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星垂れて平野闊く、月湧いて大江流る話

『遠近旅団〜おちこちあまねく〜』と読ませるのは当て字だ。かつて所属していツーリングクラブのキラキラクラブ名である。ちょっと痛いけど、揃いのTシャツくらいしか無かったし、解散にあたって私が貰い受けたので、久し振りに掘り出して埃を払った。
確か10人前後は所属していたと思う。上は60前後から下は22歳。私の一つ下だった。
今では閉店しているバイクショップのオーナーを中心に、常連やメーカーの営業さん、車での参加のパン屋さん、謎の詩人酪農家やら大学生やら会社の同僚やら、多種多様で年齢もバラバラなツーリング仲間である。
私はソロが殆どだったけど、誘われてタイミングが合えば参加していた。
その頃の私は、中古のクラブマンに乗っていたと思う。途中からSRX-6だったはず。私はシングルマニアだったので、事故った繋ぎの時以外は殆ど単気筒に跨っていた。
ちなみにショップのオーナーもSRの単気筒乗り。というかこの人の影響でシングルが好きだったのかもしれない。
クラブと言っても活動は緩くて、真冬を除く四半期に一度、春夏秋に宿泊マスツーリング、有志で月に1度の日帰りマスツーリングといった内容。距離も関東から近辺が多く、無理して距離を稼いだりはしなかった。
集団で走る時こそ交通ルールに厳しく、という方針が恐らく唯一の規則で、非常に気楽に参加できるのが魅力だった。強行軍になったことは殆ど無い。1番キツかったのは高速のトンネルを抜けたら夕立の豪雨と雷の真っ只中に突っ込んで、次のサービスエリアまでの10km余り、下着まで濡れ鼠になった事くらいだろうか。事故は1度も起きなかった。
私が小諸に転属になってからも交流は続いた。私がクラブに所属した期間は6年余りだったが、クラブは10年以上続いていたと思う。バイクショップのオーナーが休日の自宅で心臓が突然止まり、慌ただしく小諸から駆けつけた通夜の席で、サブリーダーのKさんが解散を決めた。
詩人酪農家のKさんが『遠近旅団』の名付け親なのだ、と聞いたのは、その通夜の席だった。
和文タイプライターによる自費出版で何冊かの詩集をものしていたKさんの詩集の中で特に目を引いたのは、ビートルズの和訳自由律詩集だった。評判も悪くなかったらしい。翻訳とはいえ著作権の問題もあるので、部数限定で無料配布されていた。
その一遍に『Hear There Everywhere』の和訳『遠近普遍〜おちこちあまねく〜』があり、オーナーからクラブ名の相談を受けたKさんはここから『遠近旅団』と名付けたそうだ。
Kさんは杜甫の『旅夜書懐』の壮大なイメージにインスパイヤされ、旅への懐(おも)いをクラブ名に乗せたそうだ。
オーナーはこれをいたく気に入り、揃いのTシャツの背中にプリントして皆に配った。私も擦り切れるまで着ていたのだが、さすがに今はもう手元には無い。
Kさんは現役のクラブ員を集めると、すっぱりと解散することを告げた。オーナーは旅の途上に往生した訳じゃないけど、事故じゃなく家族に見守られて死んだんだしさ。皆、事故って死ぬのだけは止めような。皆家族もいるんだしさ。せめて赤の他人に迷惑掛けずに目の届くところで、くたばろうぜ。
ぶっきらぼうにそう言い、皆声を殺して泣いた。
私は小諸に帰る前に、もう一度Kさんと話したくて連絡を取った。
「Kさん」
「何よ、どした?」
「今までありがとうね」
「なになに?お互い様だよ」
「それで相談なんだけどさ」
「怖いな(笑)。金なら無いよ?香典にしちゃったもん」
「Kさんに金はタカらないよ(笑)。あの遠近旅団って名前なんだけど」
「うんうん」
「あれ、オレにくれない?凄く気に入ってるんだ」
「ええ?著作権はビートルズだよ?」
「何に使うって当てはないけどさ、このまま消したくないのよ」
「ふ〜ん・・・。ま、お前さんなら良いか。いいよ、あげるよ」
「ありがと!大事にするよ」
「うん。ま、元気で暮らしてね」
「Kさんも、元気で。たまには小諸にも遊びに着てよ」
「もちろん。その時は連絡するよ」
そうして、『遠近旅団〜おちこちあまねく〜』の名前はKさんから譲ってもらった。
そのKさんも数年前に腎臓を悪くして永眠した。
これはKさんから相続した、私のRN(ラジオネーム)のささやかな物語だ・・・

・・・まぁ、嘘なんですけどね。




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