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著:鈴木大介「脳が壊れた」の 感想

著者の鈴木氏は、41歳の時に右脳梗塞を発症し、左上肢に運動障害、構音障害が残存した。ルポライターである鈴木氏にとって、パソコン操作が必要であったため、作業療法では、左上肢を用いてのジグソーパズルやパソコンのタイピング練習のリハビリを実施していた。その結果、6ヶ月ほどで病前と同程度のタイピングスピードに達することができた。さらに、著書には、「病後半年以上経ってからも非常に緩やかに回復は続く」と、述べている。私も、発症から1年半ほど経過しているが、少しずつ記銘できる要領が増えてきているように感じる。例えば、退院直後の移動では、1つの目的地でさえ、覚えられず、何度も目的地を聞くことがあった。しかし、現在では、2〜3個の目的地であれば、他者に確認することなく、頭の中でルート設定ができる。ただし、補助的な代償手段として、ホワイトボードに目的地を記載し、分からなくなった時には確認をすることは必要である。
 
鈴木氏の脳卒中初期症状は、身体的な症状(左手指の運動困難や感覚異常、構音障害)であった。病院で検査した結果、右側頭葉のアテローム血栓性脳梗塞と診断された。
鈴木氏は、入院初日の出来事(病室の場所や発症直後の心身状況(自立歩行可能であること))を記載している一方で、「発症から数日については実は記憶が飛び飛び」p33.3と書かれている。また、「発症直後とはいえ自立歩行も可能」と記している一方で、トイレに行く時には妻の介助を要すると記されている。
入院翌日に医師から家族への説明の中で、半側空間無視の症状が出ているとの説明を受けた。鈴木氏は、半側空間無視の言語化として「左前方に猫の礫死体が転がっている。だから左方向を見ないように右方向を見る」(p44:参考)ような感覚であると、述べている。なるほど、半側空間無視の人の心情とは、そういったものなのか。

鈴木氏は、当事者感覚を文字に残すべく、緊急入院から12日後には、企画メールを送信していた。発症から企画メール送信まで12日間というのは驚いた。このことからも、鈴木氏の症状は比較的軽度だと考えた。
私が発症してから12日ほどの時は、まだ急性期病院にいて、スマートフォンすら触れない状態であった。
私が発症後初めてスマートフォンでメール(ライン)の返信をしたのは、発症から1ヶ月ほど経った時(10月23日)であった。リハビリ病院に転院した日である。
スマートフォンのメール等の確認ができなかった約1ヶ月間、毎日友人から心配の連絡を頂いていた。私が倒れたと聞いた日から、毎日送ってくれていた。文面には、「その日の日付、天気、その日の出来事」など、他愛も無い内容である。それを見て、私は号泣した。
鈴木氏は、「発症から数日についての記憶は飛び飛び」(p33)と述べている。私も、急性期病院に入院中は記憶が飛び飛びであり、場所や日時の失見当識があった。数年前(岡山県に住んでいた時)にタイムスリップしたような感覚であり、見舞いに来た家族に対して「何しに岡山に来た?」などと言っていた。
 
著書のp50.3に、「自らの「病識」をもち「不自由さの言語化」をすることが、何よりこの障害と立ち向かう武器」と書かれている。しかし、高次脳機能障害に関しては、肉体的な障害よりも可視化が困難である。
鈴木氏の高次脳機能障害は、半側空間無視や注意障害が主であり、これらの高次脳機能障害は比較的、可視化しやすいのではないかと思う。

 一方、「やれないことを他者に分かってもらえない」(p103.11)ということは、私もとても辛かった。
見た目は健常者と変わらないからこそ、余計に理解してもらいにくいし、記憶障害があると説明しても「みんな忘れるよ」と返されるのである。これには反論できなくなる。私を庇うつもりで「気にするなよ」と、言う意味で言ってくれているのかもしれないが、素直に傷つくのである。「元健常者」だった私からすると、「記憶障害になってからの忘れ方」と「健常だった時の忘れ方」とは、「忘れ方の質が違う」のである。
余談だが、p112に記載されている隣ベッドの「デギン公」の家庭菜園の話だが、デギン公曰く500平米あるとのことだ。誇張表現と捉えられてもおかしくはない。その人のバックグラウンドを知らない人からすると、「誇大表現」になる。しかし、情報収集により、事実か否かを見極め、今後の関わりに活かす必要がある。
 
前述したように、私は急性期病院に入院していた時は「岡山県に居る」と錯覚していた(場所の失見当識)。岡山に住んでいた時に勤めていた職場のスタッフは、総勢約800人であった(在籍当時)。そこで、急性期病院に見舞いに来てくれた親戚との会話の中で、「職場の職員は数百人居る」と言っていた。しかし、親戚は、「今の職場に数百人の職員?建物の大きさからしても、それはあり得ない。」と思っていたそうだ。

私のバックグラウンドを知らない人からすると、誇張表現だと思われるかもしれない。これは、過去の記憶の時系列が混在していたことによって起きたものだと考える。仮にこれを「タイムスリップ妄想」と名付ける。
K県に帰ってきて約5年経過しているにもかかわらず、「O県に居る」と思い込んでいたり、一方で、当時勤めていた職場の職員に対して「倒れてしまって申し訳ない」ということを言ったりしていた(家族からの話)。
では、鈴木氏の著書内に登場する「デギン公」の話に戻る。デギン公の話は、果たして本当に誇大表現だろうか?もしかすると、以前、大きな農園を営んでいた可能性もある。過去の時系列が混乱したことによって起きた「タイムスリップ妄想」と同じではないか。
鈴木氏は、「感情の起伏こそが、僕の話しづらさの原因だった。(p119.11)」と述べている。また、感情が抑制できないことに加え、感情そのもののパワーがとてつもなく大きくなっていることを自覚している。その上で、感情が暴走しないように抑制している状態が、話しづらさの原因だと述べている(p120.2)。私の場合は、会話の流れを忘れていることがあるかもしれないので、他者に悟られないように必死に思い出そうとする。しかし、二重課題が苦手な私は、次第に「何を思い出そうとしているのかを忘れる」といった最悪の結果になる。そのため、人と話をすること自体が苦痛になり、徐々に人と距離を置くようになった。
現在では、家族や通院先のスタッフ、高次脳機能障害の集い(青い空)といった、決まった人としか会話をしていない。
一方、SNS(ラインやインスタグラム)では、先述した人以外の人とも連絡をとっている。SNSでは、メッセージの送受信履歴が一つの画面で確認できるため、同じ文面を送ることは無かった。

 以上、鈴木氏の著書「脳が壊れた」を読んでの感想である。私と一致する部分もあるが、障害の程度が違うため、比較できない部分も多々あった。しかし、私自身の状況を客観的に観察するためのツールにはなったと感じた。


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