君の名はアーセナル-第4章 -「ダイチ・エヴァートン&ボーンマス」-

「ダイチ・エヴァートンへの敗北はアルテタ・アーセナルが抱えるいくつかの問題点を明らかにし、絶好調だったチームに大きな影を落とした。そして、ボーンマスへの劇的な逆転勝利は優勝へ突き進む情熱と実感をエミレーツに与え、ネルソンという「ローカル・ヒーロー」を生み出した。この二試合は、2022-23シーズンのガナーズを語る上で避けては通れないものであり、アーセナルを主人公とする物語において、確かなターニングポイントとして存在している筈だ。」

 アーセナルは2022ー23シーズンの前半を15勝2分1敗の勝ち点47という素晴らしい成績で終えた。オールド・トラッフォードではユナイテッドに黒星をつけられたものの、2度のプレミアリーグ5連勝を記録するなどチームは絶好調、チームスタッツは18試合42得点14失点と内容でも圧倒しており、19年ぶりのプレミア制覇に向けて突き進んでいた。シーズン後半に入ると、すぐにエミレーツでユナイテッドへのリベンジを果たし、冬の移籍市場でも的確な補強を行ったことで、このままアーセナルがプレミア首位を独走する姿を思い浮かべた人々も少なくなかっただろう。

 しかし、アーセナルのシーズン2敗目は思わぬチームに献上することとなった。その相手は、昨シーズンから続く絶不調で降格圏に沈んでいたエヴァートンFC。エースのリシャルリソンを開幕前に失い、新エースとなったカルバート・ルーウィンは長期的な不調、指揮官であるフランク・ランパードは経験と実力の不足が目立つなど、シーズン前半において何一つ上手くいっていないチームだった。エヴァートンはメンバーリストだけ見れば降格圏に沈むようなチームではないが、いずれにせよ、ユナイテッドを倒して勢いに乗るアーセナルにとっては決して難しい相手ではない筈だった。

 アーセナルにとって不運だったのは、2月4日に行われた試合の数日前にエヴァートンの指揮官が交代したことだ。トフィーズはようやくランパードに見切りをつけ、プレミア残留に向けてショーン・ダイチを招聘した。ショーン・ダイチはバーンリーの元指揮官であり、今でもなお、最もバーンリーサポーターに愛されている監督だ。2012年10月にバーンリーの指揮官に就任すると、当時チャンピオンシップにいたチームを1年でプレミアの舞台へと導いた。2年目となった2013ー14シーズンには降格を経験するものの、その翌年には再び昇格を果たし、以降は2022ー23シーズン途中に解任されるまでバーンリーをプレミアに留まらせ続けた。特に2017ー18シーズンは7位までチームを引き上げ、バーンリーを52年ぶりにヨーロッパの舞台へと導いた。

 彼は強烈なフィロソフィーを持った指揮官であり、「クラシカルなイングランド・サッカー」と評されるような、ポゼッションを放棄して肉団戦に特化したディフェンシブなフットボールを展開する。現代サッカーにおいては後方からの組み立てが重視されることが多いが、ダイチのフットボールは中盤を省略してロングボールを放り込み、固く守ってカウンターという方法を基本としている。彼のやり方には様々な意見もあるが、少なくともバーンリーという中堅以下のチームにおいては最大限の結果を出していたと言える。

 デュエルと空中戦に重きを置くダイチのフットボールは、アマドゥ・オナナやドゥクレなどフィジカル的に優れた選手の多いエヴァートンにマッチしたものであったし、残留を最大の目的とするチームにおいては、割り切った戦術とファイティングスピリットを植え付けられるダイチは最上の指揮官となり得る存在だった。結局、エヴァートンはシーズン最終盤まで残留争いをしているが、少なくともダイチのフットボールがフィットする土壌は整っていた筈だ。数は少ないが「何故このチームが降格圏なんだ?」と思わせる試合もあるし、アーセナル戦は間違いなくエヴァートンにとって今季のベストゲームだった。

