【対談】東 浩紀(哲学者・作家)×磯部 涼(音楽ライター)――貧困地域を観光するのはタブーか?“スラム・ツーリズム”の本質と功罪

原発事故が起きた地であるチェルノブイリと福島を観光の対象とし、ポジティブな“ダーク・ツーリズム”を提唱してきた哲学者の東浩紀。一方、工業都市・川崎のラップからヤクザ、ドラッグ、売春、貧困、差別までドキュメントした著書『ルポ 川崎』が話題の音楽ライター・磯部涼。2人が“スラム・ツーリズム”をめぐって激論を交わす!

(写真/堀哲平)

 本誌のルポルタージュ連載をもとに2017年12月に出版され、大きな話題を呼んでいる磯部涼著『ルポ 川崎』(小社刊)。音楽ライターである磯部氏ならではの視点で、神奈川県川崎市の主に川崎区で生まれ育ったラッパーやダンサー、不良少年らにインタビューを行い、そこから貧困家庭、高齢の生活保護受給者、外国人労働者らが集まる“川崎”をあぶりだしたノンフィクションだ。しかし連載中には、川崎の貧困地域を興味本位で訪れて描いた“スラム・ツーリズム”ではないか、という批判もあったという。このスラム・ツーリズムは、イギリスの観光学者が提案した、悲劇の地を観光の対象とする“ダーク・ツーリズム”の一種だが、そんな意見に対して磯部氏は同書でこう述べる。

「スラム・ツーリズムは、文字通り、スラム=貧困地域という、現在進行系で人々が生活している場所を訪れるため、たとえ慈善や学習のような目的があったとしても、より倫理的な問題が発生しやすくなる。〈中略〉もちろん、この連載にも同様の側面がある。また、それは何も編集部からのオーダーではなく、筆者が心の奥底に抱えているスラム・ツーリズム的な欲望の表出にほかならない。〈中略〉それでも、当連載がいわゆるスラム・ツーリズムと違うのかどうかは、単に見物をして帰っていくのか、それとも、訪れた先のために何かをするのかにかかっているだろう」

 一方、哲学者の東浩紀氏は、13年に『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)を出版。“フクシマ”の原発事故というイメージが世界に流通していることを踏まえ、「事故現場を見てみたい」「廃墟を見てみたい」といった感情を逆手に取って福島の魅力を世界に発信すべきであるという、積極的なダーク・ツーリズムを提案した。

“怖いもの見たさ”で特定の地域社会のダークサイドをのぞき見ることは、許されるのか否か——。磯部氏と東氏が、川崎という都市を手がかりにしながら、スラム・ツーリズムについて語り合った。

「東京DEEP案内」と『ルポ 川崎』の違い

左上より時計回りに磯部涼著『ルポ 川崎』(サイゾー)、東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)、東浩紀編『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2』(同)、東浩紀編『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』(同)。

東浩紀(以下、東) 僕は以前、川崎市多摩区に住んでいたこともあり、土地勘があったので『ルポ 川崎』を面白く読みました。特に、リーマンショックが街に大きな影響を与えたことや、2000年頃からじゃぱゆきさんといわれていたフィリピン人女性の子どもたちが増えてきたことなど、知らない情報がたくさんあったので、勉強になりましたね。ただ、この本には実際の固有名や地名が多く出てくるので、地元の人たちからの反発はなかったのかなと。証言者も通常は名前を隠すことを望むと思うんですけど、これだけはっきり書けたのはなぜですか?

