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呼出の悲哀

呼出の技量が落ち呼出を取り上げることも減っている昨今。トップの次郎が御世辞にもうまいとは言えない呼び上げではやむを得ないだろう。木村庄之助もだが副立て呼出以上も空位が続きどうなるのか。


かつては高音で馳せた呼出も多数いた。古くは初太郎、玉吉、金五郎、小鉄、安治郎、平成初期までは寛吉、賢一、照夫、その後米吉、兼三、栄太呂といったところ。


その中で名が知られているのは小鉄、寛吉だろう。小鉄は栃若時代全盛期にその美声で好角家のみならず広く知られていた存在。昭和35年の定年制実施の際も美声を惜しまれ、特別枠として太郎と共に現役続行となった程。


定年制施行から2年で土俵を去ることになるのだが

ファンの要望から協会が乗り出し呼出組合の了解を得て特別出演が続いていた。「同じ釜の飯を食った中」という点で後進の頭打ちを我慢してきたのだが、特別出演もはじめ1年、ことしになっても土俵に上がり春場所も上がる気配。さすがの組合もがまんできなくなって初場所を最後におりてくれという段になった。定年制が出来てもこれでは何にもならないというのが意向だが、小鉄だけ特例で続けるのは理屈に合わない話である。

昭和38春号 読売大相撲


当時は行司や呼出などは相撲協会の完全な傘下ではなく、組合として独立していた。あくまで協会ではなく組合の意向が優先だった。人気の呼出でもそれ以上に後輩の昇進がつかえることには不満があったようで。

さらに

組合の態度が硬化してきた今では匙を投げた格好。協会内部でも「小鉄の出演もそろそろやめという声もあり、ファンには美声と言われるが呼出本来の声から言うと決して美声ではない」という声もある。 また組合を刺激したのは「小鉄を囲む会」という有識者の集まりで美声を残そうという声もあったが、これが小鉄自身の演出という噂がもっぱらのため

とある。評判では寛吉以上の高音でボーイソプラノに近い声だったという。名寄岩の映画で小鉄の呼び上げらしい声を聞いたが確かに高音とはいえ想像以上の美声ではなかった。本場所ではないためか。本来の声というものがどういう類なのかも気になるところ。


さらにふれ太鼓のコーナーには「力士の間に声におぼれて、ながくひっぱりすぎるので、土俵へ上がりにくい」という意見もある。確かに余韻を残すような呼び上げとも聞いた。「本来の声から言うと決して美声ではない」と合わせて今思えば贅沢な話だが、当時は当時で事情もあったのだろう。行司含めて単なる画一的ではなくそれぞれが一芸を持つ芸人といった時代。栃錦は木村玉之助が行司の際は気合が入ったと振り返っている。皆土俵という舞台で至芸を披露していたのだ。


小鉄のような呼出は出るのか。

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