 アーセナルがエヴァートンに敗北を喫した後は、「解任ブースト」という言葉を頻繁に目にした。確かに、不調だったチームが監督交代後の数試合において結果を残すことは良くあるし、それは特に残留争いをしているようなチームに多く見られる。事実として、アーセナル戦のエヴァートンはインテンシティがそれまでとは比べ物にならないくらいに高かった。それは監督交代に基づく変化であり、そういった意味で「解任ブースト」がかかっていたことは間違いないが、アーセナルが敗北した理由は決してそれだけではない。肉弾戦に優れたタレントが多く、そこに特化したフットボールを実行するダイチ・エヴァートンに対して、アルテタ・アーセナルは実力で寄り切られたように見えた。そして、その試合ではガナーズが抱えている問題点が明らかになり、彼らが行く空に暗雲が立ちこめる発端にもなった。

 グディソン・パークで行われたこのゲームでは、大方の予想に反さず、前後半を通してアウェイチームがボールを支配する展開となった。支配率はアーセナルが70%に対してエヴァートンが30%だったが、この数字は両者にとって想定内のものだっただろう。アーセナルはボールを持つことで良さが発揮されるチームだし、エヴァートンはボールを持たないことを苦にせず、むしろ相手に持たせてからのカウンターが重要なポイントになる。試合を通じて、ボールを繋いでゴールに迫るアーセナルに対して、カウンターとそこから得たセットプレーでチャンスを伺うエヴァートンという構図は崩れることが無かった。エヴァートンは自陣でマイボールになれば簡単にロングボールは前線に放り込む。サリバやマガリャンイス、ホワイトやトーマスなどアーセナルの後方は空中戦に優れているが、それはカルバート・ルーウィンやドゥクレ、イウォビを擁するエヴァートンの前線も同じことで、ボールがこぼれてからの反応は、ホームチームの方が速く力強いように見えた。

 アーセナルはエヴァートンの異常なインテンシティの高さと規律あるディフェンスに苦しんだ。オフェンス時にスリーバックの中央に位置するサリバ、そして2ボランチを形成するトーマスとジンチェンコはボールを持つたびに食いつかれ、特にトーマスは普段あまり見られないようなボールの失い方を頻繁にしていた。ボールを敵陣に運んでも、サカとマルティネッリがボールを持てば常に2人が付いて数的不利を作られる。狭いブロックを組むエヴァートンに対してはエンケティアやマルティネッリの裏抜けも効果的でなく、ウーデゴールがライン間を取ってもボールが入らない。後ろに戻して組み立てなおそうとすれば再び強烈なプレスがかかってボールを失う。後半になっても流れがつかめないまま、再三チャンスを作られていたコーナーキックからタルコフスキーのヘッドで失点を喫した。70分頃にジョルジーニョが入ってからは、エヴァートンの運動量が落ちてきたこともあり攻撃にリズムが生まれ始めたが、結局ゴールラインを割ることは出来ずにタイムアップを迎えた。

 この試合で見られたのは、アーセナルの「層の薄さ」と「戦術的な幅の狭さ」だった。前者に関してはここまででも言及してきたが、ベンチに「ゲームチェンジャー」となり得る存在がおらず、上手く行っていないチームを変革する様な選手がいないということだ。エヴァートン戦に関して言えば、アーセナルのストロング・ポイントである世界最高レベルの両ウィングがほぼ完封されていた。組織で崩せるチームであるとはいえ、やはり攻撃に関する最大の武器は個人で打開できるサカとマルティネッリであり、そこが機能しなければアーセナルの攻撃力は半減する。オールラウンドに動けるジェズスが居れば違ったのかもしれないが、エンケティアは攻撃の組み立てに関わるような選手ではないし、試合を通してエヴァートンが固いブロックを構築する中で、殆ど存在感を発揮できていなかった。

 私が「ゲームチェンジャー」と呼んでいるのは、全体的に調子の上がらない時に一人で試合を引っ繰り返すような、「爆発的な瞬間火力」を生み出せる存在だ。昨シーズンのシティで言えばギュンドアンやマフレズといった選手であり、リバプールで言えばジョタやルイス・ディアスといった選手たちである。ここで考えるべきなのは、彼らは本来、不動のレギュラーとして君臨すべき実力者たちだということだ。ただ、層の厚いビッグクラブにおいてはターンオーバーやコンディションの問題によって、彼らがベンチスタートになる(できる)ゲームも存在する。その様な試合においてチームが上手く行かなかったときに、彼らはベンチから出てきて一人で試合を変革することができる。重要なのは、「ゲームチェンジャー」となり得るほどの選手をベンチに置くことができる「層の厚さ」なのだ。

