生類憐れみの令から、治安維持法、そして共謀罪まで!「悪法」とは何か? 正義と法の歴史学

――「通信の秘密」を制限しかねない通信傍受法、集団的自衛権を認めた安保法制、そして現在国会にて審議中の「共謀罪」法案──。いま、「法」にまつわるニュースが世間を騒がせている。「悪法」だとの批判も多いこれらの法を、我々はどう考えればよいのか? ソクラテスが死の間際に語ったとされる通り、「悪法もまた法なり」なのか? 識者に話を聞きつつ、考察する。

第5代将軍、徳川綱吉。将軍在位中の1685(貞享2)年以降、いわゆる生類憐れみの令を何度も発布し、のちに「犬公方」とも呼ばれた。

 1999年に制定され、日本国憲法で保障された「通信の秘密」を犯す可能性があるとして物議を醸した「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(「通信傍受法」)や、2016年に施行された「平和安全法制」に含まれる集団的自衛権がやはり違憲だとされる問題、また最近では“共謀罪”ならぬ「テロ等準備罪」創設問題など、昨今、「法」にまつわるニュースがしばしば話題となっている。それらの法(案)には一定の賛成意見もある一方、憲法違反の悪法である、などといった指摘がリベラル勢力・左派勢力から強く出ているのも事実だ。

 もっと身近なところにも法の問題は存在する。例えば健康増進法改正による受動喫煙防止策。屋内外での喫煙が厳しく規制され賛成の声も多いが、「国民の喫煙を楽しむ自由を奪う」「飲食店にとっては死活問題」として「悪法」と批判する声も多い。

 しかしでは、そこで言及されている「悪」とはなんなのか? 誰が成す、誰に対しての「悪」なのか──。

 そこで本稿では、法律における「悪」の問題について、まずは歴史を振り返りつつ考えてみたい。

 そもそも法は、条文だけで成り立っているわけではない。立法府たる国会が法律を作り、行政権力がその法律をもとに権力を執行──刑法事案であれば警察による逮捕──する、しかし行政権力のその判断が妥当なのかどうかを裁判所が判断し、場合によっては行政権力の判断に待ったを突きつける──。細部の違いはあれど、これが、日本を含む多くの近代国家が採っている三権分立に基づいた法の“運用システム”である。そう、法は条文だけではなく、その実際の運用との両輪で成り立っているのだ。

 では、そうしたシステムが導入される近代以前はどうだったのか? 日本法制史が専門の明治大学法学部教授・村上一博氏は次のように語る。

「法が一定の正義の実現を希求していたのは前近代でも変わりありません。もちろん三権分立などありませんし、いまの価値観に立てば考えられない“悪法”もたくさんありはしましたが」

 特に殺伐とした戦国の世が終わった後の江戸時代は、幕府が儒教をベースとした統治をしたこともあり、儒教における仁や義の精神が法にも生かされるようになる。その精神が極端な形で発露したともいえるのが、過剰な動物愛護精神のもと徳川綱吉の時代に発布された、悪法としても名高い「生類憐れみの令」(1685年)だろう。

「この法令が実際にどれほど悪法だったのかについては、実は歴史学上は判断が分かれるところなのですが、そこは措くとして、実は江戸時代の法は、各藩によってかなり対応が違うことも多かったのです。この法令は、幕府の直轄領だけではなく全国すべての藩が対象となる『惣触』として何度か発布され、犬だけでなくさまざまな動物を対象に、乱暴に扱ったり殺して食したりすれば最悪死罪もあるほど厳しいものでした。ところが、幕府のご機嫌伺いをしなければいけない小藩などはかなり厳密に運用する一方で、一応守っているふりをするポーズだけの藩も多かったことがわかっています。当時は藩の集合体による連邦国家ですから、法によっては幕府もあまりうるさいことは言わず、事実上、藩によってある程度自由な法の運用が認められていたわけですね」(村上氏)

 ところが、例えばキリシタンの取り締まりに関連する惣触などは、全国すべての藩にまで厳しく行き渡っていたとか。こうした形で幕府は、悪法をいわば適度に“加減”して柔軟に運用していたわけだ。