磯部涼(以下、磯部) 取材を始めた2015年は、川崎区の多摩川河川敷で中1男子生徒殺害事件が起きたり、同じく川崎区の日進町で簡易宿泊所火災が発生したりして、マスコミもたくさん川崎区に入っていたので、地元の人はどういう視点で書かれるのか気にしていました。先日、出版記念トークショーをしたときも、川崎市の広報の人が来て「『ここは、地獄か?』という帯文はあなたが考えたのですか?」と質問されてちょっとピリっとしましたね。ただ、そのときも言ったのですが、『ルポ 川崎』は川崎南部に日本が抱えている問題を見る本であって、仮に川崎が地獄だとしたら日本全体が地獄かもしれない、もしくは問題を解決するためのヒントも川崎にある、と言いたいのだと読んでいただければわかるかと思います。証言者の中にはその点に納得して、協力してくださった方もいました。「東京DEEP案内」というサイトがありますが、あれは貧困地区や多文化地区を訪れて偏見を下に不安を煽る、一方的なスラム・ツーリズムの典型で、それを反面教師として書いたようなところもあります。

 連載時はネットでも公開していましたが、炎上したことはなかったですか?

磯部 ほぼないですね。地元出身の人気ラップ・グループ、BAD HOPに語り部になってもらったこともよかったと思います。

 地元には、「オレたちの街をBAD HOPが認めている」と受け取っている若者もいるんでしょうね。

磯部 そこが書きたかったことでもあるんです。川崎南部で反差別運動や貧困対策をしている人たちは、地元の状況を改善したいという問題意識を持っているわけで、もちろんそれは大切なことなんですけど、一方でラッパーや彼らにあこがれる不良少年たちの中には、むしろ、外部からのスラム・ツーリズム的な視線を内面化し、アイデンティティとしている者も多い。「ヤバい街に住んでいるから、オレらもヤバいんだ」と。だからこそ、この本では一概にスラム・ツーリズムを否定もしなかったんです。当初、川崎市内にある書店の中には「この帯ですか!」と驚かれたところもあったようですが、やはり読んだ上で理解してくださった店舗も多かったですね。ただ、中原区・武蔵小杉の書店は置いてくれなかった……。

 武蔵小杉は2000年代以降の再開発で次々にタワーマンションが建てられましたが、確かにそこに移り住んできた新住民がこの本を理解するのは難しいかもしれない。でも、川崎区にあるショッピングモールのラゾーナ(ラゾーナ川崎プラザ)の書店では売りやすいでしょうね。あそこから“地獄”まで徒歩数分という距離ですから(笑)。

磯部 06年にラゾーナができたばかりの頃は、フードコートに酒を持ち込んでたまっていた人たちがいたそうですね。

 僕はラゾーナができた翌年に大田区に引っ越してきたので、しばしば訪れてその変遷を見てきたのですが、最初の頃はさまざまな人が来ていたようで、トイレに「ここで寝ないでください」といった貼り紙もありました。今はセグメント化されているので、そういったことはないですが。

磯部 僕は幼い子どもがいるので、最近、ラゾーナによく行くんですけど、いたって普通の雰囲気です。

 そうですね。僕がショッピングモールについて考えるようになったのは、実はラゾーナがきっかけです。あそこは、東芝の川崎事業所(旧・堀川町工場)跡地なんですね。高度経済成長期に伸びた第二次産業がだんだん衰退すると、工場の広大な敷地がショッピングモールに転換されることが多かったんです。例えば、豊洲のららぽーとは、石川島播磨重工業の工場跡地です。そうしたショッピングモールの中でも、ラゾーナはよくできています。大きな駐車場がある一方で、川崎駅というターミナル駅に直結しているので、電車の客も車の客も混ざる空間になっているし、川崎市の北部(麻生区、多摩区、宮前区、高津区)と南部(中原区、幸区、川崎区)の住民が混ざる場所にもなっているんですよ。普通、ショッピングモールは郊外に新しくポンとできることが多いので、車で来る新住民ばかりで、多様性が出ません。しかし、ラゾーナの立地は、ラゾーナがどんなに洗練しようとがんばってても、“川崎”が容赦なく入ってくる。つまり、臨海部である川崎区らしいものが排除されているように見えて、実は流入しているわけです。

『福島第一原発観光地化計画』より。雑草で覆われた運行停止中の常磐線の線路。(撮影/新津保建秀、提供/ゲンロン)

