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2-11. 50年後もIBMがコンピュータを作っていたら、IBMは潰れているでしょう。

  日本アイ・ビー・エム会長 椎名武雄

 前回ご紹介した大島の言葉「2-10.本業大事ではいつまでも本業大事の発想では新しい事業の創造などできない」を、さらに具体的に語ったのが、日本IBMの育ての親とも言うべき椎名武雄である。

 IBMの本業はコンピュータであった。International Business Machineという社名から考えても、ビジネス用にIBM360パソコンンも全盛という時代背景から考えても、当時はコンピュータのないIBMは考えられなかった。しかし、椎名はそのIBMが50年後もコンピュータを生産しているようではダメだと言っているのである。

 アメリカIBMの元会長トーマス・ワトソン・ジュニアは、企業の生き残りには3つの条件が必要だとして、

 (1) 社の内外に関係なく誰もが「あの会社はいいことを言うなあ」と思うような信条を持つこと
 (2) どんな事態が発生してもその信条を守ること
 (3) 信条以外のものはいつでも「変えていく勇気」を持つこと

アメリカIBM トーマス・ワトソン・ジュニア

をあげている。
 これらの中でも最も難しいのが(3)の変えてゆく勇気である。椎名はそれを、本業さえ捨てることもあり得るという言葉で示している。
 かつては変わらないことに企業としての信頼性があったが、現在のように変化が激しい時代には、本業でさえ変える柔軟性のほうに企業の信頼性が集まる。
 ワトソンが言うように、「信条以外は変える」勇気が信頼性に通じるのである。

IBMは世界で初めてパーソナル・コンピュータを開発、販売した会社である。そのIBMがその後、全盛のパソコンをレノボに譲り、コンピュータから離れた。
いまは、ビジネス向けのクラウドから、AI、セキュリティー、ストレージなどの広範囲なソリューション事業、ソフト分野で確固たる地位を確立し、量子コンピュータの開発でも先端を走り、旺盛な開発力で存在感を示している。
その代わり身の速さ、ダイナミックさは日本の企業にはないスケールだ。


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