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序007.「鉄道王国日本」の出発駅――初代横浜駅

≪2.生糸貿易と鉄道の開通001
生糸貿易が盛んになると、首都の東京と生糸貿易の中心地横浜港を効率的に結ぶ交通手段が必要になってきます。政府は、当初港を開いて外国船がやってくると、侵略される危険性が大きくなると考え、外国船が入港できる地を、幹線である東海道から離れ、江戸(東京)へのアクセスが便利にならないように、神奈川と称して辺鄙な横浜の砂地を整備して港を開きました。しかし、港を開いてみると生糸貿易が沸騰し、富国強兵、殖産興業のための資金獲得になくてはならない手段となっていることに気づきます。
こうしてアクセスの悪さを解消するため、新橋-横浜間に鉄道を敷設しました。1872年のことでした。ほんらい、国を発展させるためにはまず、日本全体の鉄道路線を考慮すべきでしたが、とりあえずは、開港した横浜に外国人が殺到し生糸、お茶などの取引が活発になってくると、まずはこのための対応が求められてきます。
新橋-横浜間に鉄道が開通したときの初代横浜駅は、位置的には桜木町駅がそれにあたりますが、現在の桜木町駅は、何度かの大きな改装を経ていますので、歴史的な要素はほとんどありません。しかし、桜木町駅はかつての横浜駅の位置にあることから、さまざまな記念碑や資料が展示されています。

最初に横浜駅ができた位置に埋め込まれている「鉄道発祥の地 原標識」(桜木町駅新南改札口)

横浜の発展は、鉄道が設置されたことから始まります。生糸貿易を支えた横浜の洋館をご紹介するにあたって、まずは、生糸貿易を支えた幹線でもあり、日本の近代化の起爆剤ともなった鉄道の敷設・開通のスタートラインとなった横浜駅の資料を見るところから始めたいと思います。構内には開通時にイギリスから輸入された蒸気機関車のレプリカと、鉄道の歴史を学ぶいくつかの資料が展示されています。
交通手段としての鉄道は、日本では国内の各地域を縦横に結び、また私鉄・地下鉄を含めて、都市内の交通網としてもメイン的に使われる、なくてはならない存在となっており、世界屈指の充実ぶりです。「鉄道王国日本」といっても過言ではないと思います。
 横浜駅が開通したのは、明治5(1872)年9月12日ですが、鉄道記念日は10月14日になっています。この日のずれは旧暦と新暦の差です。江戸時代の暦は、月の満ち干で日にちを数える天保暦でした。それを世界標準の太陽暦(グレゴリオ暦)の新暦に切り替えたのが、明治5年12月3日で、この日を明治6年1月1日としました。
 
 

神奈川から横浜(現桜木町)まで敷設された線路。手前裏が新橋で土手道の先が横浜(桜木町)。海の中に堰堤を築いて線路を敷設した。中央で線路をまたいでいるのが東海道で左方向が東京、右方向が大阪。橋は青木橋。横浜駅までの最後の区間は内海に土手を築いて線路を敷いた。

この鉄道のレールの敷設工事は、桜木町までの最後の2km弱が海だったので、イギリス人技師、エドモンド・モレルと組んだ高島嘉右衛門が、海の中に突貫工事で堰堤を設けて線路を敷きました。のちに高島易断を創設したあの高島嘉右衛門です。
 いま、みなとみらい線に「新高島」、横浜市営地下鉄に「高島町」の駅名がありますが、これは堰堤をつくった高島嘉右衛門にちなんで、開拓した堰堤の土地を高島町と名付けた名残りです。

 一方の新橋駅も何度かの移動・改修を経て、いまは残されてはいませんが、当時駅のあった汐留には旧新橋停車場鉄道歴史展示室(http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/)が作られ、一部が再現され、展示されています。お時間のある方は、訪ねてみるのもいいでしょう。
 
鉄道が開通した9月12日は、旧暦(天保暦)での暦でしたが、旧暦の9月12日を新暦で計算してみると10月14日にあたるということで、この日が鉄道記念日とされたわけです。
この鉄道開通の記念碑が桜木町駅の南口に建てられています。もともと駅があった位置には原票が残されていて、すぐ横に、駅長室があった場所が表示されています。この記念碑には、最初の時刻表も記載されていて大変興味深いのでぜひご覧いただきたいと思います。横浜探訪のはじめに、桜木町駅で下車したら、ぜひ、新南口改札を出て鉄道開通記念碑、第一号蒸気機関車を、さらに中央南改札前のコンコースで、鉄道の歴史展示を見ていただくといいでしょう。

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