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地方新卒OL TOKYOPINKオーディションを受けて最終審査で落ちた話


熊本から日帰りで東京までオーディションを受けに行ったあの時間、三次審査に参加するか死ぬほど葛藤したあの気持ち、一生覚えておきたいなと思ったので書きました。



応援してくれた友だち、掲示板やYouTubeのコメント欄で私の名前を上げてくれた人たち、
私の目に届いていないところでも、
いるかわからないけど、一瞬でもあのオーディション動画を見て私のことを良いな、受かってるといいなって思ってくれた人たち、
本当に本当に本当にありがとうございます。


9月の最初の頃、1次審査の合格メールが届いたあの瞬間からまだ2ヶ月しか経ってないなんて信じられない。

それくらいこの2ヶ月、これまでの22年間の人生でこれ以上ないくらい夢を見て、いろんな気持ちを味わいました。

落ちちゃった一般人、しかも特にこの子受かってるんじゃない!?ってみんなが注目してる訳でもないやつがタラタラ書いたお気持ち表明文なんか興味ない人がほとんどかもしれないけど、
少しでも、あの動画の中のひとりは、こんな気持ちであの場にいたんだって、こんな背景があったんだって思ってくれたら嬉しいです!



人生で初めてアイドルのオーディションを受けました。


大森靖子の音楽にすがるようになったのは20歳くらいの頃でした。同じくらいの時期にZOCを好きになって、MAPAも好きになって、ライブに行ったりチェキを撮ったり、いわゆる「アイドルオタク」になりました。

高校生の時から坂道グループもメンバー全員分かるくらいには好きだったし、かわいい女の子のアイドルが好きだなと自覚もしてたけど、「生きる意味」とまで思えるほど強い気持ちはなかったです。

やっぱり田舎に住む女子高生だし、それなりに、憧れとかなりたい気持ちはありました。

しかもなんかこういうこと書くと嫌な気持ちにさせそうとかプライド高いとか思われちゃいそうだけど、九州の超田舎のコミュニティの中ではかわいいねと言われることが多い環境で育ってしまったんですね。

中学生の時話したこともない男子から告白されたり、「吹奏楽部のシンデレラ」とかあだ名つけられちゃったりして。

当時の私の本質は2次元と坂道アイドルの事しか頭にないような少し痛めの学生でしかったけど、表面的には田舎でそこそこ勉強できて全く運動できない合唱コンでピアノの伴奏する大人しめ系女子だったせいで、そんな風に見られてたんだと思います。

その頃の表面的な自分と本質的な自分のギャップみたいなものを、なんとなく自分でも自覚して、なんかそういう自分もそれを好む何も分かってない周りの同級生も気持ち悪って思うこともあったりして、それが大森靖子に助けられる人生の始まりだったのかな〜と今思えば考えたりします。

そんな訳で一丁前にアイドルになりたいと思える自信はあったけど、でも、東京からかけ離れたところに住んでることや、真面目な親に育てられた環境とかいろいろ、本当にキリがないくらいいろいろあって、オーディションが開催されても受けてみようなんて思えませんでした。

受ける資格は誰だって(年齢条件とかはあるけど)あるのに、受ける選択肢がそもそもなかったです。

同じ時間を共有したりたくさんお金を使って応援したりした訳でもないアイドルにも、当たり前の感情として、なれるか実行するかはともかく「私もなってみたい」って思ってしまって、

それが自分のことを歌ってくれてるなんて思ってしまう言葉を、気持ちを届けてくれるアイドルを好きになったらやっぱり憧れを飛び越えたい気持ちは芽生えちゃうんですよね。

ZOCオーディションのとき、ちょうど開催決定して合格者がのどかちゃんに決まって、その一連の流れは情報として自然に耳に入ってくるくらいにはTOKYOPINKを好きになっていた時期でした。

もう少し早く出会っていれば、もう少し早くもっと好きになってれば絶対受けたのにって、ZOCを大好きになった時にはもう遅くて、めちゃくちゃ後悔しました。




東京へのコンクプレックスを抱えながらそのまま九州で就職して、今年の4月から新社会人になりました。

憧れの職業!とかでは全くないけど、誰もが知る大きい会社で安定して親にも認めて貰えて、それなりにやりがいを感じて土日なら遠征してライブに行くこともできて、本当にアイドルが好きなただの地方OLです。

入社して3ヶ月、TOKYOPINKオーディション開催が発表されて、
正直重大発表が発表されたときから期待してました。オーディションじゃないかな〜って。

せっかく悩んで頑張った就活の上で得た仕事をすぐに辞めちゃうなんて考えられなかったけど、
その先のことはとりあえず置いておいて、オーディションだったら絶対受けたい、そう思いました。

