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君の名は?

昨日なんとなくテレビを眺めていたら、「2531佐藤さん問題」という話題が取り上げられていた。

それは夫婦別姓を導入しない場合、今後名字の数がどんどん減少していき、500年後には全員が「佐藤さん」になるという試算が出た、というものだ。

なかなか興味深い、面白い事を調べる人がいるものである。

まあこれだけで夫婦別姓の良し悪しを結論付ける事は出来ないだろうが、名字が無くなっていくのは少し寂しいし、自分の経験から言っても入籍で名字を変える側の人間は色々と大変なので、私自身は「夫婦別姓」はありじゃないかなと思っている。

私の職場にはミャンマーからの技能実習生が多く働いているが、ミャンマー人には名字が無いのだそうだ。例えば「アウンサンスーチー」さんは、その全てで一つの名前だ。だから「スーチー」さんなどと略して呼ぶのは、実は失礼な事らしい。

それと、彼らの名前の頭文字は生まれ曜日を表すそうで(必ずしもそうじゃない人もいるらしいが)、名前を聞けばその人が何曜日生まれなのか分かるのだという。

少し調べてみるとミャンマーの伝統的な暦である「ビルマ暦」は、水曜日を午前と午後の2つに分けて考えるので一週間が8つの曜日となっているそうで、「八曜日占い」という占星術があって、それが重要視されていたり、それぞれの曜日に守護動物がいたりするらしい。

ミャンマー人にとって「曜日」というのはとても大切で、それ故に名前にも用いられているという事なのだろう。

国が変われば、こんなにも違う。名前も文化の一つなのだなぁと思った。


私の本名(下の名前)は、結構珍しい名前である。

今まで自分と同じ名を持つ人に出会ったのは、一度だけ。いや出会ったというのは語弊がある。芸能人の方なので、こっちが勝手に知ったというのが正しい。芸名かな?とも思ったけれど、どうやら本名らしい。

私の名前を付けたのは父親だ。父は私が中学の時に亡くなったので名前の由来は聞きそびれてしまった。昔母に聞いてみた事があるが、はっきりとは分からなかった。

父は厳しくて怖い人だった。私は父が苦手だった。思春期の頃は特に。

いつも気難しそうにしている父を私は避けていた。だから私たちはほとんど顔も合わせず、あまり話もしなかった。あまり話をする事のないまま父は逝ってしまった。

私は長女で、父の初めての子供である。私が生まれた時、父はまだ二十代前半であった。

大学を出て、さほど経っていないのに父親になってしまった青年。

若かった父は、どんな気持ちで自分の娘にこの名前を付けたのだろう。生まれたばかりの私を愛おしく思いながら、一生懸命考えてくれたのだろうか。

もし父が生きていたら、そんな事を聞いてみたかったな。

ちょっと珍しいこの名前を、今私は結構気に入っている。



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