遠近(おちこち)〜おちこちあまねく〜

普通の既婚社会人。専業の嫁さんと難しい年頃の娘と、少し残念な黒猫と暮らしている。 車は…

遠近(おちこち)〜おちこちあまねく〜

普通の既婚社会人。専業の嫁さんと難しい年頃の娘と、少し残念な黒猫と暮らしている。 車はMT好きだけどスポーツカーには乗らない。身の回りを枯れた技術で固めたいけど、変に過激になるのは違うと思ったりする。

最近の記事

本当に心底どうでも良いであろう話

下天の内をくらぶれている内にとうとう信長より長生きしているが、天下布武は出来ていない。信長も出来なかったのでアイコである。 そんな大きな志はもともと持ち合わせが無いのだが。財布にも二千円しか入っていないし。 そんな私は実は匂いフェチの気がある。ほら、本当に心底どうでも良い話でしょう?いや、待って待って。匂いフェチとか言っても女子高生が1日履いた靴下が〜、とか業の深いタイプではない。臭いに決まっとろうが、そんなもの。 香水が好きなのである。 香水の匂いが好きなだけの、底の浅い

    • 急性胆嚢炎顛末

      発端は8/11に暴飲暴食したことにある。 実は胆石持ちであることは承知していた。人間ドックの超音波検査で「石がありますね」と指摘されていたのだ。私の大雑把な知識は胆嚢の摘出手術に飛びつき、石の存在を記憶から抹消した。怖いじゃないか、手術なんて。 それから数年。もちろん胆石は大きくなる(もしくは増える)事で悪さする気満々に成長する。放っといて良くなるということは絶対にない。 私の場合、胆嚢に出来た胆石の小さな一つがコロリ、と胆管に移動したのが諸悪の根源であった。 胆管の出口で

      • 佐藤さとる著『てのひら島はどこにある』の話

        例に依って、ネタバレ気にせず書き散らすので、未読の方は今すぐ戻り、私をブロックしましょう。 佐藤さとるは恐らく殆どの著作に目を通していると思う。もちろん有名なのは『コロボックルシリーズ』だとか『おばあさんのひこうき』、『赤んぼ大将シリーズ』といったところか。それらはいつか触れるかもしれない。 『てのひら島』の時代背景は恐らく戦前辺りで、『コロボックルシリーズ』の『誰も知らない小さな国』と共通する。双子のお姉ちゃんが亡くなったりする小さな挿話に戦争の事も記載されていたはずだ

        • 時には星の下に眠ると、ヤブカにエラい目にあわされる話

          まぁ、誰しも1度は片岡義男にかぶれる時期があるものなのよ、私の年代なら。 ツーリングクラブに所属してはいたが、実のところ不定休なので予定を合わせるのは容易ではなかった。よってソロツーリングの経験値ばかりが上がっていった。 春先はシフトの終わりが近付くと、ウズウズとしてくる。職場の同僚にも、一人暮らしをしていたから家族にも何も言わず、夜勤明けの薄明の中を出発するのが常だった。 一人旅に出る支度は、常にパッキングされている。ソロキャンプに最低限の荷物に過ぎないが、旅先で足りない物

        本当に心底どうでも良いであろう話

          ハートのエースは出て来ない話

          固有名詞が出て来ない。ハートのエースより出て来ない。 それはつまり私にとって重要ではないということなので、忘却の海へと放流したまま存在を忘れて構わない事象なのだと考えている。 職場の上司の名前とか、歯医者の予約とか。 いや、これは宜しくない。 役者の名前と顔が一致しないのは、若い頃からの話でこれは今更なのである。咄嗟に出てこないことで地球が滅亡する訳ではないので、深刻に考えるようなことでもない(「ところで君はこの主役の男性を覚えているかい?何、名前が出て来ない?では仕方ないな

          ハートのエースは出て来ない話

          Y君が跳ねた日の話

          中学や高校の頃を思い出すのは、私には少し微痛を伴う。ご多分に漏れずに私もそれなりの思春期らしさを発揮して、母や同居している祖母には大変な迷惑を掛けていたし、ほんの少しの好奇心と、自らを省みない軽い自暴自棄とで、言い寄られるままに好きでもない相手と交際し、そのまま経験を重ねたりしてしまっていた。 後悔はしてないがまぁ自慢にもならない。 私はクラスの中に溶け込むのに軽い努力を必要としていたし、同性間の交際には特に気を遣った。 要するに共感性というやつで、興味のないタレントや、今で

          東雲うみは女神である、などとおっさんが宣うドン引き必至の話

          趣味は読書です、などと口にするのは些か面倒を伴うのは、多くの読書子の首肯するところだろう。何しろ市民権を失った。ましてや活字中毒者の域に達してしまうと、もはや変態を見る目で警戒されかねない。筒井康隆の『最後の喫煙者』を思い出す。 この人、活字の本を読むんだって。 えー?本って、あの文字ばっかりの?漫画じゃないの? 違う違う。正真正銘、字ばっかりらしいよ・・・。 うわ。剣呑剣呑。 もはや社会不適合者扱いである。 大型書店は「本を探しに行く所」かと思ったら、雑貨を見る序でに暇を潰

          東雲うみは女神である、などとおっさんが宣うドン引き必至の話

          星垂れて平野闊く、月湧いて大江流る話

          『遠近旅団〜おちこちあまねく〜』と読ませるのは当て字だ。かつて所属していツーリングクラブのキラキラクラブ名である。ちょっと痛いけど、揃いのTシャツくらいしか無かったし、解散にあたって私が貰い受けたので、久し振りに掘り出して埃を払った。 確か10人前後は所属していたと思う。上は60前後から下は22歳。私の一つ下だった。 今では閉店しているバイクショップのオーナーを中心に、常連やメーカーの営業さん、車での参加のパン屋さん、謎の詩人酪農家やら大学生やら会社の同僚やら、多種多様で年齢

