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アラフィフ独女の数少ない友達の話……その1

 以前(いまが私の人生のドン底だと思いたい……その1)記したように、私は100人と友達になったとしても1人しか友達が残らない。つまり、1%だ。でも知り合い以上友達未満の存在ならたくさんいるから、この表現は少し大げさだったかもしれない。

 私にとっての「友達」の定義は、自分を50%くらい出せて、受け入れてくれる人だ。そしてお互いになんだかんだ悩みを相談できるのも私の「友達」の定義の1つ。お酒を飲めば100%どころか150%くらい自分を出せるが、そうしたらそうしたで貴重な友達まで失うことになる。だから、貴重な友達の前ではそこまで酩酊しない(多分)。

 しかし、「何でも調査団」が行った人間関係の調査(有効回答数:3340人)によると、「40代の人の場合、友達と呼べる人の数が3人以下の人は、男性では54%、女性では41%」なんだそうだ。なんと、40代女性の約4割が友達3人以下……。それに比べたら私はまだ「友達」が多い方なのかもしれないなあ、と思ったりする。

 それもそのはず、趣味(酒やクラブ)や仕事柄、これまで会った人間は恐らくかなり一般の方より多い。「人生で何らかの接点を持つ人が30000人。学校、仕事などを通じて近い関係になるのが3000人。親しい会話ができる関係が300人。友だちと呼べる関係が30人。親友と呼べるのが3人。」とは割と有名な説だが、多分私はアラ50の時点で既に60000人くらい接点を持っていると思われる。いやもっとかな?  にも関わらず、現在「友達」が10人もいないのはちょっと笑える。

 内訳は、①HSS型HSP仲間の編集者、②大学時代の友人、③アル中仲間の女友達×2、④音楽つながりの女友達×3、といったところか。いや、時々ラインしたり飲んだりするレベルが「友達」というなら、数はぐんと増えるんだろうけど。この7人とは、たとえ数年会ってないとしても心から信頼しているし、私にとっては「友達」というより「親友」だ(あちらがどう思っているのかは謎だが)。

 具体的には、まず①の編集者。彼女はかつて勤めていた編プロの同僚だった。当時霊がつきまくっていた私を仕事終わりになかば強引に神社に連れて行き、神社の石の上に座らせた。(なんで石の上に座らされんだよ、酒飲みたいのに……)と心中は穏やかではなかったが、あれ。クラブよりも神社の方がなんか落ち着くかも……? と思えた。

 それから私はスピリチュアルに傾倒し、クラブ詣でよりも神社仏閣詣でに精を出すことになった。彼女はどん底だった私を見捨てず、更生へと導いた唯一の人間かもしれない。また、彼女は酒を飲めないのに、酒の場所によく付き合ってくれて話を聞いてくれた。霊媒師を紹介してくれたのも彼女だったりする(ちなみに霊まみれだった私は霊媒師の先生から特例でお守りの水晶をいただき、今もそれは大事に持っている)。

 彼女とは同業者ということもあり、仕事について話し合ったり、愚痴を言ったりと現在も良好な関係を築いている(はず)。実は私が手掛けている原稿のほとんどは、この①が紹介してくれたものだ。持つべきものは、信頼できる編集者の戦友兼親友だろう。あれ?私は①に何を恩返ししてるっけ……(汗)。

 次に②の大学時代の友人だ。大学卒業後、フリーライターになった私は100%大学の友人たちと切れた。理由は、出版社で働くこと、クラブ遊びがとにかく楽しかったし、大学時代の友人たちなんて刺激がないし付き合うのなんて時間の無駄だと思えたのだ(今思うとなんて傲慢だったのだろう)。

 暇な時に、「あれー、そういえば、みんな何してんだろ?」と連絡したいと思っても、当時の私は酔っぱらって何度も携帯を紛失していたから連絡先が分からないし、友人たちから電話がかかってくることもなかった。まあ、友人たちを「格下」に見ていたから、離れていかれたのも当然の報いだろう。

 が、Facebookという神的SNSが出現し、私は数十年ぶりに大学時代の友人たちを発見した。あんなに見下して(?)いた友人たちは、皆結構キラキラ働いている一方で、私はフリーライターという無職なのだった。(うわあ、自分ダセエ……)とか当時の自分を反省したが、時既にお寿司。そんな中、親交が再開したのが②だ。これまたたまたま同業者ということもあり、私たちは会わなかった時間を取り戻すかのようにいろいろと語り(主に仕事の愚痴)、今では一緒に旅行に行ったりしている。

 彼女も私を見捨てなかったわけだが、見捨てなさのベクトルが編集者の①とは違う。私がアホなことをすると更生させよう、ではなく、バカだアホだと「罵る」のだ(笑)。自分を否定する人間は苦手なはずが、②の言うことは正論なので(そうかー)とすんなり認められる。特にお酒については激しく怒られる(笑)。

 そして③のアル中友達×2だ。アル中はアル中に甘いという法則があると思う。2人共、とにかく私に甘い。「今日もお酒飲んで怪我しちゃったよー」と話すと、「大丈夫だよ、あばらなんてほっとけば治るから! 私もやったよ!」とお酒での怪我大会になるし、「今日は飲みすぎちゃったよー」と言うと、「大丈夫だよ! お酒は水だから!」と返される。彼女たちの存在にどんなに救われていることか。

 とは言え、2人共しっかり自立しているし、パートナーもいる。同じアル中でもそこは違うもんだな……。ただ、あちらが酔っぱらっていて私が素面の時に電話がかかってくると、話がやたら長くて同じ話を繰り返すのが少しだけネックではある。そんな時は私は部屋の掃除をしながら話している(時間の有効活用!)。いずれにせよ、同じアル中の仲間がいることは、お酒へのほんのわずかな罪悪感が消えるのでとても助かっている。ちなみに、2人共、道で、部屋の中で、よくすっ転んでいる。

 最後に、音楽つながりの④の3人。みんな良い年齢になって、オールで一緒にクラブに行くことはなくなったし、当時好きだった音楽からも結構みんな離れているけど、音楽という共通の趣味がなくなった今はそれぞれの自宅にたまに集まって美味しい料理を食べたり、お祭りに行ったりと違う方向で仲良くさせていただいている。ちなみにその中の1人には、下の毛を除毛してもらったこともある。裸の付き合いを通り越して、下の穴の形状まで知られている仲だ(照)。

あれ? 思っていたより、友達がいるかもしれない。
その2へ続く)

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