 一方で実際の裁判では、それとは逆の、極めて厳密な法の適用が見られる場面もあったという。

「『遠山の金さん』のように、いわば法を無視して人情で裁くというのはあくまでもフィクション。裁判を行う奉行所には『例繰方』という専門の役人がいて、過去の判例と照らし合わせ、判決に齟齬がないかをきちんと確認していたんです。これはつまり、ケースバイケースで法が暴走するのが防止され、法の下の平等がある程度実現していたという言い方も可能でしょう」(村上氏)

 ここでもいわば、悪法を阻止するシステムが機能していたわけだ。

 ちなみに江戸時代の刑法は、現代に比べるとかなり具体的。行為に対する刑罰が、ひとつひとつ細かく定められていた。8代将軍吉宗の時代に完成した基本法典「公事方御定書」(1738年に完成)を見ると、「人殺并疵附等御仕置之事(殺人罪)」には、「主殺 二日晒一日引廻 鋸挽之上 磔」(主人・親を殺した者は二日晒し、一日引き回し、のこぎりの上張り付け)、「地主を殺候家守 引廻之上 獄門」(地主を殺した家守 引き回しの上さらし首)等々、具体的なケースとそれに対応する刑罰とが列挙されている。すなわち、主殺しであればどんな犯人Aのケースも犯人Bのケースも刑罰は同じ。平等といえば平等で明解だが、個々のケースの状況を考慮されることもなく、情状酌量の余地はあまりない。また、法令に記述されている例にすべてが当てはまるとは当然限らず、裁くことが難しい事件も多くあったようである。

拡大解釈が可能な治安維持法の怖さ

治安維持法といえばこの人、1933(昭和8)年に特高警察により拷問死した、プロレタリア作家、小林多喜二。治安維持法で逮捕され、収監歴もある。

 明治時代に入ると、欧化政策のもと、近代的な法システムが取り入れられていく。先述した立法・行政・司法の三権分立。そして、実際の法の条文。

「江戸時代までの日本の法令の条文と明治以降の近代法の条文との大きな違いは、論理的かどうかです。近代法は論理的、演繹的。つまり、条文自体は抽象度が高い」(村上氏)

 例えば、明治13年に布告された「旧刑法」において、殺人罪は次のように記述されている。

「予メ謀テ人ヲ殺シタル者ハ謀殺ノ罪ト為シ死刑ニ処ス」(計画的な殺人は死刑)、「支解折割其他惨刻ノ所為ヲ以テ人ヲ故殺シタル者ハ死刑ニ処ス」(バラバラ殺人のほか残酷な殺人は死刑)

 つまり、先述の「公事方御定書」とは違い、個別具体的なケースまでは叙述せず、なるべく大きなカテゴリーでのみ規定しておき、細かな差異へは、裁判所が判例を積み重ねる中で対応していく、というわけだ。これは、権力が抑制的でありさえすれば、近代以前に比べて極めて合理的なシステムである。法の条文によって細かく国民が縛られることはないし、法に明確には規定されていない新しい事態が出現しても、裁判所の判断によって柔軟に対応することが可能だからだ。

 しかしこれは、もろ刃の剣でもある。行政権力が積極的に国民を抑圧しようとしてきた場合にはどうだろうか? 法の条文が抽象的である以上、どんな行為でも国民を縛ることができてしまうし、その行政権力に対して裁判所も抗することなく追随してしまえば、法の柔軟な運用どころか、いとも簡単に国民を罪人に仕立てることができてしまう。

 そして、まさにこれこそが、近代における「悪法」の典型例となっていく。悪法は、あからさまな形では国民を抑圧しない。むしろ、どんなふうにでも解釈できるからこそ、行政権力に暴走の余地を与えてしまう。だからこそ危険なのだ。