8月6日、確か1次締切の最後の日に書類を送りました。けどこれ、落ちちゃったんですよね。
なんか変に斜に構えて、オーディションを受けるのも初めてだったし目立たなきゃダメだと思って自己PR文とか小難しいこと書いちゃって。何がダメだったのかは分からないけど、
一次締め切りの人たちはもうメールしてます!ってツイート見て、「私落ちたの!?」と「まあそうだよな」って気持ちがめちゃくちゃ同居してました。

けど、「私落ちたの!?」の気持ちの方が少しだけ強くて、ずるいかもしれないけど、メールアドレスをもうひとつ作って、同じ名前と同じ写真で、自己PRや好きな音楽嫌いな音楽、誰にも言えない秘密のところを変えて、書き直して送りました。

落選のメールが来た訳でもないし、写真を撮って文章を書いただけと言ってしまえばそれだけの事だったから、毎日毎日仕事の間に執拗にメールボックスをスクロールする生活はしてたけど、割と平然とした気持ちで生きていた気がします。



9月に入って、確か日曜日の朝でした。
目が覚めて1番にメールを確認するのが日課になっていて、その日も朝起きてすぐにスマホを開きました。

1次審査合格のメールが来ていました。

思わず声が出ました。
でも嬉しくて嬉しくてたまらないのもつかの間、
2次審査の開催はこのメールが来た3日後。
週のど真ん中水曜日、東京で開催。



まず思ったのが、仕事休めない。


どうだろう。覚悟がないって思われるかな。

でも結構大きい規模の会社で真面目で古い風習も残ってて、あんまり書くとバレちゃいそうだからぼかすけど、休みたいと思って3日後に有給を貰えるような環境ではありませんでした。
というか、私に休む勇気がありませんでした。

夢が叶いそうなんだからそんな綺麗事言うなよって感じだろうけど、私だってそう思うけど、アイドルのオーディションを受けるので明後日休みますなんて言える雰囲気じゃなくて。
かといって生真面目に生きてきちゃったせいで例えば身内が亡くなったとか何か急用ができたとか、嘘をついて休みをもらう度胸もなくて。

唯一できそうなのは、体調不良で当日の朝に上司に連絡して休みをもらうことぐらいでした。
気軽に休みは取りにくいけど、熱が出ても休ませてくれないような会社ではなかったことが救いでした。

まあ行くかどうかはとりあえず置いておいて飛行機だけ調べようとりあえずねとか自分に言い聞かせながら見てみると、


前日の仕事終わりに福岡まで前乗りして、福岡空港の始発の便で成田空港に到着。
そのままオーディション会場まで向かって、受けて、成田に日帰りでトンボ帰りすれば、熊本への最終便に間に合う。


とんでもスケジュールですね。
熊本から日帰り東京(笑)
しかも直前だから飛行機バカ高い。てか仕事休めないし😭😭😭

悩んでいる間に飛行機がなくなりかけたりして、どうしよう、行かなきゃ後悔するよね、でも行ってそのまま受かっても今から安定した仕事投げ捨てて私東京でアイドルになるのかな、てか引越しとか間に合わないし仕事の引き継ぎあるしあと1ヶ月で辞めま〜すとかいえるわけないしかもここで仮病使っても三次審査でまた仮病使うとか無理すぎる落ちても病むしどうしようどうしよう悩む間に飛行機はどんどんどんどん値上がりしていくしどうしよう

と思いながら飛行機取りました。2日前に。
仕事終わりの20時から、カラオケで2次審査で歌う曲をひたすら1人で練習しました。


火曜日、朝8時にスーツ着ていつも通り出勤して20時に仕事終わって、そのまま熊本から福岡行きのバスに乗り込みました。


明日仕事なのに私何やってるんだろう明日上司に仮病の連絡するの死にたい……って、あんなに思ったことは無いです。

けど、ずっと不安の方が大きかったけど、実際動き始めてしまえば日帰り東京しかも実質靖子ちゃんの無料特典会ワクワクドキドキが止まらなかったです。

さっきまで熊本で仕事してたのになんで私は博多にいるんだ、、、と思って撮った写真ドキドキでブレブレ


高速バスで博多駅について、そこから福岡空港まで地下鉄で移動して、当日予約したビジネスホテルに宿泊しました。

結局謎の発熱と胃痛で当日の朝に上司に連絡することに決めました。

人生はじめてのズル休みで、マジで今思い返しただけで苦しくなる( ᴖ ·̫ ᴖ )

