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勝手に人のこと盗撮するのやめない?〜サイコパスになれたら日誌12月26日〜


この前こんなツイートがバズりました。

つぶやいた方のプロフを見て一連のツイートも見る限り、聡明な方なのだなと。

人間って自分とは違った立場や人種、身分の人となるといきなり壁を作り拒否するか、あるいは自分の「美意識」にのっとって断罪しようとします。

実際にぼくもその一部になりえたかもしれません。

ただ、いくらなんでもスマホで軽々しく撮る行為はやめるべきですよ。

しかも動画をネットに上げて「変な奴」として捉えてさらすのもどうなのかな。

もっと言えば、あれを「いいね」してる人たちも軽々しすぎるよ。

結局、ああいうのを撮って喜んでる人たちはSNSでバズらせて他人から「いいね」されて承認欲求満たしてるに過ぎないっすもん。

自分自身になんのスキルや才能がないから、他人のちょっと変わったところをネタとして切り取って自分自身のネタとする。

いや、もうすげーな。

SNSに縛られ過ぎだろ。

自分の人生に期待しなくなったら、他人の人生におせっかいかけたくなる。

その気持ち、まったく分からんわ。

こんだけ世の中に自分の良さアピールできる機会あるにも関わらず、それを他人を嘲笑うことで利用してどうすんの。

仮にけなしたところで、虚しさしか残らんて。

撮られた人よりも撮った人とそれを褒め称えてる人たちのほうが、ほとんどビョーキ。

まあそれでフォロワーとか増やして同じ穴のむじなで群がってるのなら、それでいいけどこういう人たちとはまーじーで関わりたくねえなって心底思った。

ついつい感情的に書き綴っちゃいましたが、撮られた人たちの気持ちとかつらさとか僕も分かります。
僕自身も精神病に犯されて他人から見れば変な人に見られてきたからです。

電車でひとりごと言ってるのは、もしかしたらさっきのツイートにもあった通り幻覚や幻聴と戦ってるのかもしれない。

僕も長年それに苦しんで、けっこー自分自身を傷つけてきたんで。

他人から見ればアホみたいな行為だし、僕自身も振り返ってみればアホだなーと今では思っています。

ただ自分自身を「ああーアホだったな」って振り返れるだけでも良かったと今では実感してます。

だから他人のこと盗撮したり他人の嫌がるようなことして、それを人様に見えるような形にして見せつける人やそいつらを褒めるような人たちも「ああーアホだったな」って振り返れたら良いと心底思います。

「他人を赦す」って人と接することのなかで、いちばん難しいもん。

お互い赦しあいましょうよ。

まあ言いたいことは、他人や他人の嫌がるようなことして自分の承認欲求満たすのやめましょうよってはなし。

以上。

本日のお絵かき



#日記 #コラム #エッセイ #オピニオン

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