脳卒中になった作業療法士

34歳で脳卒中を発症。患者になったからこそ「見えたモノ」「失ったモノ」「得たモノ」。 …

脳卒中になった作業療法士

34歳で脳卒中を発症。患者になったからこそ「見えたモノ」「失ったモノ」「得たモノ」。 そして、家族の大切さを再認識。 病気になった「当事者」や「家族」など、身近な人が病気になった人の「タメ」になれると嬉しいです。よろしくお願い致します。

最近の記事

著:鈴木大介「脳が壊れた」の 感想

著者の鈴木氏は、41歳の時に右脳梗塞を発症し、左上肢に運動障害、構音障害が残存した。ルポライターである鈴木氏にとって、パソコン操作が必要であったため、作業療法では、左上肢を用いてのジグソーパズルやパソコンのタイピング練習のリハビリを実施していた。その結果、6ヶ月ほどで病前と同程度のタイピングスピードに達することができた。さらに、著書には、「病後半年以上経ってからも非常に緩やかに回復は続く」と、述べている。私も、発症から1年半ほど経過しているが、少しずつ記銘できる要領が増えてき

    • いよいよ自動車運転の許可か!?

      外来に行く方法病院での外来リハビリでは、「移動」に関するリハビリを考えてくれていた。 自動車の運転許可をもらってない時に、どうやって通院にしてもらうのか… まさに、リハビリテーションの真髄である! 老子の言葉に、「授人以魚 不如授人以漁」と言うのがある。 日本語訳にすると、「飢えている人に、魚を1匹与えるか、魚の釣り方を教えるか」ということだ。 「飢えた人に魚を1匹与えると、その人は1日は飢えを凌げる」。 しかし、「魚の釣り方を教えると、その人は一生飢えずに済む」と言うこと

      • 高次脳機能障害と私〜退院してからの生活〜

        1. 「想い描いた生活」と「ほど遠い現実」  入院中の私は、「退院したら、すぐに元の生活に戻れる」と思っていました。病前の職場に復帰して、病前の様に仕事ができる!と思っていました。  だから、早く退院したくて、毎日「いつ退院できる?」と、家族に聞いていました。  テレビ電話越しの私の表情は暗く、気力もない様子だった…らしい。  このままでは、「精神的に病んでしまう」と思った親は、担当医と話をし、予定より早めに退院することになったのです。     これで、元の生活に戻れる!

        • 脳卒中になった私が感銘を受けた曲

          「I have a 理想 何が悪りぃの」 「理想を言おうよ 今だからこそ 現実の中で見れる夢 宝物」 「ちゃんと口にしよう 何度も何度も コンクリート破り また花咲かすたんぽぽ」 ※KREVA feat. ZORNのタンポポの歌詞から抜粋 この曲を初めて聞いたのは、手術で一命を取り留めた後、回復期病院に入院していた時でした。 この時の私は、身体の障害(麻痺や感覚障害など)は無いものの、高次脳機能障害のひとつである、『記憶障害』が、残りました。 さっき食べたものや、

        著:鈴木大介「脳が壊れた」の 感想

          突然やってきたクモ膜下出血とかいうやつ!!!!

          突然ですが…あなたの『大切な人』を思い浮かべてみてください。 両親や配偶者、お子さん、お世話になった人など… 何人か思い浮かぶと思います。 では…その大切な人が『今夜倒れたら?』   もしくは…あなた自身が『今夜倒れたら?』… 「私が今夜倒れる?そんなわけない!!」 「まだ若いから、病気で倒れるなんてありえない!」 そう、思っていませんか? これを書いている私も、倒れる前はそう思っていました… そう…     倒れてからでは遅いのです… 私は34歳でくも膜下出血

          突然やってきたクモ膜下出血とかいうやつ!!!!