正直当日の朝上司に連絡入れるまでは、オーディションのドキドキよりも会社にズル休みの連絡入れることの方が緊張しててその事で頭がいっぱいでした。

体調を心配してくれる上司にこれ以上ない罪悪感を抱えつつも、電話してしまえばもうこっちのものなので、それから飛行機乗って成田着いていつもは格安バスで東京向かうところを、時間なすぎて特急で向かって、ドタバタ移動してたらもうオーディションまであと1時間。

はじめての品川駅で、大学生になるまで1人で電車に乗ったことないくらいガチの田舎に住んでたせいで、電車降りてからで外に出るまでの遠さにムカつきながら何とか会場までたどり着けました。駅の中でGoogleマップ使うのやめたいです。


私が受けたのは2次審査3日目でした。
結構時間が押して、1時間くらい待ち時間がありました。
実際の審査の時間は2.3分くらいだった思います。

それまで仕事を1日だけの休むことすら躊躇してしまうくらいの私が、こんなに覚悟がないまま受けに行ってもいいのかな、と不安しか無い気持ちだったけど、大森靖子さんから「最後に何か言い残したことない?」って聞かれたときにびっくりするくらいするすると本音が漏れだして、泣きながら話しました。ちなみにインタビューも受けてました。インタビュー、私が受けた日はみんな受けてるんじゃないかな。分かんないけど。


帰りの飛行機の時間がそれはもうギリッギリで、オーディション終わって感傷に浸る間もなく品川駅に駆け込み何とか電車に乗り、成田空港駅に着いてからもめちゃくちゃ走りました。

その日は雨と雷がすごくて、走ったのに飛行機遅延して、飛ばなかったらまた明日会社休まなきゃじゃん…と絶望したりしたけど、何とか夜中の1時半くらいには熊本に帰りつきました。

次の日、熱出るなんて久々でキツかったですとか言いながら仕事しました。

バレたらどうしようとかヒヤヒヤしたけど、普通に考えて体調不良と嘘ついて仕事休んで週のど真ん中に日帰りで東京行くやつなんて居ないので、全然大丈夫でした(笑)

それから、また毎日仕事して、隙あらばメールボックスをひらいて、落ち込んで、ライブ映像見てそこに自分が立ってる想像して、でも受かったとしても、あと1ヶ月ないくらいで仕事辞めて熊本から引っ越して東京で生活していくの、お金も時間も足りないし2次審査合格してて欲しいけど三次審査もまた仕事休んでいくのかなとか悶々と考えて、夢と現実を行ったり来たりしていました。

会社の人には誰一人としてオーディションを受けていることは言ってなかったので、連絡が来るのを待ちながら仕事をしている時間はめちゃくちゃキツかったです。

毎日毎日心臓をドキドキ鳴らしながら過ごしていて、2次審査を受けてから10日目、ついに2次審査合格のメールが届きました。

動画であったように、三次審査は1日目のダンスレッスンと、2日目のダンス審査に分かれて行われました。

1日目の審査に、私は参加できませんでした。

覚悟もなかったし、覚悟を決める時間もありませんでした。

1日目の日、会社の1年目の人達が全員受けなければいけない試験がありました。
試験の日程は4月から決まっていて、その試験に落ちたらその後の業務にも影響します。
どうしようもない理由、忌引とかコロナとかインフルエンザとか、休む理由はそりゃいくらでもあるかもしれないけど、2次審査の時にも体調不良で休んじゃったし、試験の日に有給なんて使えるわけもないし、仮に休めたとしても試験の日程を調整する人事の人に迷惑かけるし、
そんな迷惑をかける可能性とか嘘をつくことの罪悪感とか社会人としての責任感とか、もう全部私のものじゃないって投げ捨ててでも行くべきだって、私が私のことを傍で見ている人間だったらそう思います。

けど本当に情けないし惨めだけど、私はそれが出来ませんでした。

そこまでの覚悟が既に出来上がっていた、きっと合格した子たちは本当にすごいと思う。

私にはできなかった。やりたい仕事だった訳でもないしずーっっっと東京に住みたい九州から出たいって思ってたはずなのになんだかんだで生きていけてしまうこの生活を、受かるかどうかも分からないオーディションのために少しでも崩してしまうのが怖かった。あと体力と精神力が足りなかった。

これは言い訳とそんな自分のことを守ってあげるために過ぎないけど、受けてる時点で今の全部壊してもいいってそんな覚悟でいられる人ももちろん必要だと思うけど、でも、目の前の社会人一年目のしょぼい責任とか良くしてくれている上司に嘘をつく心苦しさとかそういうの全部真摯に向き合って考えて考えてこそれでも覚悟ができない私にしか伝えられないこととか表現出来ないこととそういうのだってあるじゃんだから2次審査も合格出来たんじゃんとかそんなこと本当に弱いけど情けないけど恥ずかしいけど思いました。

