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ハートのエースは出て来ない話

固有名詞が出て来ない。ハートのエースより出て来ない。
それはつまり私にとって重要ではないということなので、忘却の海へと放流したまま存在を忘れて構わない事象なのだと考えている。
職場の上司の名前とか、歯医者の予約とか。
いや、これは宜しくない。
役者の名前と顔が一致しないのは、若い頃からの話でこれは今更なのである。咄嗟に出てこないことで地球が滅亡する訳ではないので、深刻に考えるようなことでもない(「ところで君はこの主役の男性を覚えているかい?何、名前が出て来ない?では仕方ないな。永遠にさよならだ」「いやどんな危機だよ!心狭いなおい!」)。
こうした忘却力の高揚を「老人力」と名付けてポジティブに笑ったのが赤瀬川原平の『老人力』である。人間のあらゆる「衰え」を獲得した新たな能力として捉え直した、発想力には脱帽するしかない。
赤瀬川原平の著書はこうした、見方をズラして新たな価値を生む著作が多い。意図せざる方向から街の事物を捉えて芸術を超えた存在とする価値観を発見する『超芸術トマソン』、例文の偏りの中に立ち現れる新たな人格を見出した『新解さんの謎』等々。
凡人などには思いもよらない、深刻な芸術家などは怒り出しそうな発想の数々で、世の中を面白くしてしまう。こうした肩の力の抜けた老人になりたい、などと常々思っている。

ところで、肩の力が抜けるどころか、未だ厨二病を引き摺っていると思われ勝ちだが、私がモヒカン刈りにするのは珍しい話ではない。確かに娘が生まれてからは日和ってソフトモヒカンなどという世間に阿った姿勢を強めに打ち出してきたが、コレも「モヒカンにして」と要求すると美容師が忖度しただけのことだ。
思春期に受けた影響というのは大きくて、私の場合はパンク・ファッションが心の底で燻り続けている。ガーゼシャツや細身のレザーパンツなどを身にまとい、低い位置でギターを構えて跳ね回るスタイルが、私の本来の姿だ。
今は見る影もないデブデブとした肉塊だが。
高校から10年近く組んでいたバンドはバンマスの影響で、いわゆる渋谷系などと呼ばれるお洒落臭い音楽であり、異常なテンションコードの多用や、過激な引用など表に見えない部分はなかなかパンクなアティテュードに溢れていたが、表出する部分は極限までソフィスティケートされていた。
それはそれで非常に楽しい音楽体験ではあったのだが、要求される演奏能力は結構高度なものでもあり、素人に毛が生えたレベルでしかなかった私には、実力の無さが痛感される苦しいものでもあった。
ある日、私はバイク事故で飛び、左前腕の尺骨を縦に剥離骨折する、というなかなかな怪我を負ってしまい、これを機会にバンドから離脱することになった。
決して意図したものではなかったが、リハビリを含めても1年近くは楽器の演奏もままならない、とあっては迷惑も掛けられない。伸び悩みつつあった実力の低さからも遅かれ早かれこうなっていただろう、という自覚もあった。
10年に及ぶ活動だったのだから勿論遺留されたし、お互い苦渋の選択でもあったが、「たぶん、これ以上は実力が追いつかない」という私の言葉は真実でもあったので、円満に脱退ということになった。
ギプス生活の3ヶ月後、筋肉が削げて繋がった尺骨ばかりが浮き上がる左前腕を見て、軽く絶望したのを覚えている。これじゃ楽器は無理だろう。それでも、と私はシンセとサンプラーを購入し、独り宅録の世界に没入していくことになる。
当時渋谷系ムーブメントから打ち込みの音楽に対する抵抗は無かったし、フレーズサンプリングからドラムトラックを作るというのが一般的でもあった。
折しもアメリカではミクスチャー、オルタネイティヴ、グランジといった新しい音楽の勃興もあり、楽器が弾けなくても音楽は作れるという証明は成されている。比較的入りやすい、ハウスやヒップホップ、渋谷系で持て囃されたアシッド・ジャズなどを通り抜けて、例えばギターリフを丸々サンプリングして再構築するような手法が楽しくなってきていた私は、思い通りのリフを自分で弾くようにもなり、生の楽器演奏にも回帰していった。
2年も遊んでいる内に、またぞろバンド活動をしたくなり、完全アマ志向で打ち込みを中心にしたインダストリアル系のバンドコンセプトでメンバーを募集した。
基本的にはハード系になるけど、ギターリフを中心にした打ち込みでギター・ソロは無く、踊れるパンクといった雰囲気。バックトラックは不協和音連発になるが、テーマが強めなら面白いだろう、とインストルメンタルでたまに叫ぶ、という今考えると何だこれ・・・?
初めてライブハウスのオーディションに参加する時、ロン毛だった髪をモヒカンにした。
残年ながら活動は1年程度で私の転勤となり自然消滅したのだが、その時鳴らしていた音楽が、自分の一番したかったことなのだろう、と今でも思っている。
髪の毛は立たせとけ。小綺麗な格好なんてやめろ。叫んで踊れ。楽器はストラップギリギリまで低く構えろ。
こうしたアティテュードが原点にあり、それは結局変わることがない。未だにギターの音はストローク一発最強、と思っている。
ここ数ヶ月、家にこもってすることもない自分が燻ぶった気分を解消するのに、ちょっとモヒカン刈りにしたろ、と軽く考えるのも無理からぬ話なのである。
惜しむらくは、別に反体制とかメッセージに何の興味もなく、過激な音とファッションにしか興味が無かったためかストイックさに欠けた単なるデブに変わり果てた姿でモヒカン刈りになっても、北斗の拳で台詞もなく秘孔を突かれて爆裂するザコにしか見えない事だ。



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