自尊心の低さが、「助けて」のひと言を遠ざける
「今日の1枚」は、駐車場に並ぶ自転車。
コミュニティ(なんやかんやファーム)に訪れた家族の自転車。
到着するなり、「聞いて聞いて〜。」と話し出す子どもの姿を見ながら、道中とても楽しかった様子が伝わってきて、わたしもしあわせになった瞬間だった。
今日これから足つぼマッサージ
・基本(副腎~膀胱)
・全体
今日特に気になったしこりは、両足のすい臓と直腸の反射区。
昨日から生理が始まり、足つぼマッサージをすると下腹部が痛くなる。子宮周りの循環が悪くなっているのだろう。「カチカチに冷えてるよ。」のサイン。
直腸は第1チャクラ
子宮は第2チャクラ
すい臓は第3チャクラ
それぞれの精神、感情面の問題として、心当たりがあるのは、「自分自身のために立ち上がる力」「罪悪感」「自尊の念」「決めたことに対する責任」。
今日のビブリオマンシー
強迫的な悪い習慣には、
1.時間恐怖
2.秩序恐怖
3.活動恐怖
というものがあるらしい。
潜在的に持ち続けている恐れについて。
すぐに浮かぶのは、子どもの頃のこと。仕事から帰ってきた母親が常に「あれしなさい!これしなさい!」と言い続けていた光景。
共働きをしながらの子育て。核家族で、父親は不在であることがほとんど。毎日フルタイムで働く母は、帰ってくるなりやることが山積み。
母親が家に帰ってくると、ほっとする反面、心が忙しなくなっていたことを思い出した。毎日言われることは同じで、「𓏸𓏸しなさい!」の連続。お風呂掃除だったり、片付けだったり。
それをすることが嫌というよりは、「わたしもこんなに頑張ってるんだから、あんたたちも手伝いなさいよ。」と押しつけられているようで苦痛だった。
母親が食事を作っている中、テレビをみるのがとても心地悪かった。悪いことをしているような。
落ち着かなかった。
「わたしが頑張ってるんだから、あんたも頑張りなさいよ。」といわんばかりの母の態度が本当に嫌いだったんだな。
なのに、わたしもやってるわ。
「人が動いているときは、ゆっくりしてはいけない。」というのが部族的信念。
とてもしっくりくる。
今も染み付いている実感がある。
今のわたしが大切にしたい信念はなんだろう。
「協力し合うために、シェアをたくさんすること。」
母は協力が欲しかっただけなのだと思う。だけど当時は、子どもに命令する以外に誰かの協力を得る術を知らなかったのだろう。
自分がどんなことに困っていて、どのような協力を得たいのかを伝えることができる人って、「自尊の念」がある人だと思う。
自分が助けを得る価値がある人間だと認めているし、相手に対してもそう。
自尊心の低さが、「助けて」のひと言を遠ざける。
自尊心が高いから、「助けて」が言えるのではなく、「助けて」と人の力を借りるうちに自尊心が育つのかもしれない。
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