忙しくなると、思考が全て「自分本位」になる。主語が「自分」。
相手の立場になって思考を巡らせることが難しくなる。余力がない、ってこと。

【長男・次男】
4月の始業式に登校する。3時間授業。
それ以降、次男は学校へは顔を出していない。
長男は「放課後登校」を続けている。

【放課後登校】
日中の子どもたちがいる時間には、登校が難しい。夕方、仕事を終えてから、長男と学校を訪ねる。家庭で取り組んだ課題を、担任の先生に提出したり、少し話したり。授業はない。だいたい17時半過ぎに登校して、15〜20分程度話して帰宅する。

【家庭から学校へ意識して伝えていること】
・家庭での本人の様子
 例:プリント学習を毎日欠かさず取り組めるようになっています。
   朝、布団から出られずに、朝食を摂ることもできませんでした。
ありのままの子どもたちの様子を、学校に毎朝連絡するようにしている。
 ーどうして?
・子どもの様子を学校側にも、知ってもらい、話をするときのスタートラインを揃えたいと願うから。毎日の様子を伝えることで、現在の様子(精神的なもの、学力的なもの)が一から説明しなくても共通認識できることがメリット。
・祖父母、別れた夫にも、欠席連絡の理由はスクショして、LINEで毎朝送付している。理由は、学校へ連絡することと同じ。どんなことを、家庭で子どもたちと過ごしている母である私が考えているかを、共有してもらうために、了承を得て毎朝連絡している。

【放課後の長男・次男】
今日は、仕事の振替休日だった。
午前中は、次男と学習・買い物・庭の片付け。調子が良さげな次男。
長男は午後から行く、と話すも、午前中はテレビ・YouTube三昧。声を掛けてもなかなか気分がのらない様子。結局のところ、午後から登校は叶わず。昼過ぎに、

 長男:涙。やっぱり学校行きたくない。怖い。

涙は、嘘泣き。毛布をかぶっている。
辛いのは本当だけれども、「大袈裟に表現することは、やめよう。」と冷静に長男に伝えた。大袈裟に表現しなくても、あなたの気持ちは伝わる、ことを理解してもらいたい。

15時過ぎ…長男・次男の友達がぽつりぽつり自宅へ遊びにくる。
ありがたいなあ。
ゲームをしているのだけれども、学校に行かないことを選択している二人にも友達関係が続いていることが、親としては嬉しい。
 ・外とのつながり
 ・他者との関わり
今は、自分の好きな相手とだけの関わり方かもしれないけれど、自分だけではない関わり方を通して、人を交わることを諦めないで欲しい、と願う。

【親の願い】
長男と次男に、「自分のことを受容できる」人間になって欲しい。
苦手なことがある。他人と違うことを選択している。苦労が多いかもしれない。人から理解されにくいかもしれない。
マジョリティではなく、マイノリティで生きることの大変さ。
きっとこれから、たくさん出てくると思う。
「世間の目」という、見えない同調圧力。
母である私は、社会のレールにのって、学校へ通い、進学し、就職し、結婚して、子育てをして、離婚して、今に至る。ずっと生きていた長い時間をマジョリティの側で過ごしてきた、と実感している。離婚を経て、マイノリティの壁に初めてぶち当たった気がする。それまでは、「大変」の言葉の意味をよくよくわかっていなかった。
もちろん、「大変さ」「辛さ」「困難」などに尺度も比較もない。
けれども、世間が考える普通から外れることが、こんなにも大変だとは!
(離婚、不登校が人生のトップクラスのような気がしている。)

いろいろなことがあるけれど、持ち前の明るさと忘れっぽさで、今日も、明日も乗り越えてやろう!!!!!

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