 そういった意味で、アーセナルにそこまでの選手層はない。サカやマルティネッリ、ウーデゴールやジェズスといった選手たちをベンチからスタートさせるなど考えられないだろう。傾向としてアルテタはスターティングメンバーを固定しているが、それはスタメンが変わればアーセナルのフットボールが別物になってしまうからだ。エヴァートン戦において途中出場したトロサールは一定の存在感を放っていた。ウィングにダブルチームで付く相手に対しては、ひきつけて周りを使える彼の能力は合致していたと思うが、それでもエヴァートンの強固なブロックを崩しきってゴールを生み出すまでには至らなかった。

 また、上手く行っていないチームに対して、アルテタが特別に戦術的な修正をしているようには見えなかった。ここにアーセナルが抱える、もう一つの課題が表れていると思う。この試合に関して言えば、強烈なプレッシングをするエヴァートンに対してビルドアップが機能していなかった。後方で細かいミスが頻出し、ファイナルサードにボール届ける前にボールをロストしてカウンターを受ける場面が目立っていた。それに関してアルテタが行った修正は、70分頃にトーマスに代わってジョルジーニョを投入することだけだった。結果的にこの投入は一定の効果をもたらしていたとは思うが、それ以前にできたことはあったのではないか。ベン・ホワイトのポジショニングが相応しくない場面もいくつか見られたし、トーマスのボールロストが多かった理由はそこにもあった。また、ジンチェンコをサイドに開かせてジャカを下ろす、トーマスを最終ラインに下ろしてウーデゴールをボランチ化させるなど、ビルドアップを安定させる手段はいくつか考えられる。

 勿論、ウィングが機能していない以上、ウーデゴールを下ろすとファイナルサードで崩せなくなるし、ジェズスが居ないことで組み立てに関わる人数が制限されるという問題もあるだろう。ここで話していることはあくまでも机上の空論でしかないが、事実としてアルテタの修正が選手交代に頼ったものであることは、特にシーズン最終盤の試合で明らかになってしまっている。現状、彼は戦術に選手を当てはめるタイプの指揮官であるように見えるし、若いチームであることを考慮しても、試合中の効果的な修正が少ないことは優勝を目指すチームにおいて明確な弱点になり得る。エヴァートン戦では、冨安が入ったことで右サイドのポジショニングが正確なものになり、トロサールが入ったことでファイナルサードでの攻撃パターンが増えた。ただ、現状の選手層では交代でチームを活性化させることにも限界があり、指揮官の力量が試される試合も多くなる。「選手層の薄さ」と「戦術的な幅の狭さ」は別々の課題ではなく、相互的な問題点としてアーセナルに存在している。

 エヴァートンに殆ど為すすべもなく敗北をしたことをキッカケに、以降のアーセナルは明らかな不調に陥った。次のゲームでは「曲者」ブレントフォードに対して、支配率とシュート数で圧倒的に上回りながらも決定力に欠け、1-1で痛恨のドロー。続いて首位攻防戦となったシティ戦では、新たなサイドバックの在り方を見つけつつあったシティに実力の差を見せつけられ、1-3で完敗を喫した。シーズン前半で勝ち点を「5」しか落とさなかったチームは、3試合で8ポイントを失い、絶好調だったアーセナルに警告音が鳴り出したのは誰が見ても明らかだった。

 それでも、首位を快走していた実力は流石のもので、シティ戦以降はアストン・ヴィラとレスターに勝利し、続いてエミレーツで行われたエヴァートン戦では4-0と内容・結果ともに圧倒して、リベンジを果たした。しかし、シーズン前半の活躍がフロックではなかったと思わせる様な流れも束の間、続くACボーンマス戦において、アーセナルは2つ目の正念場を迎えることとなる。

 試合が行われた当時の順位表では、ACボーンマスは19位に沈んでいた。チャンピオンシップから昇格して1年目のチームは、プレミアのインテンシティやゲームスピードに適応しきれず、開幕早々に敢行した監督交代の荒療治も功を奏していないように見えた。3試合前に同じく降格圏に沈むエヴァートンに敗れたアーセナルにとっては一切の油断はできない試合ではあったが、ボーンマスはダイチ・エヴァートンほどに極端な特徴をもったチームではない。舞台がエミレーツであることも相まって、決して苦戦が予想されるような試合ではなかった筈だった。

