語り部マリオ

1948年生まれ。出版社で雑誌・書籍の編集者として勤務した後、フリーライターに。文芸書…

語り部マリオ

1948年生まれ。出版社で雑誌・書籍の編集者として勤務した後、フリーライターに。文芸書から哲学書まで、幅広い読書好きです。日本人の精神史、文化史を研究しながら、短歌と俳句を作っています。

マガジン

  • 戦後青春の軌跡

    太平洋戦争後、日本の社会は大きく変わりました。それにともなって、若者の思想も行動も時代によって変化してきました、昭和から平成へ、そして令和へ青春像の変遷をたどります。

  • 文芸の小径

    読書感想、創作短歌、評論など文芸に関したエッセイを提供します。文学に興味のある方はぜひ覗いてください。

最近の記事

藤沢周平を読む

〇「蟬しぐれ」   読後爽やかな作品であった。同じ時代小説でも、山本周五郎とは異なった端正な文体で、ストーリーの展開もみごとである。主人公牧文四郎の若き頃から中年に至るまでの、親しい仲間との交流、実らぬ恋、藩内の騒動、剣の立ち合いなどさまざまな要素を盛り込み、無駄や乱れなくまとまっている。全体として、静かだが叙情に満ちたエンターテイメントの時代小説として、完成された一級の傑作である。周五郎には人間心理を分析した粘りつくようなしつこさがあるが、藤沢周平にはそれがない。そこが魅力

    • 完読「大菩薩峠」全10巻

      中里介山の大長編『大菩薩峠』(筑摩書房刊の四六判愛蔵版で全10巻、1巻あたり平均540ページ)を、3ヵ月かけて読了した。原作は、第一巻「甲源一刀流の巻」から第四一巻「椰子林の巻」まで、1913(大正2)年から1941(昭和16)年まで28年かけて新聞連載と書き下ろしで発表されたものである。まずその息の長さに驚かされる。 執筆時期は次のように分かれるという。鹿野政直によれば、A群(1913年9月12日~15年7月23日、原作第一巻「甲源一刀流の巻」から第五巻「龍神の巻」まで)

      • 私の読書室へようこそ 「朝日新聞政治部」を読む

        東日本大震災のときの東電原発事故における「吉田調書」をスクープしたチームのデスクだったもと朝日新聞の記者が、吉田調書事件後の社内の混乱を告発した、注目の本。最近の朝日新聞の紙面には大いに疑問を持っていたので、その背景がよく分かった。 著者は書いている。 「私は木村社長が記者会見した2014年9月11日に朝日新聞は死んだと思っている」 「2014年の『吉田調書』事件後、社内統制は急速に厳しくなり、今や大多数の記者が国家権力を批判することも朝日新聞を批判することも尻込みしている

        • アナキスト 金子文子

          ①「常磐の木―金子文子と朴烈の愛」(キム・ビョラ)を読む  1923(大正12)年に起きた「朴烈事件」の当事者である朴烈と金子文子の、少年少女時代から逮捕・収監、文子の獄中自殺、朴烈の戦後出獄までを描いた、韓国人作家の小説である。    「作者のことば」として、巻末に著者はこう書いている。「アナキストであると同時にニヒリスト、テロリストでありながら詩人であり、一人の女を限りなく愛したが、結局喪わざるをえなかった男がいた。虐待された少女時代の心の傷のため、苦しみと絶望で身悶えし

        藤沢周平を読む

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        • 戦後青春の軌跡
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        記事

          私の読書室へようこそ 2

          1「約束された場所で」(村上春樹)を読む 地下鉄サリン事件の被害者及び遺族の証言を集めた「アンダーグラウンド」に続き、今度はオウム真理教の信者(元信者)の気持ちや主張を聞き書きしてまとめた本である。オウム真理教に入信した動機や内部での生活の実態が8人の信者(元信者)たちによって語られている。 著者は「あとがき」にこう記している。「彼らは、自分たちが人生のある時点で、現世を捨ててオウム真理教に精神的な理想郷を求めたという行為そのものについては、実質的に反省も後悔もしていない

