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【日々】明日を知らない|二〇二三年四月




二〇二三年四月十五日

 荒川のほとりへ。たっぷりと雨が降る。ほんとうだったら昼ごろにはここにいて、青空のもとひとりビールでもやって、屋台メシをつまみながらのんびりするつもりだったのだけど。できればスカートのステージも見たかったからなあ。まあでも、水溜まりを踏み抜くたびにふだん気にしていることが次々どうでもよくなっていく感じも案外悪くなかったし、たまにはずぶ濡れになるのもいいかもしれない。良い音楽はどこでどんなふうに聴いたって幸せになれる。でもちょっと寒いなあ。


 なかなかステージをみる機会がつくれずにいたthe band apart。新曲『Sunday Evening』がとってもいいな。それこそ夕暮れの荒川河川敷で、ちょっとだけ土と汗によごれながら聴きたかった。飾らないことば選びで、のどごしも良い。収録されている会場限定のシングルは濡らしちゃいそうで買う勇気がなかったから、いまから配信されるのが待ち遠しいな。だいすきな『Eric. W』も聴けたし、真綾さんを迎えたときの原さんのはしゃぎっぷりもおかしくて。荒井さんと真綾さんで『明日を知らない』のデュエットとか聴けたら、なおよかったんだけれど。荒井さんの、しゃべる時にでる深い深い声、うたうときに艶めく高音、どっちもうっとりするくらいすきだな。しあわせ。服も髪もなにもかも湿って濡れて気持ち悪いけれど、こころはささやかに潤っている。


 今夜はあーちゃんの帰りもおそいので、子どもみたいにスーパーの惣菜を買いこんで、ビールで流し込む。不経済で不健康なのに、どうしてもたまにやりたくなるのはどうして。おっきな音で大好きな音楽をならしながら。これも昔はいつもやっていたけれど、いまはなかなかできないこと。




二〇二三年四月十六日

 とおくにもくもくと雲がわいて、うねるように流れてゆく。いきて動く生クリームみたい。ずっと、何時間でも、そのままみていたかったけれど、すぐに春の虫が猛然と飛びこんできたので、払い除けつつあきらめて網戸を閉める。




二〇二三年四月十九日

 めずらしく早い朝。すうっとする空気。しずかな部屋。七時台のニュースの落ち着き。鳥たちのうた。新緑の萌えるまぶしい色。勤めに向かう人波に紛れて、ただ街を逍遥すること。

 映画を観た。『Living』。黒澤明の『生きる』を下敷きに、カズオ・イシグロが本を書いたのだそう。職場のおじさまから猛烈におすすめされたので。オリジナルは知らないし、作品としてどう評価されるべきかもわたしには分からない。でも、いまの自分には良い栄養になった。ゾンビだった自分、蘇った自分、これからの歩き方。この数年くらい、重ねていろんなひとに教えてもらってきた、明日は必ず来るとは限らないということ。それをもう一度、たしかめる。エミリー・ロー・ウッドがとっても可愛かった。チャーミング、ってカタカナ語はまさにあんな人にむけて使うんだろう。



二〇二三年四月二十日

 きょうも朝早め。慣れていないからすこしつかれている。初夏のような熱い日差しと、草と土のにおいはよく似合っていて、どうしてか小・中学校のころをおもいだす。同時に、校庭とか、プールとか、その頃わたしが馴染めなかった、というか嫌な思い出ばかりのあるシーンがうっすら滲んできて、すなおに味わえない屈託がある。







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