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2-10.本業大事では創造などできぬ。

  元小野田セメント会長 大島健司

 たいていの会社はすでに本業を持っており、社員にも本業に関連する担当業務、専門分野がある。
 一度獲得したそうしたものを手放したくないというのも人情である。改革と言いながら、どうしても昔のイメージを拭い切れないのはそのためである。

 しかし、大島健司は、創造には本業大事がネックになると言う。
 小野田セメント(現・秩父小野田)は創業以来、百年近くセメント一筋でやってきた会社である。その小野田セメントが、関連製品営業部を作って多角化に取り組み始めたのは昭和47(1972)年のことであった。
 取り組んだと言っても、具体的には何のプログラムも用意されてはいなかった。担当者任せの放りっぱなしであった。常務として担当に配属された大島は、本業から外れたということで社内でも「左遷では」と勘ぐられる始末であったという。

 そんな中で大島は、石灰石の輸出を手がけた。オーストラリアから鉄鉱石やボーキサイトを積んでくる船の帰りに石灰石を積み込んで、同国の鉄鉱会社に売り込んだのである。
 ところが、これに対して社内から猛反対の声があがった。セメントの大事な原料である石灰石を売り飛ばすとは何事か、と言うのである。しかし大島は強行した。

 本業製品であるセメント原料の輸出がけしからんと言っても、原料を大量に抱え込んだまま会社が左前になったらどうするのか。

「いつまでも本業大事の発想では新しい事業の創造などできない」

と言うのである。
多くの社員から白い目で見られながら始めた石灰石の事業は、同社にとって経営を支える大きな収益源になった。

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