だから、少しでも今の自分に出来ることはやりたくて、2日目のダンス審査には参加しました。

飛行機と審査の時間的に、前日に東京に行くしかなくて、また20時に仕事終わってそのまま友だちに空港まで車で送って貰って(超ありがたい)スーツにリクルートカバンにパンプスのまま保安検査場締切1分前に駆け込みました。


cuttingedge、私だけ一日目に参加してなかったから歌割りもなくて、立ち位置も決められてなくて、超超しんどくて恥ずかしかったです。多分私が社会人じゃなかったら泣いてた。

今までダンス経験も運動神経も全くなくて、
仕事終わりに試験の勉強とダンスの練習と、毎日3時間睡眠でやってきたけどそれでもまだまだ、全然みんなに練習量すら追いつけなくて、

本当に情けなかった。

学生だったり、親が学校を休むことを許してくれたり、練習環境を用意できたり、もちろん素直に嫉妬するし羨ましい環境にいれていいなってめちゃくちゃ思うけど、でも多分そんな環境の中でも苦しいこととかやりきれない事があってオーディションを受けてるんだろうし、その環境を手に入れられるのも各々の努力でその人の人生で今まで生きてきて選んできた結果だから、羨んだって仕方ないし。


全部わかってたけど、落ちたとわかった時はこれから先の生きていく力がなくなった気がしました。しばらくの間何をしても何も楽しくなかった。
今まで生きてきたこの私じゃ、あの時試験を休んでダンスレッスンに行く判断はできなかった。
エドゲも怪獣も、自分の精一杯を尽くしたけど、伝わらないと意味が無いから。
常に、理想の自分みたいなのがあって、それがどういう自分なのかはっきり分からないけど、
熊本でもオーディションを全力で応援してくれるような友だちがいるし、仕事だって割とよく出来てしまうし、かわいいとか言われることもあるけどそれでもこのままじゃだめだって、そう思う今の自分だからこそやれることがあるんだって、

こんなnoteじゃ書ききれないくらい、私の語彙じゃ表せないくらい向き合って考え抜いてオーディションを受けました。

でもnoteと同じで、これだってこんなタラタラ書いてるけどどうだろう、あんまり伝わってないよね、仕事なんかいつでもやり直せるし本気なら全部の時間使って受けに行けよって思うよね。

そんなの私がいちばんわかってるしその上で私だって本気だった、TOKYOPINKで活動したかった、今の生活に関わる全てに全力で向き合った、そんなのこんなところで今更主張して同情してもらっても大した意味がないなんてわかってる。

みんな与えられた時間は同じで、あの時間あの場所でそれをどれだけ伝えられるかが大切で、

あーなんで私全部投げ捨てて受けに行けなかったんだろう本気じゃななかったのかな覚悟ってどうしたらもっと持てたのかな結局普通の生活でこうやってたまに病みながら何者かになりたいって真っ当な若者らしい悩み抱えてたまに病んでそれでも楽しみを見つけながら生きていくのが私らしいのかなそういう生活をTOKYOPINKの音楽に支えられてきたけど本当に支えられてたら仕事休んで行けたのかなダンスの練習ももっとできたのかな、私の好きな気持ち嘘だったかな情けない惨めだ自分が嫌だって、マジでめちゃくちゃに落ち込んだけど、

でも、普通に大学行って就活して親に言いくるめられて九州で就職して大好きでこれ以上ないくらい救われてるアイドルの最終審査より会社の試験を優先しちゃったような私だから、別にリスカとかしないし病んで会社休むとかもないし、徐々に普通に楽しいことは楽しいし、美味しいものは美味しいです。



もちろん、煮え切らない気持ちは気を抜くとまだずっとあふれてくるけど、
それでも少しでも、
応援してくれた、見つけてくれた人たちがいると思うと、生きていけます。



最初にも書いたけど、
空港まで送ってくれたり、東京で泊めてくれたり背中を押してくれた友だち、掲示板やYouTubeのコメント欄で私の名前を上げてくれた人たち、私の目に届いていないところでも、一瞬でもあのオーディション動画を見て私のことを良いな、受かってるといいなって思ってくれた人たち、
本当に本当に本当にありがとうございます。



TOKYOPINKでやれなかったことをやれるような人生にしたいって、そうは言っても私はTOKYOPINKでやりたかったな。伝えたかったな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
やれるだけ頑張ったとは思うけどね!!!ᐡ߹ - ߹ᐡ
早くこんな自分だって認めてうじうじ嫉妬してないで次の幸せを見つけます!!中卒でも片親でもなんでもないけど覚悟をもって何かを成し遂げてから死ぬ人生にしたいって思っちゃったし!!!

ここまで読んで頂いてありがとうございました。


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