母への感謝と思い出
今は亡き母。
そんな母を思い出すと、わたしは笑顔になります。
もうすぐ母の日なので、今回は、母との忘れられない思い出について書いていきます。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
愛とユーモアに満ちた母の魅力
私の母は、目が不自由でした。
それでも普通に料理も洗濯も掃除もこなし、自宅で治療院をしながら私たち姉弟を育ててくれました。
怒るとすごく怖かったですが、基本はいつもニコニコしている、ひょうきん者の母でした。
あるとき電話がかかってきて30分も話してから、実はわたしの友達からだった、ということがありました。
友だちは迷惑がるどころが「お母さん面白いね!」と、すっかり仲良くなっていて。
また別の日には、わたしが外出先から帰ったら、母と友達がコタツで話に花を咲かせているときもありました。
友だちの間でも、ちょっとした話題になり「お母さんに会いたい♪」という友だちが続出しました(^ ^;)
わたしより友達と仲良くなっていたような気がします。
わたしが誰とでもすぐ仲良くなれるのは、そんな母の血のお陰かも知れません。
いや、間違いなくそうです。
逆境に立ち向かう勇気
母は、とても我慢強い人でした。
わたしが小学生の頃、母はいわゆる出稼ぎに行っていました。
その頃は知らなかったのですが、人に借金を押しつけられて、我が家は貧乏だったんです。
父と母で話し合い、母が有名旅館に出稼ぎに行くことになったと、大人になってから聞きました。
少し年配の男性がワゴン車で迎えにきて、母を乗せていきます。
わたし達は母と離れるのが寂しくて、車が見えなくなるまで見送っていたのを今でも忘れられません。
母も、わたし達と離れるのが寂しくて、車の中で泣きながら通っていたそうです。
わたしに話してくれたときは、決して悲観的になるのではなく、明るく笑顔で話してくれた母。
そんな、逆境にも負けない強い母の血が、わたしにも流れているんだと嬉しくなります。
いつでもわたしの味方
母は、いつでも味方でいてくれました。
わたしは小学校の頃からいじめられていて、不登校にはならなかったものの、やっぱり学校に行きたくないときがあって。
そんなときは「今日は学校に行きたくないな」と言うと「じゃあ、買い物を手伝ってくれる?」と言って休ませてくれました。
今にして思うと、逃げ場があると思えたのが良かったのだと思います。
「無理に学校に行く必要はない」と思えたので。
息子が生まれて、わたしも母になり思います。
いつでも息子の一番の味方でいようと。
母の子どもで良かった
両親は目が不自由だったし、貧しかったし、昔の話をすると「苦労したんだね」「可哀そう」と言われることが多いです。
でも、わたしは両親のもとに生まれて良かったと思います。
愛情をたくさんもらったし、笑顔がいっぱいの家庭でしたから。
わたしも母のように愛情深い女性になりたいと思います。
そして将来、息子に「お母さんの子どもで良かった」と言ってもらえたら嬉しいな。
最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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