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法隆寺棟梁の西岡常一に伝わる口伝

                               法隆寺
法隆寺棟梁の西岡常一に伝わる「口伝」です。
このページをご覧いただいてきた読者の方々にはその意はご理解いただけると思います。注釈を入れずに読んでいただきましょう。
一、神仏をあがめずして社頭伽藍を口にすべからず
一、仏法を知らずして堂塔伽藍を論ずべからず
一、天神地祇を拝さずして宮を口にすべからず
一、法隆寺大工は太子の本流たる誇りを持て
一、伽藍造営には四神相応の地を選べ
一、堂塔の建立には木を買わず山を買え
  一つの山の木で、一つの堂、塔を作るべしという。吉野の木、木曽の木 
  とあちこちまぜて使ってはならない。その木組みについては、
一、木は生長の方位のまま使え、東西南北はその方位のままに
一、堂塔の木組みは、木の癖組み
  木は生える場所によって、それぞれの癖を持つ。それを見抜き、生かし
  て組め、建物の寸法の都合に合わせて組んだりするな、ということ。
一、木の癖組みは工人たちの心組み
一、工人たちの心組みは匠長が工人らへの思いやり
  棟梁は多くの職人と仕事をする。心を知るにはその人たちの生活や苦労
  も理解できねばならぬ。苦労を知るためには「人の碑を攻める前に自分
  の不徳に思いをいたせ」。
一、百工あらば百念あり、一つに統ぶるは、匠長の器量なり、これを正と云
  う
一、百論一つに止まるを正というなり
一、百論一つに止める器量なきは謹み惧れ匠長の座を去れ
一、諸諸の技法は、一日にして成らず。祖神達の徳恵なり。祖神忘れるべか 
  らず

よく読んでみればどれも、自然のありようから学び、取り入れた発想・やり方のようで、その教えをそのまま工法に生かせば飛鳥の工人たちの建造物が出来上がります。
生産性、効率、経済性とかいう発想を持たない飛鳥人たちの創作物が、耐久性やデザイン性などの面で、現代の技術論では及びつかない機能を有していることを考えると、現代科学が学ぶべきものも多いかもしれません。
西岡常一棟梁は、そうした飛鳥人が自然から受けた精神性のようなものを感じ取った稀有な工人だったといえるのではないかと思います。


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