今を生きるナマケモノ

社会の常識・こうあるべきという価値観に囚われて生きてきた人生を変えようと模索中のアラサ…

今を生きるナマケモノ

社会の常識・こうあるべきという価値観に囚われて生きてきた人生を変えようと模索中のアラサー。現在うつ病を患い休職中。今を大切に、小さな幸せ探しに挑戦中!

最近の記事

私もあなたも、それぞれが輝く女神

"私たち女性ひとりひとりが 輝きを持つμ’s(ミューズ)である" 愛知県名古屋市の市民ギャラリー矢田で 3/6〜3/10に開催されている写真展 『believe in μ’s』 新幹線に乗って1人で日帰り旅をするのは 果たして何年ぶりだろうか 3度目の休職が始まってから 気が付いたら半年ほどが経過 やっと動き出せるような気がしたのか はたまた”カメラを置く前の最後の写真展” という言葉に心を動かされたのか ある日、思い立ったように 名古屋に行ってみることを決意した

    • 苦しい心を救ったお守り〜魔法のような言葉〜

      「どうせ、うまくいく」 「絶対大丈夫」 辛い局面に立った時、お守りのように心の中で唱えている言葉。 その最中は確かに苦しいが、あとになって振り返ったら、より良い方向に進んでいることが多い。 むしろ想像していなかったくらいの素敵な未来に連れて行ってくれた時だってある。 日本では、古来より言霊(ことだま)と呼ばれる言い伝えがあると言われている。 不思議な力というものが本当にあるのかどうかはわからないが、頭の中に流れている言葉というものは、その後の自分の言動になにかしらの影

      • いのちが尽きるその日まで、私を大切に抱きしめる

        "心"と一緒に生きていく 自分では制御が難しいような不安や焦燥感に襲われることが多々ある。 昔からそんな感覚を感じることはあって、肉食動物に追われている草食動物だったり、競馬レースで騎手に鞭を打たれて走る競走馬ってこんな気持ちになったりするのかなぁなんて心を寄せてみたりもする。 まだまだ修行中の身ではあるも、かつてよりは自分の奥底で感じていることや考えていることが、少しずつ知覚できるようになってきた。 悲観的な状況にのみこまれた時の解決策は、近くに(信頼できる)話せる

        • どうしても楽になりたくて抗不安薬(ロラゼパム)を1回あたり1錠で処方されていたところをまとめて4錠のんでしまった こんなことは初めてだけど、少し気持ちは落ち着いたのかも、しれない [突然のことを察知して駆けつけてくれた家族に感謝🥲]

        私もあなたも、それぞれが輝く女神

          女性としての私、コンプレックスと向き合う

          女性であるが故に仕方ないことではあるが、長い間苦しみを味わってきた月経痛。 それが楽になるということで低用量ピルを服用して始めてから数年が経つ。 かつてはバファリンなどの鎮痛剤を飲まないと耐えられなかった痛みが、少なくとも薬は飲まなくていいくらいに緩和されているため、続けることにしている。 また、高齢での出産・妊娠に成功している女性で、かつてスポーツ選手であった方は、試合でのダメージを減らす目的で低用量ピルを服用していたことが、卵子の温存に繋がっていたとの話も聞いたことが

          女性としての私、コンプレックスと向き合う

          生きることの苦しさと希望(精神科での診察を経て)

          主治医との診察や会社での手続きのために、とりあえず2日前に実家から戻ってきた。 ふと襲ってくる"人間やめたい"と心が叫ぶ感覚…。 パニック発作とまではいかないまでも、胸が苦しいような動悸が起きそうな感じ。 -なにもできてない私が、なんで生きているのか分からない。 -実家の両親からのサポートはあるものの、いつまでも元気でいてくれる保証はないので、将来どうやって1人で生きていったらいいのか分からない。 それでも1年前は、リアルに自死することを想像して、情報収集をして道具を準

          生きることの苦しさと希望(精神科での診察を経て)

          "写心"撮影と私が"わたし"になっていくこと

          人生の流れが変える時に出会うカメラマン、大学卒業後、とある大企業の総合職社員として普通に働き、家と職場の往復をメインにしていた私にとっては、よく分からないような肩書きを持つ人物だった。 大学時代のアルバイトでお世話になった先輩を経由してFacebookから流れてくる数々の"写心"と呼ばれるものたち。 それらは、心の扉を優しくノックするように、胸を打つような美しさで、その世界観に次第に引き込まれるような感覚があった。 1.私と人柄写心家TSUGUとの出会い "写心"に心を