 しかし、試合開始からわずか9秒でホームチームはリードを許すことになる。キックオフ直後にダンゴ・ワッタラが右サイドから放り込んだボールがゴール前にこぼれると、それをフィリップ・ビリングが押し込み、いとも簡単にボーンマスが先制点を獲得した。勿論、開始9秒でのゴールは今季のプレミアにおける最速記録だが、シティとの差を広げようと息巻く首位アーセナルは、この上なく完璧に出鼻を挫かれる形となった。

 ただ、アーセナルはすぐに立て直し、それ以降のゲームは圧倒的にガナーズが押し込む展開となる。試合全体でポゼッションは80%を超え、アーセナルは31本のシュートと17本のコーナーキックを記録した(ボーンマスはそれぞれ5本と1本)。この数字を見れば、どれだけアーセナルが押し込んでいたかは一目瞭然だが、それでもボーンマスが形成する5-4-1の固いブロックを崩し切ることには苦労した。良い形でシュートまで持ち込んでも、ボーンマスGKのネトが好セーブを連発し、ゴールラインを割ることができない(余談だが、GKのラインナップにリーグレベルの高さが表れていると思う。ノッティンガムにナバス、ボーンマスにネト、フラムにレノがいるのはちょっと尋常じゃない)。後半に入っても、アーセナルが殆ど敵陣でプレーする構図に変化は無かったが、ボーンマスのブロックに手を焼く様子も変わらなかった。すると向かえた57分、ボーンマスにとって試合で唯一となったコーナーキックをマルコシ・センシにヘディングで押し込まれ、リードを2点に広げられた。

 この失点はガナーズにとって非常に大きいものだった。エミレーツでの試合であること、圧倒的に押し込む展開であったこと、相手が降格圏に沈む昇格チームであることなど、アーセナルが勝たなくてはならない条件は揃っていたからだ。敗北しても首位陥落という訳では無かったが、シーズン後半にギアを上げたシティは背後に迫っており、少しでも勝ち点を落とせばシーズン終盤までもたないであろうことは目に見えていた。

 恐らく、この試合に負ければガナーズが優勝する可能性はなくなっていただろう。それは勝ち点云々の話ではない。この試合では、アーセナルが「優勝するに相応しいチーム」かどうかが試されていた。優勝するに相応しいチームは、必ずいくつかの劇的な勝利を達成しているものだ。どれだけ強く完成度の高いチームでも、38試合の中で難しい流れになるゲームは必ず存在する。昨シーズンのシティがそうであったように、修羅場を乗り越える実力と自信の有無が、群雄割拠のプレミアを制覇できるかどうかの分かれ道となる。「何とか追いついて引き分け」ではなく、「圧倒的な底力を見せつけて逆転勝ち」することが必要なのだ。マンチェスター・シティという現状で世界最高のチームを上回る為に、様々な意味でアーセナルは「勝利」が絶対条件だったと言える。

 そして劇的なクライマックスに向けて、反撃の狼煙を上げたのは意外な人物だった。62分にコーナーキックをスミス・ロウが頭で折り返すと、ゴール前に入っていたトーマス・パーティが足で押し込んだのだ。トーマスは今シーズン3得点しか記録していないが、そのうちの1点はアーセナルにとって重要な意味があった。ようやく得たゴールで勢いが付いたアーセナルは69分、逆転に向けスミス・ロウに代えてリース・ネルソンを投入する。

 果たして、この「伏兵」に劇的な活躍を期待したグーナーはどれくらいいただろうか。ネルソンは、その交代が12試合ぶりのプレミア出場であり、全体での出場数はわずか3試合に留まっていた。ボーンマス戦でネルソンが出場した背景には、アーセナルの厳しい台所事情があった。長期離脱中のジェズスに加え、この試合ではエンケティアもベンチ外となっており、CFとして出場したトロサールは22分に負傷し、早い時間でスミス・ロウとの交代を余儀なくされていた。ファビオ・ビエイラをスタメンで起用したこともあり、攻撃を活性化する為にアルテタが切れるカードは、既にネルソンしかいなかったのだ。

