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《麻績番場節》~茶屋のヒロインお仙に憧れる村人の騒ぎ唄(長野県東筑摩郡麻績村)

善光寺街道と呼ばれた北国西脇往還(北国西街道)にはいくつか峠がありましたが、その1つ、猿ヶ馬場峠は大変な難所であり、その峠路には茶屋がありました。その1つ、清水の茶屋の美しい娘、お仙が歌い込まれている騒ぎ唄が《番場節》です。広く愛唱された民謡で、猿ヶ馬場峠の麻績村側と千曲市側の両方で歌われましたので、ここでは《麻績番場節》として取り上げたいと思います。


唄の背景

歌と合唱からなる素朴な旋律
この唄が歌われてきたのは、猿ヶ馬場峠の麓の麻績村市野川地区です。

市野川集落(東筑摩郡麻績村)

《番場節》の詞型は7775調の甚句系です。歌の前後には「番場はよいとこヨーイヨイ」の唄バヤシが付きます。また、笛と太鼓の伴奏によって歌われています。

〽︎(番場はよいとこ ヨーイヨイ)
 番場ナァー番場と 皆行きたがる(ヨーイヨイ)
 番場よいとこ 住みよいか
 (番場はよいとこ ヨーイヨイ)

また、唄の途中や最後に〔合唱〕として、次のような歌が入ります。

〽︎番場の峠にゃ  お仙が待ってる
 草刈りやめても 田の草置いても
 お仙に会わなきゃ 何にもできない
 ヨーホホイーノホーイホイ

この歌詞は88調が3連続いて、ヨーホホイーノホーイホイで終わります。〔合唱〕と呼ばれていますが、いわゆるコーラスではなく、音頭以外の複数人で歌われる長バヤシのような部分で、独唱部分とはまったく異なる節回しで歌われます。
この源流については不明です。「日本民謡大観」では、地固め唄の「リキヤ節」で、《デカンショ節》を取り入れたものかもしれないと記されています。「リキヤ節」は西日本の地固め唄の分布が多いので、東日本まで広まったかはよく分かりませんが、「ヨホホイ」というハヤシ詞を持つ「地固め唄」は東日本にもありますので、そうした作業唄が取り入れられたものかも知れません。

お仙伝説
猿ヶ馬場峠近くにあった「峠の茶屋」は「清水の茶屋」ともいい、ここに美しいお仙という娘がおり、評判であったそうです。麻績だけではなく、中原、桑原、八幡など広く、若い衆の憧れとなったのだそうです。このお仙には、次のような悲話が残されています。
ある日、善光寺の寺侍が峠を通りかかったとき、この茶屋でお仙を見染め、お仙もこの寺侍に心寄せました。そして、この寺侍は京での所用を済ませて戻ったら、お仙を迎えに来ることを約束して別れました。ところが、木曽路の山中で野武士により命を落としてしまったのだそうです。それを知らないお仙は、寺侍の帰りを待ちますが、いくら待っても戻ることがないために、ついには病となって、寺侍に恋焦がれたまま、息を引き取ったということです。また、池に身を投げたという話もあります。

お仙の茶屋はどこ?
市野川から猿ヶ馬場峠を越えた旧八幡村中原(現千曲市八幡)までの峠道には、次のような茶屋があったそうです。
市野川側には「弘法清水の茶屋」「峠の茶屋(清水の茶屋)」の2軒。中原側には、峠の頂上側から「松崎の茶屋」「火打石の茶屋」「五助の茶屋」「一里塚の茶屋」「のぞきの茶屋」の5軒があったそうです。
「清水の茶屋」は、現在の聖湖近くにあったといい、おわかさんが経営していたそうです。おわかさんには子供がなく、旅人で困っている人の子をもらって育てたといい、お仙もその一人であったのだそうです。
ところで、お仙は実在の人物なのでしょうか。信州大学の町田の解説によると、「お仙」は伝説移転の名であるとされています。おそらく、江戸・浅草の水茶屋で働いていたお仙(笠森お仙)など、「お仙」と「茶屋」のキーワードによる伝説は多いので、伝説移転について紹介されたものと思います。
一方、『番場節のおせん』の著者、島田の調査によると、お仙の親族もあり、市野川にはお仙の墓もあるので、実在の人物ではないかと言われています。実際に生きていた時代とすれば江戸末期ですので、実在していたのかもしれません。

〽︎峠ナァー恋しや 清水の茶屋の
 店にゃお仙が 待っている

こうした歌詞があることからすると、お仙の茶屋は聖湖近くの「峠の茶屋(清水の茶屋)」であったことになります。また、弘法大師が訪ねたという伝説の「弘法清水」近くに「弘法清水の茶屋」がありましたが、「峠の茶屋」のおわかさんの妹、おくめさんが経営していたそうです。

番場節のもとは馬場節
猿ヶ馬場峠は、武田信玄の家臣、馬場美濃守に命じて開発されたと言われています。また、この峠付近には猿が多く住んでいたといい、これらから「猿ヶ馬場峠」と称したようです。もともと「馬場峠」だったようで、「ばばとうげ」と呼んだものが、音の転訛で「ばんばとうげ」となったものと思われます。ちなみに、全国的にも「猿が馬場」「猿ヶ馬場山」といった地名や山の名はあります。
一方、聖高原の中心となっている聖湖は、昭和39年(1964)に造成されたもので、それ以前は「峯の池」「馬場池」「猿ケ淵」「猿ヶ馬場池」などと様々な呼称であったようです。「ばんばの池」とも呼ばれていたので、やはり「馬場」は「ばんば」と呼ばれていたようです。
昭和初期、〔ばんば節》は「馬場」を「番場」と改めたという話もありますので、この頃から《馬場節》を《番場節》と表記するようになったようです。古くからの「番場」という地名が見当たらないのは、こうした理由かもしれません。

番場節の流行
猿ヶ馬場峠の千曲市側の麓、旧八幡村中原にも《番場節》が伝わりました。中原の宮下元幸さんが麻績村市野川の久保田光太郎さんのもとに養蚕の手伝いに行ったときに、《番場節》を覚えてきたのだそうです。
一方、麻績では市野川の小学校教員、若林観月さんが麻績の節を歌いやすくアレンジして、広めました。このために、中原の節回しと市野川の節回しで若干の違いが生じました。こうして《麻績番場節》と《八幡番場節》の2つが存在することになりました。
麻績村では若林バージョンの節回しで観光宣伝に乗り出し、保存会も結成され、活動が広まります。歌詞も新しく募集され、聖高原の様子などを歌ったものが増えました。
民謡歌手の演唱では小杉真貴子、小沢千月、黒田和子といった歌手のものが知られます。


音楽的特徴

拍子
2拍子系

音組織/音域
民謡音階/1オクターブと5度

番場節の音域:1オクターブと5度

歌詞の構造 
詞型は甚句系の7775調です。歌の前後に、唄バヤシ番場はよいとこヨーイヨイが入ります。

〽︎(番場はよいとこ ヨーイヨイ)
 番場ナァー番場と 皆行きたがる
 (ヨーイヨイ)
 番場よいとこ 住みよいか
 (番場はよいとこ ヨーイヨイ)

何番か歌った後や、最後の歌の後に、次の〔合唱〕が複数名で歌われます。

〽︎番場の峠にゃ お仙が待ってる
 草刈りやめても 田の草置いても
 お仙に会わなきゃ 何にもできない
 ヨーホホイーノホーイホイ

演奏形態


締太鼓/大太鼓
唄バヤシ(合唱)
※放送や舞台では更に三味線を入れたバージョンもあります。

下記には《麻績番場節》の楽譜を掲載しました。

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