          星垂れて平野闊く、月湧いて大江流る話

          ZABADAKという奇跡の軌跡の話

          「〜の話」縛りは止めようか。何だか舌足らずになるのを避けるため、妙に背伸びしたタイトルになってしまう。 例により、ダラダラとZABADAKの想い出を書き散らすだけだ。 ZABADAK論的な文章は他に譲る。 私は『Welcome to ZABADAK』から聴き始めたので、少し遅めのファンだと思う。初めて買ったCDはドゥービー・ブラザーズのベスト盤だったが、2枚目は上記になる。存在を知ったのはTVKの『ミュージックトマトJapan』かな。『美チャンス』のPVだと思う。 当時はま

          小山田いくという色々と早過ぎたご当地作家の話

          小諸市の郷土の偉人的な話題となるやはるか昔からしゃしゃってきたのが、島崎藤村。「ぽーにょぽーにょぽにょ魚の子〜」と歌い出しそうな名前だが、『破壊』や『夜明け前』、『千曲川のスケッチ』などで有名なので、皆様御存知。 ただ「郷土の」となると些か微妙な存在で、小諸義塾に在籍していたのは明治33〜38年までの僅か5年間。ちょーっと無理が無いか? しかも『新生』を読んだら「藤村、おめーはダメだ」とならざるを得ない。当時の女性の地位の低さを差し引いてもお前はロリコンだ。 寧ろ藤村を小諸義

          小山田いくという色々と早過ぎたご当地作家の話

          こもろ市民まつりでそぞろ歩きの話

          建速神社の祇󠄀園前日に神輿担いで前夜祭、とかそういう位置付けなのかな?全く皆目見当もつかないデタラメから導入してみる。 地元民は祇󠄀園、祇󠄀園と言うのよね。 祇󠄀園と言えば京都しか知らなかった私には、そこはかとない違和感があるのだが、あちらは山鉾巡行で神輿ではないし、宵山とか言わなかったっけか。流石にいい加減に過ぎるのでちょっと調べたら祇園祭というのは全国津々浦々で行われている神事であった。物を知らないというのは恐ろしい。 じゃ、祇󠄀園で何?となる。 京都の祇園祭は神仏習合時

          こもろ市民まつりでそぞろ歩きの話

          私の文章作法なんか無いよ、という話

          薄々気付いている人は気付いているでしょうが、私の文章というのは何も構成を考えていない。なんとなくダラダラとフェード・インして始まり、心に移り行く由無し事をそこはかとなく書き綴っている。 本物の才のある方なら、それでも辻褄を合わせてしまうのだろうけど、私の場合はそんな芸当はとてものことではないがかなり厳しい。期待するだけ無駄よ、と開き直るくらい難しい。 そもそも何も考えていない。本当に徒然なるままに、思いついたことを八百屋の店先よりも雑に並べているだけなのだ。 意識の流れをその

          私の文章作法なんか無いよ、という話

          こんな本を読んだよ、という感想文の話

          お前はやたら読書家アピールしてるにしては、取り上げた本が少なくないか?という疑問を抱く方もいらっしゃるかもしれない。まぁ、1人くらいはいるんじゃないか。いない?それは寂しいな。 私の感想文が少ないのは、シンプルに私がバカだからに過ぎない。高踏的にテーマを読み取り、それを言葉にする能力が無いからだ。じゃあ何で読書が趣味だなんて言うのかって、そりゃ本を読む以外は楽器イジるくらいしか趣味らしい趣味がないからだよ。 実のところ、私の感想文嫌いは小学生まで遡る。読書は好きだった。寝て

          こんな本を読んだよ、という感想文の話

          私とラジオの話

          私が小学校の頃、父から3石のトランジスタ・ラジオを贈られた。3石のというのはトランジスタの事。トランジスタが3個、基盤に半田付けされていた。 真空管はどんどんとトランジスタに取って代わられ、ラジオはどんどんと小型化していった。 私のラジオは、掌に少し余る程度の大きさだった。 父は長距離トラックの運転手をしていて、ラジオは身近なものだったので、私にもその楽しさをお裾分けしてくれたのかと思う。 昭和の家庭と言うのは、比較的ラジオが日常的に鳴っているものだった。 学校では友人たち

          Netflixで『The Days』を見たよ、という話

          イーロン・マスクにぺっぺと唾を吐くだけのnoteで1日が終わってしまっては、私の頭がおかしい事が白日のもとに晒されてしまうの。 少しばかり目を逸らさなければならない、気がする。 と言っても基本的にストックは無いので、先日3日ばかりかけて視聴した『The Days』について思ったことなどを、書いておこうかと思う。 テーマは東日本大震災時の福島第一原発の事故を時系列に沿ってドキュメンタリー風に描いていく。 主演の吉田所長を役所広司、部下の副長にnoちゃんこと音尾琢真、原子炉最前

          Netflixで『The Days』を見たよ、という話

          今日の徒然とTwitterの話

          と言ってもほぼワンテーマ。 要するにTwitterが使えないという愚痴にしかならない。 魔が差すというか間が悪いというか。今日に限って早起きした。6時くらいかな。色々服用している私としては、なかなかの早起きっ振りである。 私は自他共に認めるツイ廃なので、当然ながらスマホを起動してTwitterを開くわけだ。朝から。 いつも最初に行うのはTLを逆に辿ること。寝ている間に何が起きていたか、確認したくなるのはツイ廃でなくても当たり前の感情かと思う。当たり前じゃないなら、私の廃人振