 例えば、旧刑法の布告前に出された新聞紙条例(1875年/明治8年)。その第37条には、「政体ヲ変壊シ朝憲ヲ紊乱セントスルノ論説ヲ記載シタル者ハ一年以上三年以下ノ軽禁錮ニ処シ百円以上三百円以下ノ罰金ヲ付加ス」(1883年/明治16年4月改正版)とある。

「布告されたのは自由民権運動が盛り上がりを見せていた時期であり、これを取り締まりたいという意図があって制定されたことは明らか。『朝憲を紊乱せんとする』とは国家を転覆しようとすることですが、それが具体的にどういう行為を指すのかは何も書かれていません。取り締まる側がその内容を徐々に拡大させ、また法そのものも改正という名の“改悪”を重ね、言論統制の手段として都合よく用いられていきました」(村上氏)

 そして、これとまったく同じ構造を持つのが、歴史の教科書にも登場する、悪名高き「治安維持法」(1925年/大正14年制定)である。第1条はこうだ。

「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的卜テシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス」

 新聞紙条例同様、「国体変革」が何を指すのか具体的には書かれていない。ときはロシア革命(1917年)が起きて数年後。日本にも共産主義の波が押し寄せてきていた時期であり、武力革命を是認する共産主義運動を取り締まるために作られた法だった。ゆえに、悪法だという認識は、当初は国民の中にも強くはなかったであろう。しかしその後、労働運動をはじめ多くの社会変革運動までをも対象とするようになり、政府にとって都合の悪いあらゆる言論は統制、弾圧され、結果的に戦争へと突入していく軍国主義化の流れを大いに助長させることになってしまったのは、歴史が物語っている通りであろう。

法の正義は人類の遺産

 こうした経緯をふまえ、敗戦後の1947(昭和22)年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示のもと施行されたのが、日本国憲法である。

 国家元首であり「統治権の総覧者」でもある天皇のもと、国民(臣民)の権利は大幅に制限されていた戦前の大日本帝国憲法下とは異なり、この日本国憲法は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つを柱とし、国民の権利・自由を明確に保障している。

 となれば、戦前の治安維持法のような、国民を著しく抑圧するような悪法は生まれ得ないようにも思われる。しかし冒頭でも述べた通り、戦後70年のここにきて、その憲法に違反するのではないかと指摘されるような法律が次々と制定されているのが現実だ。

 特に問題となっているのが、現在開会中の通常国会で審議されている「共謀罪」。安倍晋三首相は、テロ対策を目的とした「テロ等準備罪」という呼称を用いて、適用対象を「組織的犯罪集団」とし、「一般の人が対象になることはない」と説明。しかし、では「組織的犯罪集団」とはなんなのかは、明示されてはいない……。

「共謀罪は、治安維持法を想起させますね。『犯罪の共謀をした』と警察に見なされればなんでもかんでも逮捕されてしまうような事態を招きかねない。犯罪行為の定義が曖昧だと、行政権力の暴走の余地を残してしまいます。安倍首相が答弁したように、制定時にはそのつもりはなくても、のちのちどんどん悪い運用の仕方をされかねないのは、治安維持法で我々が学んだ通りです」(村上氏)

 しかし北朝鮮の脅威など、時代はきな臭い。不測の事態に対応するため、ある程度強力な法を準備しておくことも大切なのではなかろうか?

「法は、長い歴史をもっていまにいたっています。日本でいえば、先述した江戸時代よりさらに昔、奈良時代末の律令制以来の長い歴史。そして世界の法の歴史。それは、ローマ法以来の長い歴史の中で、法の下の平等や正義の実現を目指しながら、少しずつ磨かれ少しずつ進歩していまにいたり、その法体系を日本を始めとする世界各国がそれぞれに導入し、運用しているわけです。そのような法のあり方を、悪法によってひっくり返してしまうというのは、いわば“人類全体の遺産”に対する裏切りであり、あってはならないことではないでしょうか」(村上氏)

 さて、本日より順次公開記事では、法哲学者、立法関係者らが考える“悪法”について論じ、現代における法と悪の問題についてさらに考えていきたい。

(取材・文/安楽由紀子)

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