夏目漱石の「草枕」

友人のnoteの記事を見て、「草枕」をぱらぱらと読み直した。
面白い箇所があったので、備忘録的に書き起こしておきたい。

世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋まっている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんなやつの面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのを以て、さも名誉の如く心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人生だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出ていうなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったという。うるさいといえばなおなおいう。よせといえば益いう。分かったといっても、屁をいくつ、ひった、ひったという。そうしてそれが処世の方針だという。方針は人々勝手である。ただひったひったと言わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬというなら、こっちも屁をひるのを以て、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。

ここから分かることは、
・屁の勘定をするやつは屁の勘定をし続ける
・屁の勘定をするやつは礼儀がない
・屁の勘定をするやつにむけては屁をひるしかない
・そしたら日本も運の尽きである

困ったことに、屁の勘定にとどまらず、法に触れず、気付かれなければ直接的な害を与えてくる人間さえ今の世の中にはいる。
こっちも堂々と屁をこくどころか、それに対しては直接、卑しいと言葉にする必要がある。

日本は運の尽きかもしれないが、仕方がない。

一つ救いになるのは、漱石のような人が、こういう文章を残してくれている、ということだ。
ああ、今も昔も日本は変わらないんだな、と思う。
ということは、日本の運も尽きやしないだろう。

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