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シェイクスピアの『十二夜』における「男装」の意味(1)-男装する女性

 『十二夜』


 大学のゼミでシェイクスピアの『十二夜』をやっています。ヒロインのヴァイオラは男装して、オーシーノ公爵のもと、宦官として仕えます。その「男装」の意味を、思想的歴史的背景とともに、さらに、作品内から、解きほぐしましょう。
 今回は、『十二夜』には入らずに、「男装」思想的歴史的背景の部分を解説します。

男装する女性


 16世紀の終わりから17世紀初頭は、男装する女性に対して批判が噴出した時代でした。裁判記録でも、男装の女性が売春婦として告発された例が多くみられるそうです。戦争に行く夫と旅をともにするために男装したという例もあります。ヴァイオラと一緒ですね。女性が町を歩くとき、または、ヴァイオラのように、お兄さんを海で亡くして(と思ったが、実は生きていて最後に再会する)、エスコートしてくれる人がいないとき、わが身を守るため男装したのです。
 有名な例としては、アラベラ・スチュアート(1575-1615年)の話があります。彼女はジェームズ1世(治世1603-1625年)のいとこで、エリザベス1世の跡継ぎ候補にもなった人です。彼女の結婚は王位継承とも関わるので、王室は無関心ではいられませんでした。しかし彼女は秘かに、第2代サマセット公のウィリアム・シーモア(1587-1660年)と結婚してしまいました。その結果、シーモアはロンドン塔に、アラベラも監禁されてしまいます。アラベラは夫に会うために男装して家を抜け出したのです。
 男装というのは、女性が自由に動き回るために必要な手段だったことがわかります。

エリザベス1世


 エリザベス1世(治世1558-1603年)は、イングランド軍がスペインの無敵艦隊を迎え撃とうとした1588年、エセックス州のティルベリーで、「私の肉体はか弱い女だが、心は国王としての強さをもっている」という有名なスピーチを行います。映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」(2007年)で、エリザベス女王役のケイト・ブランシェットが、甲冑に身を包み、馬に跨り、男たちを鼓舞する姿は印象的でした。
 男装はエリザベス女王の例にみられるように、決して否定的にのみ認識されたわけではありません。両性具有のヘルマプロディートスまたはアンドロギュノスは理想でもありました。

ジェンダーと服


 しかし、エリザベス女王のような例外的女性はあくまでも例外であり、一般的には、女性の男装は批判の対象でした。宝塚の男役が賛美の対象となる現代日本社会とは違いますね。当時の社会において、男装する女性をよしとしないことには理由がありました。以前の記事(ジョン・ミルトンの『失楽園』におけるアダムとイヴの髪|M.ONO|note)にも書きましたが、ルネッサンス期またはそれ以前において、男女は、現在のように、生物学的に判然と分けられる「二つの性」として考えられていたわけではありません。男女は一つの連続体であり、天秤が男の側に傾くと男に、女の側に傾くと女になると思われていました。男性が男性であるためには、『失楽園』におけるアダムのように、「男らしい優雅さ」「知恵」「勇気」のような男性的美徳を備え、女性を凌駕し、女性を支配下におさめないといけなかったのです。ジェンダーとは、男と女の絶えざるパワー闘争だったのです。
 それゆえ、服はとても重要でした。生物学的肉体ではなく、服がジェンダーの表現だったからです。男にとって女の服を着ることは、ヒエラルキーのトップの存在から転がり落ちることでした。女が男の服を着ることは、逆に、従属的立場を離れ、主体性をもつことを意味しました。女の男装とは、ヒエラルキーをひっくり返すことだったので、危険だったのです。

女性の情欲


 女性の男装が含意するのは、支配・被支配の関係の逆転のみならず、女性が男性の性欲を所有することでもありました。性は、男が女を支配する道具として大変重要なものでした。男装する女性は、男性同様に、複数の異性と関係をもつ奔放さをもっていると解釈されたのです。以前の記事(シェイクスピアの『ハムレット』におけるオフィーリアの髪と「水」の形象|M.ONO|note)でも書きましたが、そもそも、前近代のヨーロッパ社会において、女性は情欲が激しい性だと思われていました。その女性が男装すると、さらに奔放になってしまうのです。
 さて、『十二夜』のヴァイオラは男装することによって、性の力によって、女性を支配下におこうとする家父長制に対抗したのでしょうか。次回に続きます。

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