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【日々】迷い走る、多摩川・谷保・阿佐ヶ谷・江古田|二〇二三年一月




二〇二三年一月十一日

 駅前の井戸はまだ水が出ないようだ。年明けから、ポンプの故障とかでずっと水が汲めないでいる。それを尻目にちょっと急ぎ足で、新小金井駅へ。この駅はなんでもない街中を歩いていると突然現れるのが良い。住宅街に埋もれている。ひっそりと、ある。西武多摩川線を使うのはこれで二度目だけれど、なんだかたまらなく好きな路線だ。なんでもない営みの中をちいさく走る単線。人がいなくてガラガラ。古い車両の座席はふかふか。いい。

 終着・是政までのわずか数駅を乗り通したら、多摩川にかかる橋をわたって、近くの温泉施設で湯に浸かる。頭をからっぽにしてリフレッシュしたかったのだけれど、どうもうまくいかない。空を見あげても、雲ひとつない蒼は長く眺めるにはつまらなかった。そのかわり、湯面を這う湯けむりをたのしんでみる。悪くない。あるようでない、瞬間瞬間にふわりと変わって消えてしまう、そういう儚いうつろいが、わたしはすきなのかもしれない。

 風呂あがり、こんどは南多摩駅から南武線に乗り込む。分倍河原を出るとき、扉がしまると同時にヘッドフォンから新しい曲がながれはじめた。西陽。ごとごと・きこきこゆれる列車の音。自動アナウンスの声。それらを遠景にたたえてながれる、ちょっと物憂げなヴォーカルと、使いこまれたようなギターの音色。ミュージック・ビデオみたいだなと思う。


 谷保で降りて、半年以上ぶりにダイヤ街の「小鳥書房」・「書肆 海と夕焼け」に。うっかり衝動買いもしつつ、予定していた本の注文を済ませる。以前にも一度わざわざ取り寄せで注文をして、一ヶ月ちょっとかけて本を手に入れたことがあった。これがなかなか、届くまでプレゼントを待っているようなワクワクがあって、すごくいいんだ。雄一さんと長話しながら、ものすごくゆっくりお会計を済ませるのもたのしかった。本をカウンターにおく。喋る。金額を出してもらう。あたらしい話がはじまる。おかねをだす。つぎの話題にながれる……。豊かだなあとおもう。そうこうしているうちに落合さんもやってくる。風邪でしんどそうなのに、ものすごく元気そうにみせてしまう危うさがなんだか懐かしい。本当は落合さんともゆっくり話したかったけれど、風邪っぴきに無理をさせるわけにもいかず店を出る。小鳥書房にいるときのわたしは殊更に、「ほんとうは〜だけれど」と唱えて、出かかったものを呑み込むことが多い気がする。



二〇二三年一月十三日

 ギリギリまで起き上がれない朝。寝癖はどうやっても治らなかった。急いで家を出て図書館に寄り、松村圭一郎『くらしのアナキズム』を借りる。気持ち的には、ことしの読み初め。この一週間ほどは沢木耕太郎『深夜特急』のよみなおしをすすめていたから、厳密には「最初の一冊」ではない。なんだか、飽きてしまったのだ。それで仕切り直したくなった。いや、作品そのものは何度読んでも面白いものなのだけれど、ふいに"次に進みたくなってしまった"。元々、昨秋に出た沢木の新刊へ繋げるためにマラソン的に読みなおし始めたものだったけれど、形にとらわれるあまりすこし義務感じみたものが滲んできたので、思いきってやめた。

 年明けから色々、迷走し続けていて本当にすわりが悪い。ふと目に入ってきた十二星座占いにはずいぶん調子の良いことがうたわれていて、現実との差にかえって萎えてしまわないでもなかったが、「今月はすべてを一新していく、ということをテーマに」とあったのは気にいった。いい響き。もろもろ整ってはいないけれど、まあいいでしょ。迷走なのだとしても一応、「走」ってはいるんだろうから。

 ああ、寝癖がなおらない!



二〇二三年一月十七日

 家路をたどりながらふと、いま自分が火曜日に『火曜日』というなまえのついた曲を聴いていることに気がついて、とっても嬉しくなってしまった。聴きたくなるタイミングが曜日になかなかあわなくって、つねづね残念におもっていたんだ。そして思う、きょうは久しぶりに、かなり久しぶりに音楽にのれているなあって。よかった。フッと顔があがるこういうとき、そのきっかけになるのはやっぱり、ずっとそばで支えてくれていたこの人のうたなんだな。



二〇二三年一月十九日

 城島健司がシアトル・マリナーズでプレイしていた2007年当時のインタヴューにこんなくだりがあった。

-クロダイ釣りをできないのが辛い。

 「ここはアメリカですよ。そういうものはすべて捨ててここに来た。食べ物とかでストレスためる人もいるでしょ。ここでは、ピザしか食べられない時もある。それが受け入れられない人は成功しない。オフに日本に帰れば、いくらでも釣りはできる

西日本スポーツ 2007年8月10日

 この釣り師め。……それはさておき、前はこうだった、あそこではこうだった、なんで今は。得てしてそんなことを言ってしまいがちだけれど、何の意味もない。気持ちがたりない。城島の思想はシンプルに、サッパリと、切れ味が良くて気持ちがいい。じっとり、なまくらのような自分に澱んだものを、かれのような人の考え方を使ってちょっとでも掃除したい。



二〇二三年一月二十一日

 「喫茶 天文図館」においてある文庫本はみんなカヴァーがとってあることに今更気がついた。たてものが湛えている空気感と色合いにすっと馴染んでいる。気が利いているなあ。文庫本の背ってこんな味わいがあったんだ。


 きょうは足かけ二年、わたしのキャリア・カウンセリングをみてくれているOサンから、「まかれながらまきかえす」という言葉を授けてもらった。小田実の言葉らしい。ちばてつやの剣道まんが『おれは鉄兵』にも、相手の技を受けながらいつの間にか反転して打ち勝ってしまう“巻技“というのが出てくるそうで、どちらもOサンにとっては人生におけるひとつのヒントなのだそうだ。うーんいいね。このカウンセリング・コーナーでこんな話をしているのは間違いなくこのブースだけだろう。かれでなかったらもうとっくに通うのをやめていただろうし、いまこうして健康に生活できているかもわからない。最近はほとんどキャリア相談というより、与太話と人生相談ばかりしているが。

 中野からバスを乗り通し、江古田駅に出る。なんて素晴らしい街だろう。ここだけ時間が止まっているようだ。よく使い込まれた店ばかりがぎゅうぎゅうとひしめく。イベントバー「bar moja2」で一日バーテンをする東村愚太に会いに行く。やりたかったけれど、結局縁がなかった青春ごっこに似た何かを、束の間味わう。何度疑似体験しても、やり直そうとしても、その度にそれは戻ってこないのだという事実の色が濃くなってゆく。



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