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こもろ市民まつりでそぞろ歩きの話

建速神社の祇󠄀園前日に神輿担いで前夜祭、とかそういう位置付けなのかな?全く皆目見当もつかないデタラメから導入してみる。
地元民は祇󠄀園、祇󠄀園と言うのよね。
祇󠄀園と言えば京都しか知らなかった私には、そこはかとない違和感があるのだが、あちらは山鉾巡行で神輿ではないし、宵山とか言わなかったっけか。流石にいい加減に過ぎるのでちょっと調べたら祇園祭というのは全国津々浦々で行われている神事であった。物を知らないというのは恐ろしい。
じゃ、祇󠄀園で何?となる。
京都の祇園祭は神仏習合時に八坂神社が比叡山に属していた名残で祇園社と呼ばれていたから、とWikiにある。後の神仏分離で祇園社と呼ばれていた八坂神社のお祭りだから、祇園御霊会→祇園祭となったそうだ。
祇󠄀園と言えば「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり」で仏教色が強いのも、上の神仏習合の名残らしい。その祇園精舎の守護神は牛頭天王だそうだ。
牛頭天王を祭神として祀る神社の例大祭は全て祇󠄀園とされる様子なので、小諸の建速神社の祭神も牛頭天王なのであろうか。
心配なので調べたら、祭神は建速須佐之男命でした。なんや。
建速神社は昔、祇園宮と呼ばれていたからだそうでした。
複雑過ぎる。
こもろ市民まつりはその前夜祭って位置付けかな?明日が建速神社の例大祭です。
この様子は島崎藤村の『千曲川のスケッチ』にも描かれていた。
「春蚕の季節が済む頃には、土地では祇園祭の季節を迎える」
『祭りの前夜』『十三日の祇󠄀園』『後の祭り』の章に詳しい。
蚕なんて今では桑の実さえも見かけなくなったが、小諸は養蚕が盛んだったそうで、私のかみさんの実家もかつては養蚕を行っていたそうな。
恐らくは桑の木も探せば自生していることだろうが、蚕は手に入らない。カイコ(カイコガ)は野生回復能力を完全に失ってしまった家畜種の昆虫なのだそうだ。
子供の頃にカイコの繭から絹糸を紡いだ人もいるかもしれない。蛹から変態したカイコガは飛ぶ能力さえもないらしい。
養蚕農家から分けてもらうしか、蚕を手に入れる術はないのだ。
閑話休題。
いずれにしても祭祀としては明日が本番。しかし明日も雨だそうなので、こちらは参加もしない予定。
何しろ今日は過酷に過ぎた。
雨は強弱の差があれ、ずっと振り続けた。
行きは歩きだったのたが、やれ足が痛いのやれ同級生に会いたくないのやれ帯がキツいのとグズグズと言い通し続けた娘がまー五月蠅い五月蠅い(敢えての当て字)。
お前が浴衣を着たがったんだろうが!と言うのは飲み込みつつ、ようやく駅前付近に辿り着いた頃には、雨は本降りに。
全身濡れ鼠になる中、傘は一本切り。
屋台はどれも行列大混雑。人、人、人、毎度の事ながら小諸の何処に隠れていた、と言わんばかりの人の波。
もともと大人神輿の見物、実は弊社の企業神輿が毎年出ているだろうという事での見物である。
ただまぁ待つだけでも辛い状況。正直なところ私は30分で帰りたいと思ったね。思っただけでなく口にしていたね。せめて晴れてりゃ、とも思ったが、実のところ祇󠄀園もドカンショも雨乞いの神事なのではと真剣に疑うレベルで毎度まいど雨に見舞われている。
判っていたのに、祭ということに浮かれポンチだった我が家はうっかり浴衣やら甚平やらに着替えて参加しているんだから世話がない。
祭の恐ろしさというものよ。
昨年の10月から私は体調不良により休職中の身なのだが、不思議なことにこの10ヶ月余り、職場の人間には殆どお目にかかっていない。意図して避けている訳ではなく、まして行動範囲は小諸を出ない。ちょっと買物に出ても同僚と遭遇するのが不思議ではなかったのが、パッタリと消息不明状態。
一応企業勢として神輿も出ているので、顔くらいは見ておこう、なんて腹積もりもあったのだが、雨でグズグズになりながらも、邂逅を果たすことが出来た。
モヒカン刈りで濡れ鼠、この世の不満の全てを煮詰めたような不機嫌顔でビールを舐める姿は、さぞかし不健康極まりない事だが、幸い夜陰に隠れて見えもしなかっただろう。
何人かと話し、相変わらずモラハラ莫迦は猛威を振るっておるらしいことを確認し、もう散々だという気分で帰宅の途に着いた。
毎度思うことだが、祭だというのに酷い目にあった、二度と行かない、という感想は、毎度夏頃に消えているのだ。
さー、来月はドカンショだぜ。


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