磯部 本書では「川崎は二つの顔を持っている」と書いています。その二面性を北部と南部という区分が象徴していて、前者はニュータウン、後者は工場地帯として開発されてきた。もともと、両者の間にはある種の断絶があったように思うんです。

 断絶といえば、同じ川崎市でも先ほど挙がった武蔵小杉(南部の中原区)だけ特殊ですよね。近年はSUUMOの「住みたい街ランキング」関東版の上位に入っているでしょう? 昔の何もなかった時代を知る人間からすると、信じられないことですよ。

磯部 川崎区にしても再開発が進んでいて、中1男子生徒殺害事件の現場はリヴァリエという3棟からなるタワーマンションの真横です。川崎区というと、ある年齢以上の人にとっては“公害の街”“風俗の街”というイメージでしたが、それも北部のニュータウン的なイメージに上書きされつつあるのかもしれません。

東 その北部的なものが川崎駅周辺にまで侵入したことで、インターフェースができている。それが街のダイナミズムにつながっていくと思うんです。

磯部 一方で、川崎駅に近い日進町の簡易宿泊所火災事件では、同施設の利用者の9割が生活保護受給者であったことが驚きをもって報じられました。そこには、行政が川崎駅前からホームレスを排除するために簡易宿泊所に誘導したという側面もあり、施設側も部屋を増やすために違法建築を行った結果、火災の際に火の回りが早くなった。ただ、近年は行政もアパートへの転居を促しているようで、そうでなくても利用者は高齢ですし、今後は空き家が増えていくでしょう。日進町では廃工場をリノベートしたコワーキングスペースができたり、簡易宿泊所を外国人観光客向けにしたらどうかというアイディアがあったりするようですが、対してジェントリフィケーション(低所得層の居住地域を再開発や新産業の誘致で高級化することを指すが、それによる地価の高騰で旧来住民が追い出され、地域文化が一変するケースもある)だと批判する声も上がっています。

 ホームレスにしてもスラム街にしても、ずっと住民が若いままならジェントリフィケーションは不要ですが、現実はそうではないのが頭の痛いところですよね。渋谷区が宮下公園のホームレスを強制排除して再開発したような、乱暴なジェントリフィケーションは避けるべきですが、行政がうまい落としどころを見つけて再開発をする必要はあると思います。

スラム・マニアによる無神経なツイート

『ルポ 川崎』より。左上:川崎競輪にいる年老いた男性客 右上:川崎区日進町の簡易宿泊所 左下:川崎区池上町に打ち捨てられた小型トラック 右下:川崎区桜本で行われた「日本のまつり」の参加者(写真/細倉真弓)

東 ここで本題に戻りますが、スラム・ツーリズムは、スラム側が利用すれば、いいものにもなりうると思うんです。その地域にツーリストからの金が落ちるし、地元社会や住民に対する理解も深まりますからね。在日コリアンをはじめ多国籍の住民が川崎にいることを外部の人に知ってもらうにも、ツーリズムという手段を使うしかないでしょう。ただ、そのツーリズムの主体は誰か、ということが重要なんです。

磯部 ダーク・ツーリズムの場合は、基本的に自治体が主体なんですか?

 そうとは限らないと思います。ただ、僕としては、自治体と住民が地元の悲劇を積極的に受け入れて、利用していくことが大切だと思っています。「私たちはそういうふうに見られたくない」と言ってしまうと、ツーリズムという選択肢はなくなってしまいますから。例えば、今、沖縄で反基地運動を行っている人たちには、ツーリズムについて反対の人もいる。しかし、他人に問題をわかってもらうためには、資本主義と多少の妥協が必要。「観光客が基地を見るだけでは不十分。当事者の話を聞け」と言うかもしれませんが、それだって、当事者は多様ですから「誰に話を聞けばいいのか?」ということになる。潔癖性は逆に、土地の理解を深める上で妨げになるように思います。

