見出し画像

平凡社編「白川静読本」平凡社


日本のいや世界の漢字学者の頂点に立った碩学。それが「白川静」である。

白川先生の研究は漢字のテキスト中のテキストである許慎の「説文解字」や辞書の中の辞書である「康煕字典」を凌ぐ深遠さをもった「字訓」「字統」「字通」という辞典の完成をもって本場中国の漢字学者が到達できなかった領域にまで達した。

それはギリシャ世界の認識を一変させた(理性と合理性という常識をギリシャ世界⇒ディオ二ソス的(凶暴な熱情)を大いに含んだ世界)ニーチェの業績をこえるものだ。

白川先生は甲骨文字、金字の解読を厖大な漢文資料を基に研究を積み上げ、人知を超えた域に達した。学者たちが「・・という説もあり、・・という説もある」といった判断留保を行うことを断じ、「・・が事実だ」と断言した。

今でも漢字の学会において「白川静」を受け入れない風潮があるのは、「これを認めたら自分たちのやることがなくなる」あるいは「自分たちの怠慢を世間にさらすことになる」からなのだ。

本著は氏の偉大なる業績に圧倒された著名な学者、小説家、哲学者などが述べたコメントを編集したものである。ちなみにコメントを寄せているのは「立花隆、松岡正剛、吉本隆明、梅原猛、林望、池田晶子、内田樹、五木寛之、浅田次郎、日野原重明・・」錚々たる面々である。

白川先生は常に「東洋」と「国語」を胸に携えていた。日本という国が東洋という文化的土壌を持つことの意味を誰より見抜いていた。太平洋戦争を「自己破壊」と定義付けていた。もし先生が生きていたら現政権に大いに憤慨していただろう。

白川先生は途轍もない数の漢詩を覚え、中学校の新任教師時代から数々の武勇伝(歓迎会で突然難解な書をだしてきて「これを読め」と言われたが、「いいのですか?」と答えスラスラと読み下したという話など)を築き、立命館大学の教授時代には学生運動全盛期に教授たちがみんな恐れをなして研究室を離れていた時期にも一人二食分の弁当をもって研究室にこもり、黙々と漢字と対決していたという。

しかも学生に鉄パイプで殴られた次の日も研究室には灯がともり、全学集会において教授たちがつるし上げられるような空気にあっても「黙れ!俺の話を聞いてから答えろ!」というと学生達は静まり返ったという。それくらい威厳のある先生だった。

教師として、碩学としてこれほど群を抜いた人はまずいない。つい最近まで同じ時代を生きていたということが信じられないくらいだ。俺は白川先生の文章を母語で読めることに感謝したい。今からでも遅くない。先生の足跡を少しずつ辿っていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?