金槌を持たせれば、全てが釘に見える。

コロナワクチン3回目接種を受けた。職域接種で土曜日の夕方から接種だったので、仕事をしながら時間を待った。

「オリオンはエッチなビデオ見るのか?」

「見ますけど、どうかしました?」

「見ないって言ったら気持ち悪りぃなって思って。いや、今日電車でたまたま横に女子大生が座ってきてさ。見る気なかったんだけど、その女子大生のスマホにそういう動画が映っててさ。」

「それで僕も電車でそういう動画を見てると思ったってことですか?」

「そうだよ。」

全く失礼な話だ。というより、仕事中の会話じゃない。こんな話ばっかするなら嘘でもついて適当に流すけど、そうはいかない。「これはオリオンにはやらせられねぇな。」と言われたので、詳細を聞きに行ったら、「1、2回行けば終わるような仕事だよ。お前にはもったいない。」とのことだった。給料が年功序列だというなら、仕事内容だって年功序列でいい。先輩方が大きな物件をやって、まわり切れない細々としたそういう物件をやって、毎日定時で帰ったっていいじゃないか。少しぐらい楽したっていいじゃないか、と言ってみたら「お前にそんなことをさせるために、お前の上司はこの会社に連れてきたわけじゃないだろ。」と言われた。確かにそうだ。ぐうの音も出ない。たまに芯を食うことを言う。楽したいのは本音だけど。音楽はアーティストの顔で聴くし、男の音楽なんて基本聴かねぇってすごい偏見を持ってるのに、夜遅くまで仕事をしていたら、帰り際に山岡家に行く仲ではある。自分でもよくわからない。最近は腹いせに、「今日の昼何食べた?」と聞かれたら「何食べててほしかったですか?」と聞き返して、少し困らせている。


話が逸れてしまった。2回目の接種よりも3回目のほうが反応が出ると聞いていた。2回目の時は熱が40℃ぐらい出て、何もできなかった。それを踏まえて接種して寝る前に次の日にやろうと思っていたことをやりながら、出来るだけ夜更かしをした。次の日に起きて熱が出ていることに驚くよりも、熱が出始めてから薬を飲んだほうが良いだろうと考えた。

注射をしたほうの腕の痛みで起きた。寝落ちしていたらしい。熱を測りにベッドから起き上がった。熱はなかったが、座っているのも辛いぐらい頭は痛く、体がだるい。薬を飲んでとにかく寝た。1日を無駄にしてしまった。

以前なら休みを無駄にしてしまって少しガッカリしてしまうところだったが、最近は違う。むしろ無駄にしてしまって安心した。休みが来るのが怖い。何もしない時間が好きだったはずなのに、それがとにかく怖い。平日だってそうだ。仕事から少しでも早く帰りたいはずなのに、自分のための時間が来る恐怖から逃れるように仕事をしてしまう。(実際にそれほど仕事があるのも事実ではある。)自分で予定を立てれば解決じゃないかと思われるかもしれないが、それができない。なぜかもわからない。元々大層なものではなかったが、壊れたらしい。ゴールデンウィークなんて長い休みが来てしまったらどうする?

時々思うことがある。自分の人生は誰かにコントロールされているのではないかと。自分で決めて自分で行動を起こしているつもりが、それは全て誰かの手のひらの上の出来事。自分の死に際、薄れていく意識の中、白衣を着た科学者らしき人が視界に入って、「いい実験サンプルだったよ。」と種明かしをされる。それを聞きながら死んでいく。自分はそれはそれは精密に作られたアンドロイドに近いロボット、あるいはクローンで、自分の見ている世界は科学者が用意した箱の中での出来事。目の前で起こることは科学者が用意したもので、自分がどう反応するかを観察している。観察だけならまだしも、自分が思うような結果にはいかないようにコントロールされているのでは。神様を信じていないから、神様のおかげだとか、神様が試練を与えているというのは自分的には整合性がなくて、こういう考えになってしまう。

それならいっそゴールデンウィークは何も予定を入らずにその恐怖と向き合ってみようか。出来るだけ予想から外れるようなことをしてみる。それすらも誰かにコントロールされているのかもしれないけど。ありがたいことにゴールデンウィークにお誘いをしてくれる人がいたので、それは断らなかった。誰かに誘われる分には何も問題はないし、外に出たくないとかそういうのはない。


