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金稼げればフォロワーいっぱいいれば、美意識とかどうでもいい?〜サイコパスになれたら日誌1月1日〜

あけましておめでとうございます。

去年の年末から始めたnoteで、どうせ誰も見ないよねって思ってましたが、インスタと同じでnoteはいろんな方々からぼくみたいな新参者でもチェックしてくれてることに感謝してます。

自己満で始め、学んだことや思ったことをひたすらアウトプットする場としてとりあえずはてなブログでもtwitterでもなく、このnoteを選んだこと自体まちがいじゃないように毎日投稿していきます。

ぼくも他人のnoteを見ながら、良い文章や面白いイラストを出せるように日々やりきります。

ただ仮にフォローされたとしても、おそらくフォローを返さないかもしれないんで、そこんとこよろしくです。

ただフォロワーの数を稼ぎたいと思うなら返して、ぼくからもがんがんフォローしまくったほうが良いのかもしれません。

よくあるSNSのフォロー増やし作戦ですよね。

ぼくもインスタやってて、ただ描いたイラストを投稿しただけなのにスッゲー綺麗なモデルさんからフォローされて、つい嬉しくなってフォローを返したことがありました。

こんな人もぼくのアカウント気に入ってくれてるんだなーって悦に入ってました。

ところが、翌日その人からフォローが外されていました。

えっ?なんで??なんか気に触ること、投稿したかな?

って思ったのもつかの間、ただのフォロワー稼ぎのために初参者を利用していただけなのかーって勝手に納得させていただきました。

正直やり方としてなんかダサい。

ぼくは本来SNSは世代や立場や人種を超えて、同じ価値観を持ってる人たちとつながり合うためのツールだと思ってるんで、ただ「数を稼ぐ」ために利用するなんてのは、ぼくには合わないです。

ビジネス思考で行ったら、とにかく「数」ってのは重要だし、ぼくの考え方なんて甘ったれてると思われるでしょう。

ただ、ぼくはSNSなんて最初使ううちは「数」なんてどーーーーーでもよくてぼくが発信したものに共感を得て、その人たちとつながれたらそれで良いと思ってます。

「数」にこだわるんだったら、いずれその「数」は膨れ上がって、やがて小さな町は大都市になるでしょう。

ぼくは別に町も大都市も目指さず、とりあえず小さな村で仲良く暮らしていける、ほんわかとしたコミュニティをSNSで築けたらいいなって考えてます。

ぼくとは対極的に損得勘定で動き「数」を重要視する市場規範に基づいて動くインフルエンサーもネット上に少なからずいます。

そしてインフルエンサーを支持するフォロワーたちも何万といるのは事実です。

どうすれば「数」を稼げるかを熟知しているインフルエンサーから学べることは多々あります。

フォロワーたちは、インフルエンサーの発言がぶれようがぶれまいが、ただインフルエンサーの言うことに「はい!はい!はい!」と答えてるだけにしか見えません。

たとえインフルエンサーの発言が不特定多数の人たちを傷つけるような発言でも、目が向けられるようならなんなりとします。そしてフォロワーたちも、それを真似ます。ダサい。

良い意味でも悪い意味でも、サイコパスです。

ただダン・アリエリーさんの行動経済学に関する著書「予想通りに不合理」に書かれてましたが、仮に市場規範に基づくインフルエンサーについていったとしても長期的に見れば、やがてそのフォロワーはついていかなくなり、むしろコミュニティ全体の質の低下につながっていきます。

なぜならインフルエンサーとそのフォロワーたちは関係を長続きさせ、互いに思考をもって作り上げていく社会的規範ではなく、市場規範というただの「数」という分かりやすすぎる概念だけに縛られた関係に過ぎないからです。

また、ある決まった価値観や思想の一貫性がない人は、いずれ新しい人々がついてきたところで昔から親しんでいた人たちに疎まれていきます。

これは、とあるコアなインディーズバンドが売れ始めて小さいライブ会場から応援し続けていた古参のファンが、そのバンドがメジャーに進出して売れ線路線に走った途端に「あー昔のほうが良かったな」とか言うあの現象に近いです。

だから、ぼく自身はインフルエンサーに憧れないし増してやフォロワーの数なんてどうでもいいです。

フォロワー稼ぎなんかせず1人でも多くのぼくの価値観や考え方に共有してくれる人たちが増えていけばいい、と2019年を迎えていきます。

ぼくはあーだこーだ言ってぶれずに、いろんな人たちと知識を共有しあいたい。

ただそれだけ。

今後とも、よろしくお願いします。

#日記 #コラム #エッセイ

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