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横須賀製鉄所――150年を超える現役ドックの宝庫

(1)知られざる横須賀
 
■明治日本の産業革命遺産
1854年、4ハイの蒸気船の来襲によって幕府が知ったのは、我が国の脆弱な防衛力だった。
そこで、フランスの指導の下、造船所を作り、機械加工技術の育成と軍艦の建造をめざした。その出発点となったのが横須賀製鉄所だった。
 
起工150周年のドックが残る横須賀を中心に、戦艦三笠、浦賀ドック、日本初の洋式灯台・観音崎、横浜製鉄所跡を訪ねてみよう。
2015年7月5日ユネスコの世界遺産委員会は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」を世界文化遺産に登録することを決定した。
 
この遺産には長崎造船所や八幡製鉄所、韮山反射炉、釜石の高炉跡など、申請した23施設すべてが構成資産として認められたが、実は、このほかにも申請の中に入っていない、重要な資産・遺跡がある。それが、ここに紹介する横須賀製鉄所だ。
 
本来ならば、官営の造船施設であること、明治3年に作られた我が国初の石づくりドライドックが残されていること、さらに、ここで育った造船技術者が後に全国でドックや戦艦づくりに携わって造船王国日本を生み出す原動力になったこと・・・などから、ここが真っ先に候補地に選らばれるべき施設なのだ。
 
なによりも、地震大国日本で、1871年の建設以来140年を経過して、なお現役で使われているドックの質の高さは、産業遺産として文句のない重要文化財級の価値をもつ。
 
なぜ、登録資産に横須賀が入っていないのか、理由は、米軍の基地内にあって保存も自由にならないためだ。致し方ないが、非常に残念である。
ここでは、こうした貴重な知られざる横須賀製鉄所とその関連遺産を見てみよう。

横須賀の港は、かつて鎮守府が置かれ、最大の海軍工廠があった。

■駅から1分――非日常の観光名所
横須賀の町を訪れる場合の下車駅は、JR横須賀駅、京浜急行「汐入」駅、「横須賀中央」駅の3つ。車なら、国道16号を下るか、横横道路の横須賀インターを降りるかになる。
 
電車なら、東京から横須賀線で約1時間15分、JR横須賀駅で降りて改札口を左に出る。50メートルも歩けばヴェルニー公園である。目の前は横須賀港だ。
 
向かいの右手は米海軍基地の埠頭だが、修理中の潜水艦などが係留されている。
遠くには米海軍のイージス艦など軍艦も見える。
左手は海上自衛隊横須賀地方総監部の埠頭だ。
大型の軍艦を目の前にした眺めは壮大、横須賀港は、日本の海上自衛隊と米海軍の戦艦が間近に見られる非日常空間なのだ。
 
青い海と小高い緑の丘に囲まれた港、それがかつて軍港として栄えた横須賀港である。
 
駅から1分で行かれる、こんな便利で見ごたえのある観光地を見逃すわけにはいかない。一度足を運んで自分の目で貴重な過去の遺産と横須賀港のいまを味わってほしいところである。
 
なかには、軍港が産業遺産?あるいは、ものづくり強国の遺産?と疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれない。
 
横須賀と聞いてなにを思うかと問えば、軍港、米軍基地、原子力空母、どぶ板通り、最近では海軍カレー・・・などの答えが返ってくるかもしれない。
こうした横須賀の持つ、いわば戦争につながる負のイメージは、多くの日本人に共通していると思う。
 
しかし、実は、横須賀港イコール軍港というだけではなく、日本が造船大国、ものづくり強国へと変貌していく過程で、その出発点になる貴重な産業遺産をもった町でもあるのだ。
 
横須賀軍港の歴史をたどってみると、知られざる横須賀の姿が浮き上がって来る。

横須賀港全景。左にヴェルニー公園が広がり、右は米軍基地。左先の自衛隊基地にオレンジ色の南極観測船「しらせ」が寄港中だ。右奥の小高い丘の間に水路が見えるが、その奥が長浦港。

■一度は見たい横須賀のものづくり遺産
JR横須賀駅からヴェルニー公園を、ほんの2,3分進み対岸をみると、「3DRY DOCK2」と書かれた2階建ての建物が見える(トップ下写真)。
 
左に3号ドック、右に2号ドックを控えた、ポンプ小屋である。
小屋の左右の海面すれすれに黒い壁があり、「A」と書かれた文字が見える。これがドライドックのゲート(船渠)で、このゲートを開けて海水を入れて船を引き込み、海水を抜いて船体を修理する。
これが、明治初めにつくられた日本最古の石造りドライドック2,3号のゲートだ。
140年の歴史を経てなお、どれも現役で稼働中だ。
 
この横須賀港、何げない風景の中に、100年を超える産業遺産がたくさん隠れているのだ。
横須賀には以下のような貴重な産業遺産がたくさんある。
・横須賀製鉄所で使われたオランダ製スチームハンマー(ヴェルニー記念館)
・フランスの軍港ツーロンをモデルにつくられた横須賀港・長浦港
・日本における造船技術の原点となる3つのドライドック
・日露戦争の旗艦となった戦艦「三笠」(記念艦「三笠」)
・1869年に点灯した日本初の洋式灯台(観音崎灯台)
・1848年につくられた和式の灯台(浦賀燈明堂)
・290年間続く渡し船(浦賀渡船)
・・・などなど。
 
これはどれも造船王国日本を生み、現在の日本の高度なものづくりを構築した出発点になるものなのだが、それだけではない。
 
フランスの指導で運営された横須賀製鉄所では、明治初年の時点で、定時労働、週休制、年金制度、職場内職業訓練校・・・などが導入されており、近代的なマネジメントを確立するための先駆的な役割も果たしているのである。

日本で初めての洋式灯台観音崎灯台。横須賀製鉄所のフロランらの設計。
1,750燭光の明るさで、光到達距離31.5kmと圧倒的な光力で東京湾入り口の航路を照らした
(「日仏文化交流写真集・第1集」駿河台出版社刊)。


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