ワクチンを打った2日目も熱が出るというのも聞いていた。月曜日に熱があって仕事に行けないのはまずい。なんとしても月曜日だけは外せない。打った次の日に熱が出ていなかったから安心していたが、寝る直前に熱が出はじめた。再び薬を飲んで寝た。熱さえ出なければなんとかなるはず。次の日、熱は下がっていた。体のだるさがまだ残っていた。ベッドから出られれば勝ち。立てれば勝ち。立ってみたけど、少しフラフラする。とりあえず仕事には行った。職人さんからは「おっ、大丈夫だったんだ。」と言われた瞬間、注射したところをドンピシャで叩かれた。薬を飲んで痛みはなかったが、なぜ左腕に注射したとも言ってないのに、左腕を一発目で叩けるのか。体のだるさが抜けないとは伝えた。だからといって仕事内容が変わることもなく、むしろいつも以上に足を使うことに。「明日はどうなってもいいから、朝一だけでもいいから体よ動いてくれ」と1階から6階をシャトルランのように階段を往復すること3回目の登りの途中で、体のだるさがなくなった。ただ、止まればまた体がだるくなりそうだった。とにかく昼休みもあまり休まず、その日はなんとか終えた。こういう日は自分を褒める。内容はどうあれ100点だ。それ以上は特に何もしないけど。次の日は関節が痛むぐらいで済んだ。さぁ、今日も頑張ろうか。「え?明日はどうなってもいいって言ってなかった?今日は休みじゃないの?」と体から聞こえてきそうだ。今日は今日でやることがあるし、明日は明日でやることがあるでしょ。倒れる場所だけ気をつければ大丈夫だよ。無理できるうちに無理しておいたほうがいい。心も壊れて体も壊れたら帳尻があったりしてね。それは冗談として、無理矢理体を動かすコツは気合いと経験。中学生の時に右膝にオスグッドと十字靭帯の炎症を同時に患った。どうしても練習も本番にも穴をあけたくなかった。その気持ちとアドレナリンで、動いている間だけは痛みを忘れて動けた。3分もプレイができなくなって、先生の紹介で接骨院に行った。電気治療を受けることに。「痛かったら言ってね」と先生は言って、電流を調節するツマミを最大出力になるように勢いよく回した。痛いと言ったら、「あぁ、そう。痛かった?」とだけ言って、カーテンを強めに閉めて接骨院の奥へと消えていった。いや、電流を弱めんかい。ツマミがやけに遠い。自分では調節できない。痛すぎて声が出ない。電気治療の後は、塗り薬を使いながらマッサージをする。これが電気治療以上に痛い。最初は助手に上半身を押さえ込まれながら治療を受けた。最後に必ず「はい、これで終わり」といいながら、オスグッドのコブを叩かれる。「あ、痛かった?」とニコニコしながら言われる。めっちゃくちゃ痛ぇわ。この人、患者の苦しむ顔見るために医者やってるだろと思った。今もそう思っている。これを週に2回耐えていた。この辺りから睡魔以外には割と勝てるようになった。逆に体が動かないと大抵のことは諦めがつく。

しなくてもよさそうなところで限界に挑戦して超えてみようと思うのは、できることが増えるが好きだから。超えたところで何もないことがわかることもあるけど、そこに何かを期待することはあまりない。ちょっと違うかな。挑戦してみようと思うことは選んでいる。すべてではない。選んだものに挑戦して得られるであろう結果に過度に期待しないで、何もなくても悲観しない。ただ好きなだけでやっている。こっちのほうがしっくりくるような気がする。予想もしてなかったことができるようになったりもする。



文字に起こしていくと、割とまっすぐ時間をかけずに結論に至っているように見えるが、紆余曲折して時間をかけて結論に至る。悩むプロセスは飛ばさない。白黒はっきりつけたがるのはよくないし、グレーゾーンがあっても良しとする。それが足りてないような気がする。Nothing's Carved In Stoneを聴いても、a flood of circleを聴いても、斉藤和義を聞いても出てくる「ブルース」。これは一体なんなんだろうか。これがわかれば聴こえ方も違ってくる気がするが、どこからはじめればいいかわからない。


珍しく空きもせずに本を読んでいるが、100ページを超えてもなお全体の10%も読めていないし、終いには前置きだけで本編まで辿り着かない。電子書籍は本の厚さを確認しないで本を手に取ることができる利点があると思っていたが、逆効果になるとは。横文字も多くて、少し読みづらい。(外国語を日本語に翻訳した本ということもある。)コントロールできないことは諦めて、起こることを予想するというよりは起こったことに対してどう対応するかを考えて、グレーゾーンを許して、多くの切り取り方を学び、点と点を結ぶ力を育てる。正直難しいが、面白い。金槌を持たされた人が、打つ釘を探す。これは「金槌は釘を打つための道具」と認識しているから起こること。使い方を知らない人に渡したら、釘を打とうとするどころか、使い方を探し始めて、予想もしない使い方をするかもしれない。これは面白い。頑張って1000ページ近く読み終えたい。

「切り取るのさ奇跡のワンパターン」が頭から離れなくなった。


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