「アラブの春」で変わる映画の世界――ニュースだけでは理解できない! “中東情勢の今”がわかる映画評

――これまで日本人にはあまりなじみのなかった中東映画だが、最近は質・量ともにレベルが高まり、専門メディアなどで紹介されることが多くなってきた。ここ数年話題になったシリアとパレスチナの作品を中心に、その魅力と混迷を極める中東諸国の現実を見ていこう。

『ラッカは静かに虐殺されている』より。(C)2017 A&E Television Networks, LLC | Our Time Projects, LLC

 内戦の続くシリアに取材のために入り拘束され、3年4カ月にわたり監禁されていたジャーナリスト安田純平氏の解放、そして帰国。11月2日に行われた記者会見は、さまざまな波紋を引き起こした。危険な地域に自ら入っていったことの「自己責任論」を問う意見も多かったが、記者会見で、安田氏はそれに答えるように、「現地に入るジャーナリストの存在は絶対的に必要」と語ったのだった。

 2010年にチュニジアで始まった民主化運動「アラブの春」をきっかけとしたシリア紛争は、過激派組織IS(イスラム国)が台頭し、イラクとシリアで広大な地域を支配したことで混迷を極める。やがてアサド政権、反体制派組織、クルド人組織、ISが入り乱れた内戦によって、多くの街が瓦礫と化した。18年現在、ISの勢力こそ弱まったものの、収束とはほど遠い状況にある。

 そんなシリア内戦の様子を、現地の若者たちがスマホの力で世界に伝えようとする様子をとらえたドキュメンタリー映画が、17年にアメリカで、18年には日本でも公開された。その映画は『ラッカは静かに虐殺されている』。20代のシリア人の若者たちが、市民ジャーナリスト集団“RBSS(ラッカは静かに虐殺されている)”を結成し、ISに歯向かう者は処刑され、広場に首を晒されるという惨状を命がけで撮影し、SNSに投稿する。アメリカ人の監督マシュー・ハイネマンは彼らにインタビューを重ね、シリアの置かれた現状と伝えるということの使命について描いている。

 この映画について、東京外国語大学で教鞭を執るアラブ文学研究者の山本薫氏は、「紛争地に生きる若い人たちが、自分たちの力で何ができるのか模索して、スマホという小さな最新機器を使って情報を発信していく姿に、ジャーナリズムの役割について否応なく考えさせられる作品です」と話す。

『ラッカは静かに虐殺されている』の主人公である、市民ジャーリスト集団“RBSS”は、20代の、結婚を夢見るような普通の若者たちである。活動をすることで、ISから脅迫を受けるだけでなく、家族を殺され、その処刑映像がISによって公開されているのを目にすることにもなる。トルコを経てドイツに亡命するが、ドイツ社会にもなかなかなじむことができない。RBSSは15年の「国際報道自由賞」を受賞し、メンバーはニューヨークの授賞式に出席するという栄誉にも浴するが、彼らの心の傷は癒えない。ラストシーンで、たばこを吸いながら小刻みに震えるメンバーの手が、その傷の深さを雄弁に物語っている――。なお、本作を始めとするアップリンク配給作品は、同社運営のオンライン映画サイト『アップリンク・クラウド』で見ることもできる。

 同じくシリアを舞台としたドキュメンタリーが『ラジオ・コバニ』。14年からISの支配下となった同国北部のクルド人街・コバニ。瓦礫と化した街で、人々の声を伝えるラジオ局を始めた20歳の女子大学生、ディロバンが本作の主人公だ。スマホを使ってフェイスブックで婚約者とやりとりをし、女友だちと恋バナに興じる彼女もまた、等身大のひとりの若者である。しかし、そんな彼女の住む街は、内戦により無残に破壊された。カメラは、瓦礫の中に埋もれていたちぎれた死体も容赦なく写し出す。イラク出身でオランダ在住のラベー・ドスキー監督は、なぜ死体を写したのかという問いに対し、「あのような死体を5分と見ていられないなら、死体の中で暮らす子どもたちの生活は感じ取れない」と答えたという。

 また、本作には、捕らえられたIS兵士が、「アッラーのために戦った」と言いながら、クルド人女性兵士に「女や子どもの首を切り落とすのがイスラームの教えなの?」と問いつめられると言葉につまり、「こんなことになるとは思わなかった。家族に会いたい」と訴える姿も撮影している。残虐行為を働くIS兵士も、またひとりの人間であることが伝わると、より一層戦争の愚かしい所業が虚しいものに感じられる。シリアの置かれた現実を、2本の映画はまざまざと写し出している。

天井のない監獄……パレスチナの現実

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