見出し画像

長嶋 有『猛スピードで母は』を読んで

麦チョコのようにやさしい文体で、
はじけたポン菓子のような現実をコーティング

 小説『サイドカーに犬』は、小学4年の夏に母が家出したときの話。父の愛人が来て、エサのように与えられたのが「麦チョコ」。
 麦チョコは密閉した麦を加熱して圧力を高め、急に蓋を開くことで麦を膨張させ、それにチョコレートをコーティングして作られる。いつまでも甘さが残ることなく、続けて食べても食べ飽きない。私も近くのコンビニで買ってみた。懐かしい。
 この味は、この小説の文章の味わいに似ている。子どもの心理を描くことばが、やわらかで、キラキラしている。語り手「薫」は「私は何かをねだるのが苦手だった。菓子売場で欲しい物はないかと尋ねられたのは多分、初めてだった」。「やっとのことで、麦チョコを、と言った」(17頁)この感情描写、これは麦チョコ的文体のように思う。
 母とはルールの違う洋子さんによって、規律も禁止もなくなり、父の現実逃避、子どもの好き勝手と不安が始まる。が、母が戻り、父が犯罪者として捕まる。
 10数年たって、あの夏を思い出し「そろそろなんじゃないか」と思う、と、現在が書かれて終わる。サイドカーに乗っていた犬、つまり「飼われていた」自分から降りるときだ。父と仲間の家では、自分を放棄していたと気が付く、その物語でもある。
 小説『猛スピードで母は』で、小6男子の慎(まこと)にとって母は直接的な利害のある相手だから、童話を読んで貰っても、内容より母親の感情を読み取ろうとする。「自分で自分をどう思うか分からない」。自分より母親だ。そのストレスに、子どもは幻想を広げて回避を図る。水族館のトドは救いだ。室蘭水族館は道内最古の水族館で、トドのサクラも実在したらしい。
市役所に勤める母の仕事は福祉支援金貸付の取り立て。その前の保育園はすぐにやめてしまった。「子供って全部あんたみたいなのかと思った。そしたら違ってた」と。(109頁)慎はその意味を、自分は「与しやすい」のかと思う。小6は大人だ。
 息子は「母がサッカーゴールの前で両手を広げて立っている」姿を想像する。PKの瞬間のゴールキーパー。息子に偶然や不運な事故があっても、「けっして悔やむまいと初めから決めている」(112頁)その姿を思う。
 シングルマザーに育てられている子は、いつか自分は置き去りにされると怖れている。母は、いつか子を失うかもしれぬと覚悟している。母子家庭の過酷な現実だ。はじけたポン菓子のような現実は子どもの眼で描写され、コーティングされ、甘く受け取られる苦い小説となっている。

2001年に「サイドカーに犬」で第92回文學界新人賞を受賞しデビュー。02年に「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞(1972年初出:雑誌「文学界」2001年 11 月号、単行本:2002年 2月/文藝春秋社、2005.2.10/文春文庫「サイドカーに犬」「猛スピードで母は」2作品所収)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?