【無料公開中】精神科医が喜多嶋舞、中山美穂、紗栄子を徹底分析!「比べる自己愛」を守る芸能人の自己正当化法

 15年に過去のスキャンダルを掘り起こす形で話題となった喜多嶋舞、中山美穂、紗栄子。自らのスキャンダルを弁明するべく女性誌に掲載された、彼女たちのインタビュー、手記は「自己愛」に満ちあふれていた──!? 精神科医・春日武彦先生に分析を仰いだ。

『なぜならやさしいまちがあったから(集英社文庫)

 彼女たちの自己愛を分析するにあたり、まず考えたいのが「比べる自己愛」についてです。学術用語ではありませんが、自己愛には「比べる自己愛」と「比べない自己愛」があります。「比べる自己愛」とは、常に他者との比較によって保障されるもので、他者に勝ち続けなければ自己肯定ができないという性質のものです。基本的には誰もが「比べる」「比べない」双方の自己愛を持っていますが、その比率が人によって異なり、特に芸能人のような、他者との比較を通じて仕事のモチベーションを高めていくような職業だと、「比べる自己愛」が強くなるわけです。

 この「比べる自己愛」の要素が強い人は、例えば女優なら演技で賞を受賞するとか、時に、女性たちの憧れの的である有名人とのゴシップが出ることも他者に対する勝利の証しとなり、それが自己肯定へとつながります。しかし、世間から非難されるようなスキャンダルが出たり、新人女優に人気を奪われたりと、「比べる自己愛」を守り続けることはなかなか難しい。

 そこで、次善の策として、目立つならばスキャンダル上等! といった作戦に出ます。とりあえず目立てば、あとはそれを自己正当化すればいい。黙殺されるよりマシ。そうやって「比べる自己愛」を死守するんです。自己正当化を図るための戦略としては、泣いて“なかったこと”にする、心身を病む(と称する)ことによって被害者と化す、抗議の自殺(未遂)、「想像にお任せします」と思わせぶりな態度を見せる等のパターンがあります。なんだかズルいように思えるかもしれませんが、女優業にとっては自己愛を守るための「生活の知恵」みたいなものと理解したほうがいいかもしれません。

 そのような生活の知恵の一環と考えてみると、彼女たち3人の“独白”については、それぞれのアクロバットめいた自己正当化戦略が読み取れます。

 まず喜多嶋舞さんは、“女優引退”という「ドラマチックな展開による陽動作戦」を取っています。「子どものため」と同情を引きつつも、「(一連の騒動で家族を巻き込んだことに対して)それもこれもすべては、私が女優として活動しているからこそ」と居直っている点から、その自己愛の強さは明白です。砕けば、「私が(女優になれるほど)きれいなばっかりにすみません」とも取れる発言ですからね。

 次に、中山美穂さんに関しては、手記の冒頭から、「いちばん私が傷ついたのは『親権を放棄して子どもを捨てた』という言葉です」と、「『自分こそが被害者』と構図を逆転させる手法」を使っています。こちらも、唐突に不倫を告白するなど無茶苦茶な内容ではありますが、子どもを持ち出すことで女性票獲得に向けてまずは布石を打った印象があります。ある意味、その整合性のなさこそ、感情をコントロールできない中山さんらしさが出ていて、ファンには好感をもたらすのかもしれません。もはや、ひとつのエンターテインメントになっていますから。

 そして、3人の中で一番したたかだと思われるのが紗栄子さんです。彼女のインタビューからは「反感を承知の人生哲学だと居直る」姿勢が見受けられます。「(嫌なことがあったら)前の事務所の先輩に『寝て忘れる癖をつけなさい』と言われたの。じゃないとこの世界は辛すぎるからって」など、いかに一生懸命にやっているかを主張して、読者に「そんなに大変なのか」と思せるよう仕向けているんです。ここに、彼女の頭のよさが見えますよね。 彼女たちの自己愛――ことに「比べる自己愛」をめぐるなりふり構わぬ態度は、一般人の目からはいかがなものかと思えてしまいますが、芸能人とは、自己正当化の能力に長けていないと生きていけない存在です。それも含めてエンタメだと、遠巻きに眺めているのが世間の作法というものでしょう。むしろ、彼女たちの自己正当化のテクニックを学ぶべきなのかもしれません。

春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年、京都府生まれ。日本医科大学卒。都立松沢病院精神科部長などを経て、現在も臨床に携わる。著書に、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『自己愛な人たち』(講談社現代新書)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)など。

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