 しかし、この試合で「伏兵」ネルソンは、切り札として最上の結果を残すことになる。ファーストプレーで左サイドからセンターバックとキーパーの間に絶妙なボールを流し込み、ベン・ホワイトの同点弾をアシストしたのだ。彼がピッチに立ってから、僅か数十秒後の出来事だった。ホワイトがプレミアリーグで初ゴールだったことも含め、この時のアーセナルには明らかに「ツキ」の様なものが向いてきていた。2-2になった時点で試合時間は残り20分程度、勢いに乗るホームチームがもう1点取るには十分すぎるほどの時間がある。エミレーツは熱狂に包まれ、アーセナルが逆転するのは時間の問題にも思えた。

 しかし、追いつかれたアウェイチームはここから驚異的な粘りを見せる。降格圏に沈んでいたボーンマスにとっては数少ない「勝てた試合」であり、残留に向けて何としてでも勝ち点を持ち帰らなくてはならないという気概が、彼らのプレーには強く表れていた。アーセナルは無数のシュートをボーンマスに浴びせながら、しかしゴールを奪えないまま、試合はアディショナルタイムを迎えた。追加の時間は6分、当然の様に逆転を諦めないアーセナルは攻め続け、負けられないボーンマスは防ぎ続ける。そのまま時間は96分を回ったが、アディショナルタイム中にアダム・スミスの怪我で時間が使われたこともあり、レフェリーはすぐには笛を吹かない。

 そして迎えた97分、アーセナルは右からのコーナーキックを得る。おそらく、これをボーンマスが大きくクリアすれば、即座に終了の笛が吹かれていただろう。ウーデゴールが蹴ったインスウィングのボールをディフェンスが頭でクリアすると、十分な飛距離が出なかったボールはサインプレーに備えてペナルティエリア外で待っていたネルソンの元へ飛ぶ。華麗にボールをトラップした彼が左足を振りぬくと、そのシュートはペナルティエリア内の密集にポッカリと空いたコースを辿り、ゴール右のサイドネットに突き刺さった。

 誰がこんなクライマックスを予想しただろうか。開始9秒の失点、攻め続けながらも得点を奪えず痛恨の2失点目、そして意外なトーマスとホワイトのゴールと、ほぼ構想外だった「伏兵」のゴールによるラストプレーでの大逆転。時々、フットボールにはこんな試合がある。フィクション作品では「良く出来過ぎて」いるが為に書けないような、手垢がつき過ぎていて、そして極上にエモーショナルなノンフィクション・ドラマを演じてくれるのだ。ネルソンのゴールを確認した瞬間、エミレーツは今季で最高潮のボルテージに達し、アルテタや選手達は狂喜乱舞した。そして、レフェリーはボーンマスのキックオフ直後に笛を吹き、劇的なドラマに幕を下ろした。試合終了後もエミレーツのサポーターはネルソンを含めた選手たちに惜しみの無い拍手を送り、逆転勝利と「ローカル・ヒーロー」の誕生を祝った。

 ネルソンの活躍は、単なる勝ち点3の獲得以上のものをアーセナルにもたらしたと言える。先述した通り、優勝の為にボーンマス戦は絶対に負けられないゲームであったし、何よりも「ネルソン」が活躍したことに重要な意味があった。層の薄さを継続的な課題として抱えるアーセナルにとって、ある試合において想定外と言えるような活躍を見せる「ローカル・ヒーロー」は、絶対に必要なものだったからだ。過去に予想されないタイトルを獲得したチームには、負傷離脱やコンディション不良が重なってチームが危機に陥った際にサプライズ的な貢献をする選手が必ず存在した。実際、この試合以降のネルソンはウィングのバックアッパーとしてコンスタントに出場し、構想外から重要な戦力へと立場を変化させている。

 現在23歳のネルソンが今後、フットボーラーとして何処まで大成するかは分からない。少なくとも、若年化が進むサッカー界の中で、彼より若くて評価されている選手は多くいるのが現状だ。しかし、彼がワールドクラスの選手にならずとも、このボーンマス戦の1ゴール1アシストによって、彼は確実にグーナーにとって忘れられないヒーローとなった。そういった「ローカル・ヒーロー」の誕生は待ち望まれていたものであり、ボーンマスに対する大苦戦は思わぬ副産物をアーセナルに与えてくれたのだ。

第四章 ダイチ・エヴァートン&ボーンマス 村井 悠


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