          "写心"撮影と私が"わたし"になっていくこと

          読書から知識のシャワーを浴びてみる

          最近もテレビを付けると物騒だったり悲しいニュースが多く、心がギュッと締め付けられるような感覚がある。 最初は気のせいかとも思ったが、どうやら気のせいではないようだ。 最近本を読む時は、Amazonのkindleデバイスを使うことが、かなり多くなった。 紙の本と違い、横になりながらでも片手で本を読める手軽さと、積読しても(物質的に)本が積まれることがないので、狭い家でもたくさん本を持てることがメリットだと感じている。 そして、ここに来てAmazonブラックフライデーに便乗

          読書から知識のシャワーを浴びてみる

          苦しみの世界からやさしい世界へ

          とにかく"なにもしない"ことに専念するようになって、やりたいこと、やったほうがいいと思うことが頭に浮かぶようになってきた。 動きたい気持ちはあるし、頭も動いた方がいいと思っている。 だけど、身体は動けない…。 悔しさや焦りの感情がチラチラと顔を出す。 これはもしかして甘えなのかとか、ホメオスタシス(恒常性)の仕業なのか?と思ったりもする。 とりあえず今は身体の声を優先して休むことにして、やりたいことなどは備忘としてメモすることにしよう。 そういうことで、心と身体のバラン

          苦しみの世界からやさしい世界へ

          “写真(しゃしん)”から”写深”へ

          私が一眼レフを手にしたのは、4年前の春。 1度目の休職中で行動意欲が出てきた頃、新しいことを始めたいと、思い切って踏み出したことがきっかけだった。 そもそも写真を撮ることは好きで、カメラ付きのゲームソフトからインスタントカメラ、ガラケーやスマホのカメラ機能を使って、身近な光景や旅先での写真をよく撮っていた。 一眼レフが手元に来てからは、カメラに関する本を色々と読み漁り、カメラ向けの講座やオンラインサロンに入ったりしながら、撮り方について実践的に学んでいった。 *心が動い

          “写真(しゃしん)”から”写深”へ

          やすらいで、ゆるむ

          普段は都心の1Rで一人暮らしをしているが、主治医からの勧めもあり、長めの帰省を頻繁に行うようにしている。 最初こそ久しぶりの慣れない実家に緊張していたが、もはや第二の自宅(別荘か⁉︎)といった具合に、私の心の中では落ち着きを見せるようになってきた。 地元を離れてから早14年…。 都心で暮らすことを決めた理由は、地元の雰囲気がなんとなく嫌だったはずなのに、今や逆にくつろぎを感じる。 "隣の芝生は青い"っていうのはこういうことなのかもしれないなぁ、なんで思ったりもする。

          やすらいで、ゆるむ

          写真を通して夢を描く

          ある時ふと思い立って、ビジョンボードなるものを作ってみたいと思った。 *ビジョンボードとは、叶えたい夢や希望・目標などに関する画像や写真などを1つにまとめたコラージュのこと。 可視化することで行動を起こすきっかけにもなり、何度も繰り返し回数を重ねて見ることで、脳内に意識付けをしながら、実現に向けたアシストをしてくれるとも言われている。 canvaで作成するのが便利なような気がしながらも、作り方がよく分からなかったので、私はビジョンボード用のアプリを利用してみることにした。

          写真を通して夢を描く

          "話す"こと、"放つ"こと

          普段は自宅のベッドに引きこもっている私。 ここ1週間前くらいまともに外出することも出来なかったが、2日前ごろからやっと家の近所を歩けるようになっていた。 久しぶりにバスに乗ること40分、とある大学の心理臨床センターへ…。 2週間ごとに通っているカウンセリングの日だ。 本当は前日から腹痛が続いており、睡眠時間が3時間を切っていたこともあって、お昼過ぎまではどうしようもない眠気に襲われ、会社の上司への(業務上の)連絡もできず、ただうずくまるばかりだった。 バスのダイヤの都合

          "話す"こと、"放つ"こと

          写真を”撮られること”への挑戦

          私にとって写真を撮られるとは…人生における新しい経験値を増やすこと 当たり前だと感じていた日常に、新たな解釈を加えて捉え方を新鮮なものに変えること 自然な笑顔・飾らない表情でいる自分を通して、生きる勇気をもらうこと 組織や社会に埋もれる私ではなく、自分が人生の主役である物語を刻んでいることを再認識すること 芸能人やインフルエンサー、社長や個人事業主でもなんでもない普通のサラリーマンである私が、自分のためだけの撮影を初めて経験したのは2019年の夏。 昔お世話になって

          写真を”撮られること”への挑戦