兄妹について
かつて、こんなイベントをしたなぁ
夫の母親は兄妹仲良かった。
誰かの愚痴や文句を聞いたことなかった。
義母は実家の隣に家を建てて、実の母親が100歳で亡くなるまで傍らにいた。
こんな環境の嫁ぎ先に、私は何も知らぬ花嫁?初々しさだけが売り物、飛び込んだねぇ
一体誰が義姉?従姉妹?魑魅魍魎の世界😨
夫と二人で家庭を築くイメージはなく、他人の集団の中に飛び込む私、いくら昭和50年のこととは言え、カルチャーショックに暫くは悲劇のヒロインのような気分もあったけど、本来ケセラセラの気質。
どうせ昼間はフルタイムで仕事してるんだから、家にいないんだから、良いか‼️なんて思い直すこともできた。
しかし、現実はそんな甘いもんじゃなかったけどね😆💦
結婚したての頃は夫も夜学に通ってたから新婚なのに帰ってくる時間は夜の10時過ぎ、
仕事から帰宅しても夫のいない夕餉の用意を義両親、義姉妹のために用意しなきゃいけない⁉️
まだまだこんな嫁ありきの時代だった、乳飲み子を抱えてあまりの辛さに一度は実家に逃げ帰ったけど、、
季節が田植え前だったのか?
もう直ぐ田植えで忙しゅうなるけん、はよう帰って来ない!と姑が迎えにきた時、負けた、こんな甘えたこと言うてても歯が立たん!と諦めた私。
それでも夫は一言、
お前がオレの家族をそんなに嫌がるなら二人でアパートに引っ越そう!と言ってくれた。
しかし、その後の言葉に、、、、、
ただし、二人の住まいにはオレの家族も出入り禁止やけどお前の家族も出禁たい。お互い様!
そりゃぁ困る!仕事に復帰するのに子どもが熱出したら預ける場が無くなるし、自分の首を締めるだけやん。
と家を出るのは改めて諦めたのよ。
まぁ修羅場はあったけど、その山を乗り越えたから今があると思ってる。
元々環境が同じでも気が合う方が珍しいよね💦
そして月日が過ぎ、、、、
「兄妹合わせて300歳記念。」
そう言う企画を思いついた私、
姑の兄弟妹が事あるごとに仲良く集ってる姿を目にして来た。
新聞記事で家族の年齢を合わせたら〇〇歳というのを目にした👀時、タイミング良かったのか?試しに親の年齢を加算したらジャスト300歳⁉️
後にも先にもこんな巡り合わせはない最高のプレゼントになったよ。
戦争を潜り抜けて逞しく生きて来たからこそ長生きできたからこそ、
こんなイベントができたんだよね。
もう17年前のことだけど、ひ孫達まで集まって50名を超す大宴会だったなぁ💦
仲良しの兄妹夫婦、
それぞれをリスペクトしてたから⁉️
100歳まで長生きした曾祖母は足が不自由だったから⁉️
だから若い頃から皆で助け合ってたから⁉️
わが姑は昨年95歳で亡くなった。
いつも来ていた90歳になる叔父が
「姉ちゃんおるなぁ」の声が
耳にいつまでも残ってる(涙)
しかし、こうして画像に取り込みnoteに残せば私の記憶は薄れるけど記録は残るからね👍
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