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人生の終わりに

人はいつか死ぬ
それがいつ来るかはわからない
でも、どう終わりたいか、話をすることはない

どう終わりたいかは、どう生きたいか
につながると思っている
だから、私は、精一杯、謳歌しようと努力する

なぜ、こんなこと思ったのか。
親が衰えてくるのを目の当たりにすると同時に、
ものへの執着など削ぎ落としていく、彼女を見ているからかもしれない。
最小限必要なものだけを手元に。
憧れもあり、なんともスッキリしていて清々しい。

祖母も父ももういないが、どんな思いで、最後を迎えたのだろうとふと思う。
今、義父母が80歳を超えて、見守りも必要になってきた。
どう生きたいのだろうか。残りの人生何をしたいのだろうか。希望を聞きたいとも思うが、現状を認めたくない思いや、人の手を借りたくない思いもあって、面と向かって話せてはいない。
でも、サポートする側は、正直なところを聞きたいと思う。

私の母も、父が亡くなってから、身辺整理をやり出した。まだ未練もある私は、なかなかできずにいるが。
でも、その先に何か新しいものが見える気がしている。

人生の終わりに、笑顔で「ありがとう。幸せでした。」と言えるように、自分が感じたこと、描く世界を語っていこうと思う。
子どもたちにも伝わるように。

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