磯部 「『ルポ 川崎』を読んで川崎区のさらに南部に足を運んでみたいと思ったのですが、どうすればいいですか?」と聞かれることがあります。そのときに言うのは、無難な答えですけど、「是非、ゴハンを食べに行ってください」ということです。川崎区は在日コリアンが多いので焼肉が有名ですが、ほかにもブラジル料理やペルー料理といったさまざまな国の美味しい料理が食べられます。地元にお金を落とすことにもなりますしね。ところで、ダーク・ツーリズムとスラム・ツーリズムが大きく違う点は、前者で訪れるのは遺跡が多いのに対して、後者は現在も人が住んでいる場所だっていうことですよね。スラム・ツーリスト系のツイッター・アカウントを見ると、「いい感じのボロ家発見!」などとコメントを付けて勝手に写真をアップしていたりするんですが、そういう行為に対して住民はさすがにいい気持ちはしません。

 その問題は難しいところがあります。例えば、3・11で被災した民家の写真を撮って、「これはヒドい」とツイートすることは、いいことなのか悪いことなのか……。「そういうことは被災者の感情を逆なでするから、絶対にやってはいけない」となると、情報の共有が制限されて、現実の悲惨さが伝わらなくなってしまう可能性もある。だから、ケースバイケースですよね。まあ、「いい感じのボロ家発見!」と書くのはどう考えてもマズいので、写真のキャプションの問題でもあるかもしれませんが……。

 スラム・ツーリズムのもうひとつの問題は、貧困に悩む住民がその狭い地域の中だけにいるととらえると、動物園に行くような行為になるということ。スラムの住民もまた同じ社会の仲間で、“こちら側”にも来ている人であることを忘れてはならない。

磯部 『ルポ 川崎』ではそれを、あちらとこちらを隔てる“川”に例えて書きました。僕自身、当初は自宅のある世田谷区から電車で多摩川を渡って川崎区に行き、“対岸の火事”をツーリズム的に取材していたようなところがありました。しかし、何度も多摩川を渡っているうちに、川崎区が馴染みのある街になった。そして、自分の生活と地続きになり、そもそも“川”などというものは存在しないと気づいたんです。

暴力的にスラムを見物!自分探しのインド旅行

『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』より。チェルノブイリ原発2号機制御室。(撮影/新津保建秀、提供/ゲンロン)</pre></pre>

磯部 ところで、「東京DEEP案内」の書籍版で、17年に出版された『「東京DEEP案内」が選ぶ 首都圏住みたくない街』(逢阪まさよし+DEEP案内編集部/駒草出版)では、1位が八潮(埼玉県)、2位が川崎となっていました。八潮にはパキスタン・コミュニティがあり、「東京DEEP案内」的な目線では「外国人が多い犯罪多発地域」としてとらえられる。ただ、情報誌では「本場のパキカレーが食べられるヤシオスタン!」なんて感じで肯定的に紹介されていたりもする。つまり、川崎もそうなんですが、同じ土地でも“どう見るか”によって変わってくるという問題ですよね。

 パキスタンで思い出したのですが、昔、日本人バックパッカーのインド旅行がはやりましたよね。あの一部は暴力的なスラム・ツーリズムだったと思います。自分探しのために、現地のスラムを見物したりする。そこに住んでいる人を、自分を鍛えるために利用しているだけなんですよ。

磯部 最近だと、『クレイジージャーニー』(TBS系)という“秘境”を訪れる旅番組が人気ですが、回によって下世話なスラム・ツーリズムになっています。とはいえ、海外ではダーク・ツーリストを対象にした、いわばダーク・ツアー・コンダクターもいるし、彼らが案内するエリアで生活する住民も、ツーリストへの対応としてヤバい地域を演出していたりする。あるいは、日本のノンフィクションも下世話なダーク・ツーリズム的な視点で書かれたものは多いなと。

