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ララ(LARA)のレガシーを受け継いで

こんにちは。まきです👩ララの記念日である11月30日を前に、今号では、7年前の2016年11月30日、CWSのルーツであるララの70周年記念フォーラム開催当時に記憶を巻き戻してみます⏰



ララ70周年記念フォーラム

ララとは何か?それは、敗戦後、飢餓と貧困で苦しんでいた多くの日本人を救い、日本の学校給食を再開するきっかけとなった「ララ物資」のことです。ララ物資はケア物資(アメリカのCAREという民間団体から1948年~55年までに贈られた救援物資)と並び、1946年~52年まで北アメリカのクリスチャンによって集められ、日本に贈られた支援物資でした。1946年11月30日、サンフランシスコからララ物資を満載した第1船が横浜港に到着しました。ララ救援活動とともにアメリカ(ニューヨーク)で設立されたCWSは2016年に設立70周年を迎え、その日本事務所であるCWS Japanは西早稲田のスコットホールで記念フォーラムを開催し、ララにゆかりのある個人・団体など多くの来場者をお迎えしてお祝いすることができました。

ララ70周年記念フォーラム(2016年開催)©CWS Japan

わたしは、このララ70周年記念行事の運営を任されたことがきっかけとなり、ララとCWSの歴史を紐解く作業から始めました。それは、敗戦国日本では、わずかな史料・画像しか残されていないことが分かり、海を越え、アメリカ・カナダにまで発掘調査に出かける結果となりました。そこで、同年7月、ちょうどシカゴで開催されたCROP US Summer GatheringというCWSアメリカ本部が主催したファンドレイジング・スタッフ会議に参加することになり、会議出席後、カナダ(トロント)に飛び、現在のカナダ合同教会公文書館を訪問しました。

7年前の史料調査

70年という時を経て、ララ物資の恩恵にあずかった世代が減少するとともに、ララの記憶が日本社会から消滅するのは時間の問題になりつつありました。この時の調査結果をCWS Japanのホームページ上で公開して以来、国内外の研究者、メディアからララ関連の問い合わせがCWS Japanに届くようになりました。

なぜ、カナダにはララに関する多くの史料が保管されていたのか?それは、ララ救援活動の中心人物であり、またCWS Japanの初代代表が、カナダ合同教会より戦前から日本に派遣されていたカナダ人宣教師G.E.バット博士だったからです。

では、なぜ、カナダ人であるバット博士がアメリカで設立されたCWS Japanの初代代表となったのか?それは、カナダで行った調査により、バット博士を戦後日本に派遣した組織がCWSアメリカ本部を創設した3団体の一つだったという事実の発見によって明らかになりました。このような歴史的背景を現在のCWSアメリカ本部、博士を派遣したカナダ合同教会本部も彼を送り出したトロントの教会も誰一人として知る人はいませんでした。

2023年フィラデルフィアでの調査

7年前に行った調査では、ララの発足とともにCWSが設立された経緯、ララの中心人物が戦前から日本に派遣されていたカナダ人宣教師G.E.バット博士であり、CWS Japanの初代代表となった経緯を知ることができました。それらについては、すべて、CWS Japanのホームページ上(ストーリー「ララとCWS」)で紹介しています。

7年前は、アメリカ国内でララ物資がどのようにして集められたのかについては限られた情報しか分かっていませんでした。ただし、アメリカのキリスト教系関係組織からフィラデルフィアにあるPresbyterian Historical Society (PHS)にはCWS発足当初の史料が保管されているという情報だけは確認できていました。しかしながら、その後、フィラデルフィアを訪問する機会はなく、今年5月、7年越しの積み残し課題に、ニューヨークのCWSアメリカ本部に出張した際、ようやく向き合うことができました。

フィラデルフィアにはニューヨークから電車で1時間ほどで移動できます。アメリカ合衆国建国の地であることから、歴史的建造物・施設が多く、修学旅行生のグループが日々訪れる、まるごと世界遺産のような町です。1852年に発足したPHSは町の中心部に建ち、正面玄関にはBLACK LIVES MATTER(BLM) のサインが掲げられ、その堂々とアピールする姿勢に鳥肌が立ちました。

Presbyterian Historical Society正面玄関 ©CWS Japan

アーキビストが奥の書庫から出してきたCWS関連の箱の中には、ララ発足に関与したChurch Committee for Relief in Asia(アジア救済教会委員会:CCRA)によってアメリカ国内の加盟教派に向けて終戦直後(1945年9月)に発信された日本とアジア諸国に対する緊急人道支援のアピール文書が含まれていました。

Presbyterian Historical Society (フィラデルフィア)©CWS Japan

ララとCROP運動

実は、7年前のララ70周年記念フォーラム開催の直前、「こんなものが見つかったよ。」と1冊の古い冊子『ララ救援物資について』(1951年1月厚生省社会局刊)を日本キリスト教奉仕団の理事長から手渡されました。同奉仕団は、ララ救援活動ののちに生まれた日本国際キリスト教奉仕団のことであり、偶然にも同じ会館のフロアに現在事務所を置いています。この冊子には、ララ物資がCROP(Christian Rural Overseas Program)運動によって、アメリカ全土の農村部から集められた農産物であることが書かれていました。そして、5月のPHS訪問は、まさにララとCROP発祥との関係性を再確認する旅となりました。

CROPは1947年、CWSが第二次世界大戦後のヨーロッパやアジアで飢えや貧困で苦しむ人々の緊急人道支援のためにアメリカ全土に向けて寄付を呼びかけた運動として始まり、翌年にはルーテル教会やカトリック教会系支援組織とのパートナーシップによって規模が拡大されていきました。PHSに保管されていた文書の中には、終戦後、アメリカ各地からどれだけの農産物や支援物資が日本や海外の困窮者のためにささげられ、それらの寄付が教派を超え、地域の教会の主導によって集められていたかという記録も見つかりました。

その後、CROP運動は名称もCROP Hunger Walkに生まれ変わり、アメリカ各地で開催されるウォークラリーイベントのファンドレイジングキャンペーン活動として継承されています。

最後に、ララの価値とは、国益のためでも、政治的取引でもない、全く無条件の民間による本物の人道支援にあると考えています。ついこの間まで敵国だった国民にすぐに手を差し伸べようとする隣人愛と奉仕の精神には心動かされるものがあり、それゆえに多くの人々から賛同を得て、民間の力で多額の資金と物資調達に成功し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)までその支援活動に協力したほどです。昭和天皇はララ物資の倉庫を訪問し、礼を述べ、横浜港には香淳皇后こうじゅんこうごうがララへの感謝を詠んだ歌碑かひも建てられました。

ララのレガシーとは・・・何の見返りも期待しない真の人道支援であり、だからこそ、市民の力で成し遂げられるものではないでしょうか。それを受け継げることに喜びを感じています。

今年のクリスマス🎄皆さんは誰を想うでしょうか?


(文:ディレクター 牧 由希子)

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