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再び歩き出すために

懐かしい人の夢を見ました。

かつて方向は違えど、共に夢を持ち、
時に協力し合い、時に励まし合い、
時に反発し合い、

けれど

いつも側にいてくれた人の夢です。

今はもう会えません。
遠くへ行ってしまいました。
それとも、こっちが離れてしまったのか。
いずれにせよ、
物理的にも精神的にも、遠く離れてしまいました。

噛み合っていた歯車がどこで噛み合わなくなったのか。
どこで話し合えば、袂を分つことはなかったのか。
あの時、あんな言葉を口にしなければ、
あの時、あんな言葉を耳にしなければ…

いや、それは無意味な仮定です。

人生に「IF」が無いように、
いずれにせよ、我々は離れ離れになったのでしょう。

「運命」? そんなモノではありません。

よくある世界の、よくある別れです。

こちらが未熟だった様に、向こうも未熟でした。
気づいた時にはすべて終わっていました。

「気づいた時にはいつも手遅れ」

人生なんてそんなモノでしょう?

それでも大切な人、大切だと思っていた人を、
傷つけた罪は罰せられるべきでしょうか?

罰せられたトコロで何が変わるわけでも、取り戻せるわけでもありませんが…。

その人は、その人には「才能」がありました。大した人生を送ってきたわけではありませんが、私が見た、驚いた。そして嫉妬した、確かな才能がありました。

その「才能」を見た私は純粋に憧れ、尊敬しました。思いつく限りの言葉を使って、その気持ちを相手に伝えようとしました。

しかし、当時は(今もですが)自分の思うことを上手く伝えられる術を持っていませんでした。嫉妬もあったのでしょう。とにかく、どれだけその人が凄いのかを伝えることができませんでした。

ある時、その人は「夢」を捨てました。あんなに「才能」があるのに、私では到底辿り着けない世界まで行けるはずなのに、その人は「夢」を諦めました。

言わなければよかった言葉が飛び交い、治しようのない溝が深まり、かつて共有していた「なにか」が音も無く崩れ去りました。

あの人が「夢」を捨てたのは、その「才能」故か、「純粋」故か、今となってはわかりません。

先に書きましたが、我々は離れ離れになりました。今はもう連絡先も知りません。今時?と思われるかもしれませんが、「今時?」な2人だったのです。

もう2度と会えない…なんて程、ロマンチック(?)なモノでもありません。ある日突然バッタリ会うかもしれません。会えば照れながら、近況報告でもするのでしょう。

ただ、その可能性が恐ろしく低いだけです。

かつて側にいた、そんな人の夢を見ました。

あの人から見た「私」はどうだったのか、今は当然知る術がありません。向こうから見ればただの「凡人」ではなかったかと思います。いや、別に謙遜とか、卑下とかではなく、贔屓目に見ても私はただ「夢」を見ている「凡人」でした。

モーツァルトとサリエリ?悪い冗談です。私は秀才にすらなれなかった。ただ「夢」を見ているだけで安心していられた、そんな人間でした。

若かったですしね。「詰まらない」自分を、「世の中に馴染めない」自分を、「特別」だと思わなければ、生きるのが怖くて仕方がなかった。

今ならわかります。ただ、やはり気づいた時にはもう遅かったということです。

ただ繰り返しますが「その人」には確かな才能がありました。側にいれば私も「特別」だと錯覚していられたのではないか?

これも今ならわかる気がします。それ故に我々は離れ離れになったのかもしれません。

もう取り返しのつかない、でもそれ故に「大切」な思い出です。

夢は終わってしまったのかもしれません。でも、だからこそ、生きていけるのかもしれません。力強く、しっかりと、前を向いて。

かつて方向は違えど、共に夢を持っていた「あの人」。今は何処にいるのかもわからない人。

でも、大切な人。

言わなくても、届かなくても、聴こえなくても、きっとこの世界の何処かでわかるはず。

「夢」は終わった。だからこそ再び歩き出すために、ここに戻ってきた。

再び歩き出すために。

失ったモノを取り戻すのではなく、
また失うために。

「夢」ではなく、生きていくために。

Now And Thenー

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