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【日記/49】私は、空間の「ねじれ」を発見してしまったかもしれない!

最近、「わかった」ことが1つある。これを読んでいる人にそれが上手く伝わるかどうかわからないが、とりあえず、私が最近「わかった」ことの話を、今日はしてみようかなと思う。

ここ数ヶ月くらい、未確認動物、超常現象、陰謀説、都市伝説などなど、ちょっと怪しげなものが扱われている本を何冊か集中的に読んでいた。今回話す「わかった」ことは、これらの本を読みながら私が感覚的に掴んだことである。

たとえばだけど、ブータンの山奥には、「雪男(イエティ)」が生息しているという噂がある。現代ニッポンに住んでいる我々は、何を馬鹿な、と思うだろう。実際、ヒマラヤにけっこう本格的な欧米のイエティ調査団が入ったこともあるらしいのだが、当然ながらイエティは見つからずに終わっている。

しかし、ではイエティは「いない」がファイナルアンサーなのか? となると、どうもそういうわけでもないらしい。調査団は見つけることができなかったものの、現地でのイエティの目撃情報は、数多くはないものの未だに「ある」。ブータンの山奥は高地だから、高山病による幻覚だろうなんて説もあるようだが、だとすると複数人が同じものを目撃している場合はどう説明すればよいのか。同じものを目撃した人の間で話が食い違っているわけでもないし、口裏を合わせているのだとしても、それで彼らの懐にお金が入るわけではない。……となると、その正体は置いておくにしても、目撃情報自体を疑うのは筋が悪いような気もする。

この手のオカルト話はいつもそうで、目を凝らして見つめようとすると途端に姿を消してしまう。しかし、「じゃあいないのね」と思って安心していると、すっと後ろを横切ったりする。見ようとすると見えない、見えないと思っているとチラッと影を現す。そういう話は、以前森達也の『オカルト』を読んだときにもされていた。

DaiGoの“メンタリズム”はなぜ当たるのか?他 森達也『オカルト』感想

で、じゃあいったいこの手の話はなんなのか。イエティはいるのか、いないのか。

私が最近「わかった」こととは、そもそも、この「いるorいない」という問いの立て方が間違っているらしい、ということである。

たとえば、我々は「雪男」というと、毛むくじゃらで大きな二足歩行の猿みたいなものを思い浮かべるだろう。実際、現地でもそれに準じた目撃情報が報告されている。

しかし、我々の頭に浮かぶ「雪男像」は、実際に現地の人が目撃したものをもとに作られたものではない、とするとどうだろう。つまり、

目撃情報→それをもとに「像」が作られるのではなく、最初に、半ば無理やり作った「像」がある→その「像」に準じたものを目撃している……ということだ。目撃情報が先なのではなく、「像」が先なのである。

じゃあその「像」は何をもとに作られたんだ、という話になるのだけど、これらはいくつかの民話や伝説を集約したものである。最初から「雪男」がいたわけではなく、「ミゲ」とか「かみさま」とか「毒人間」とか「狂人」とかその地に伝わる様々な有象無象があって、それらのイメージを集約したものが「雪男」となった、というわけである。そしてなぜか、一度「雪男」という像ができあがると、人間不思議なもので、以後はちゃんと「雪男」を目撃するようになるみたいなのだ。

これは、我々の国ニッポンでも同様のことがいえる。頭に角が生えた鬼とか、火の玉とか、そういった妖怪が万人共通の具体的な「像」を結んだのは、中世以降なのだという。それ以前は、「気配」とか「目に見えないもの」として存在しているだけで、具体的なイメージは伴っていなかったらしい。しかし、一度「火の玉」という像・イメージを認識すると、我々は墓場で本当に火の玉を見るようになったりする。

なんだか言語学というか哲学の世界である。「認識」が先なのではない、「像」や「言葉」が先なのだ。草食系男子、という言葉を持ってして初めて我々は草食系男子を認識するし、メンヘラ、という言葉を持ってして初めて我々はメンヘラを認識するのである。

未確認動物や超常現象を、「いるorいない」「あるorない」の対立関係で考えること、それはいってみれば二次元的な考え方である。実際は、そうじゃない。

実際は、三次元なのだ。二項の対立関係で考える、その問いの立て方がそもそも間違っているのだ。

しかし、物事を三次元で考えることに、我々は慣れていない。だから、どうしても事態を二次元で認識しようとする。だけど、実際は三次元だから、三次元を二次元で解釈しようとすると、どうしても空間に「ねじれ」が生じる。

それが、未確認動物や超常現象となって現れるのだろう、と私は自分のなかでとりあえず結論付けた。「何いってんのか全然わかんねぇ」と思っている人がいるかもしれないが、たぶんこれ、合ってる。

【日記/40】入浴という概念(※「認識」より「言葉」が先、という話はここでもしている)



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