          私の読書室へようこそ 2

          吉原遊女の一日

          皆さんは「吉原遊廓(よしはらゆうかく)」というのを知っていますか。時代劇や時代小説にときどき出てきますね。 「遊廓」とは、公に認められた遊女屋を集めて周囲を塀や堀などで囲った区画のことで、吉原遊廓は江戸時代に吉原(今の東京浅草付近)にありました。広さはおよそ2万700坪(東京ドームの約1.46倍)、そこに300軒ほどの遊女屋があり、最盛期には数千人の遊女がいました。 遊女には、花魁(おいらん)、新造(しんぞう)、禿(かむろ)の三つの階級がありました。 花魁は別名太夫(た

          吉原遊女の一日

          私の読書室へようこそ

          ○「金閣寺の燃やし方」(酒井順子)を読む。  1950(昭和25)年7月2日、当時21歳だった一人の修行僧(林養賢)の放火によって金閣寺が焼失した。この事件を題材にして、三島由紀夫が「金閣寺」を、水上勉が「金閣炎上」を書いた。本書は、二人がなぜこの作品を書いたのか、その背景を両者の生い立ちからたどって、内容を比較分析したものである。そこには対照的な二人の精神世界があった。 「理をもって、表から養賢へと近付いた、三島。情をもって、裏から養賢を理解しようとした、水上。その二人の

          私の読書室へようこそ

          創作短歌とエッセイ

          冬の日ははや沈みけり残光を背負いて黒き富士の山かな 北風に雲払われてそびえたる真白き富士の大き姿よ 私の住んでいる多摩川の土手から遠くに富士山が見えます。近くの山にさえぎられて上半分しか見えませんが、快晴の冬の日その富士山が全面真っ白に雪をかぶっていました。真っ青な空の中に、真白い富士山はとても美しかったです。 以前山中湖に行ったとき、すぐ近くで富士山の雄大な姿を見て圧倒されました。遠方の富士山を見て、その雄大さを思い出したのです。 老年に入りていのちの輝きは落日のご

          創作短歌とエッセイ

          小熊秀雄という詩人を知っていますか

          先日中野重治の本を読んでいたら、小熊秀雄について書いている文章に出会いました。興味を覚えたので、「小熊秀雄詩集」を購入して読んでみました。これが、なかなか良かったのです。 小熊秀雄は昭和前期のプロレタリア詩人の一人ですが、他の詩人とは違って、思想をストレートに訴えるのではなく、普遍的な人間性に迫る深さがあります。これは現代でも十分に通じるものです。 小熊秀雄は肺結核のため39才で若死にしました。詩のほかにも童話、小説、絵画、美術評論など幅広い才能を持っていました。芸術への

          小熊秀雄という詩人を知っていますか

          私の読書室へようこそ

          ○「『無』の思想」(森三樹三郎)を読む。  学生時代に読んだ本だが、改めて読みなおしてみた。あちこちに傍線が引いてあったが、その個所は今読んでも同じように共感できた。それだけ私にとって印象深い本、ということだろう。中国の老荘思想系譜を無為自然と有為自然に分類し、それがどのように変遷したかをわかりやすく解説している。   老荘思想が日本の禅宗、親鸞、本居宣長、芭蕉にも影響を与えているという指摘は新鮮であった。老荘の「無」の思想は、仏教哲学にもつながるものがあり、これらの東洋思想

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          1960年代の青春風景

          ○安保闘争と岸上大作  1952年4月、サンフランシスコ講和条約とともに日米安全保障条約が発効した。この時の条約は、アメリカが日本に軍隊を駐留させる権利を確保しながら、日本の安全に対する義務は負わない、という片務的な内容であった。1957年に首相となった岸信介は、これを双務的な条約に改定しようとアメリカと交渉を行った。  しかし、この安保改定をめぐっては国民の間に大きな反対運動が巻き起こった。国会周辺には連日のように10万~30万人のデモ隊が押しかけ、「安保反対」「岸を倒せ

          1960年代の青春風景