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【番外☕】キスのおもひで

【知られざるアーティストの記憶】第60話で彼とのキスのことを書いた日の夜、詩人のげん(高細玄一)さんの「詩)燃えるようなキス」が目に飛び込んだ。

字数の限られた「つぶやき」でご紹介させていただいたが、なんだか言い足りないので改めて記事を書く。重複ご容赦ください。
(だったら初めから記事を書けばよかったのだが、短いとわかっているから見てもらいやすい「つぶやき」は、記事とはまた別の交流が生まれることに気づき、最近気に入っている。)

げんさんの詩は、いつも私に気づきを与えてくれる。
「詩)燃えるようなキス」には、言語化するのが難しいキスというものに関して、「そうだよ、キスって、そういうものだよね」という共感と、「そうか、キスってそういうものだったのか」という気づきを伴う本質が、短い言葉の中にいくつも示されていた。私がこの詩の中で、キスの本質を突いていると感じたワードは、
 「お互いのコンプレックスを突き詰める」
 「眼の中の真ん中にある吐息を呑み込む」
 「体の芯をゆっくりと緩める」
など。

そして、
 「どれだけ待っていたか
  どれだけ切なく
  生きてきたか」
という思いに改めて気がつく。お互いに。そこに言葉はない。



【知られざるアーティストの記憶】の彼、ワダイクミとのキスは、たくさん重ねた。と言っても、とても短い期間のうち、様々な理由でキスができなかった期間も長くたくさんあったので、一生で考えるとごくわずかな回数だとも言える。

げんさんの詩を読んで感じたことを一言で言うと、「私もまた、子どもだったのだ」と。キスのしかたなどわかっていなかった。そしてもう一つ抱いた感想は、「キスは人を大人にする」というものだった。

つぶやきの最後に「体験も言葉も人を大人にする」と記した意味は、
「体験(=キス)も言葉(=例えばげんさんの詩)も人を大人にする」
と言いたかったのだ。字数に収めるためにはしょりすぎ😅

まるで子どものような初心者のマリも彼も、心の通うキスを重ねることで、心も関係性も育てていくことができたかもしれない。そして、言語化の難しい行為や関係性を優れて言語化してくれた言葉に出会うことで、そうだったのかと意味が与えられ、認識や目線が高められるのだ。体験と言葉は、相乗効果で人を成熟させるのだということを、この詩から教えられた。

げんさんが日々投稿されている力作の中で、「キス」の詩に過剰反応しているようでお恥ずかしいのだけれど、タイミングがばっちりだったことに加え、やはりどうやら私は恋愛絡みの体験から多く学びを得ようとする魂なのかもしれないと思う。(また魂とか言い出す人。)

というわけでぜひ、げんさんの詩の全文を読んでみてくださいね。

げん(高細玄一)さん


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