『ルポ 川崎』の良い点は、“当事者”自身が声を上げているところ。往々にして、「スラムの住人は声を上げられない」と捉えられがちですよね。だから、ジャーナリストが現地に赴き、その惨状を“書いてあげる”という姿勢のノンフィクションが多い。しかし、この本は、ラッパーをはじめ川崎のアーティストたちの表現に尊敬の念を持ち、その背景について聞こうとしている。そのスタンスが大事なんですよ。ここで引き合いに出したいのが、小説家の中上健次です。表現者として優れている彼を理解しようと思ったら、やはり“路地(=中上のルーツである被差別部落)”が見たくなる。僕も見に行きました。でも、それは差別的なツーリズムではないと思う。このように“当事者”が何を表現しているかを出発点にすることが、堕落したスラム・ツーリズムを回避するひとつの手立てになるのではないでしょうか。

地元のラッパーを川崎市のPRに

『ルポ 川崎』より。川崎区池上町の路上で談笑するBAD HOP。

 表現の場ということでいえば、僕は五反田で文系・理系問わず論客がトークを繰り広げるイベントスペース「ゲンロンカフェ」を運営しているのですが、五反田はものを考えるのに向いているんですよ。あの街は風俗街というイメージがある一方で、近辺には池田山(東五反田5丁目)という美智子皇后の実家がある超高級住宅地もあり、街の正体がよくわかりません。でも、だからこそダイナミズムがあると思う。深夜までトークショーを開いているイベントスペースも、風俗嬢が行き交う場所も、“真っ当”な勤め人から見れば、同じようにあやしいものかもしれませんけど、そうした雑多な環境だからこそ、思想もアートも生まれる。その意味では、川崎も似たところがあるんじゃないかな。

磯部 『ルポ 川崎』について、「川崎区だけが貧困や差別の問題を抱えているわけではない」といった意見をときどき聞くんですが、もちろんそうで、ただ、川崎区の特徴として凝縮性がかなり高いということはいえると思うんですね。それは東さんの言い方だとダイナミズムがある、ということになる。ショッピングモール、風俗街、ドヤ街、多文化地区、工場群……狭いエリアにそれだけさまざまな側面があるわけです。

 そんな川崎区には川崎市役所もありますが、市は「音楽のまち・かわさき」をうたっているんです。それもあってなのか、16年に川崎市長とBAD HOPを率いる双子のT-Pablow、YZERRが面談しているんですね。今のところ、それ以上の進展はないようですが、仮に今後、川崎市が地元のラッパーを市のPRに起用することになった場合、彼らをどう生かすのがベストなのか——。ひとつ言いたいのは、潔癖さを押しつけないでほしいということ。『ルポ 川崎』にも登場するゴーゴー・ダンサーの君島かれんさんが2月に麻薬取締法違反の疑いで逮捕されましたが、ラッパーも不良が多いのでいろいろと問題を抱えていて、ひょっとしたら逮捕されるようなこともあるかもしれない。そうなった場合、今の日本ではすぐに出演番組を辞めさせられ、CDを回収さえするじゃないですか。あのドタバタぶりはいささか滑稽です。

 自治体が文化支援をする場合、腹をくくらないと、いちいち謝罪や支援撤回などをしなければならなくなります。それで結局、「リスクを抱えているヤツは呼ぶべきではない」となり、失敗に終わる。

磯部 ラップ・ミュージックをはじめとしたユース・カルチャーは、当事者が抱えている問題とその表現が密接に関わっていることを理解してほしいですね。

 ともあれ、川崎駅はかつては通り過ぎられるところで、駅前の商店街もさびれる一方でした。しかし、ラゾーナができてからは、川崎を訪れる外部の人が増えてきました。そして最近、『ルポ 川崎』が出版されたわけですが、この本をスラム・ツーリズムのある種の理想形として、川崎市はPRにうまく使ってほしいですね。

(構成/安楽由紀子)
東浩紀(あずま・ひろき)
1971年、東京生まれ。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。ゲンロン代表。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)など多数。
磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽やそれらと社会との関わりについて執筆。著書に『ルポ 川崎』(サイゾー)、共著に大田和俊之、吉田雅史との『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版)、編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)などがある。

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