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【10/29】酒飲みへの恨みが消えない

先日、こんなツイートをした。特にバズってなどはいないので見ていない人のほうが多いと思うが、私はこの投稿の10分後、実はおおいに反省していたのである。ツイ消しは(クリティカルな誤りや誤字脱字がある以外は)しないポリシーなので、このツイートは、今日もインターネットの大海を漂っている。

さて、「どこに反省するポイントがあるんだ?」と思ってくれた人もいるのではないかと推測するが、これをツイートしたとき、私の中には確かに、酒飲みに対する恨みの気持ちがあったのである。

●時代は変わった

何回も言っているが、私は酒が飲めない。

これは、父親も飲めないので遺伝であり、体質的なものだ。ワインはグラス1/3まで、ウィスキーはグラス半分まで、その他はまあせいぜいひとくち。これが私の酒量の限界であり、これを超えた量を摂取すると、吐き気でトイレから出てこられなくなる。自分がアルコールに激弱な人間であることには、20代のかなり早い段階で気付いてはいた。

この体質でいちばん苦々しい思いをしたのは、20歳〜27歳くらいの時期だろうか。だいたい2007年〜2014年くらいが、ここに該当する。

当時はまず、今とは世間の空気が違っていた。まだポリティカルコレクトネスなんて誰も言い出さない時代で、大酒を飲むことが良しとされ、タバコもみんなプカプカ吸っていた。そんな中でも、さすがに飲めない私に無理やり酒を飲ませようとする不届き者はいなかったし、いたとしたらその飲み会の空気をブチ壊しにしてでも「人権侵害である」と訴えそいつが土下座して謝るまで説教してやる心構えが私にはあったが、まあとにかく、さすがに10年前でもそんなやつはいなかった。

ではいったい、何が苦々しかったのかというと、なんとなく、酒が飲めない人間はその場にカウントされていないというか、無視されている感じがしたのである。ある程度飲めるのが前提で、飲めない人間に酒を強要はしないものの、特例として扱われる、みたいな。「みんなビールでいいよね?」という空気の中、1人「ウーロン茶がいいです……」というと、「はあ? いやお前ビールでいいだろ飲めよクソが」とはいわれないものの、一瞬、場の空気が0.5度下がるみたいな感じ。そのあとすぐに0.5度上がって何事もなかったかのようになるのだけど、「酒が飲めない人間がこの場にいることを想定されていない」というその事実がもう、けっこう、つらかった。

一方、これは時代の変化に加えて単純に私も年をとったのだろうが、最近は、みんなあまり酒を飲まなくなったなと思う。5年前までは本当に、私だけがその場でウーロン茶を飲んでいるという状況がけっこうあった。でも、最近はそんな機会はめったにない。気がつくと全員ノンアル派だったなんて集まりも珍しくないし、5人集まれば自分を含め2〜3人はウーロン茶とジンジャーエールで通す人間がいる。

昔だって、飲むことを強要されたり飲まないことで何か陰口を叩かれたりしていたわけじゃない。でも、「その場にいることを想定されていない」という事実がわりと悲しかったので、それに比べると、今はだいぶ肩身が広くなったな、と思う。酒飲みの中にも、実は飲まなくていいなら飲まない派がけっこういたり、飲めるけど体調悪いから今日はパス派がいたり、なんつーか、昔はみんなちょっと無理してたんだろうな。

今の私は、「ウーロン茶でいいです……」と小声でこっそり店員に伝えることはほぼなくなり、「ソフトドリンクのメニューどこですか?」を「ワインリストください」と同じトーンでみんなの前で堂々と言っている(ほんとかよ)。実に晴れ晴れとした気分だ。最近はノンアルコールカクテルを出すバーなんかもあるらしいし、時代がようやく私に追いついたわねおほほほほ、と思う。

●しかし消えない、酒飲みへの恨み

さて、ここで「2019年、酒飲みと下戸の間の障壁はようやく消え、みんなで平和に暮らしましたとさ」となればいいのだが。他の下戸は知らないけど、少なくとも私の中では、まだあまり平和は訪れていないようなのだ。私の中でくすぶっているのは、酒飲みへの復讐心である。

あなたたちは、私のことを無視したでしょう? いないも同然として扱ったでしょう? その思いを、今度はあなたたちに味わってもらう。そんな気持ちが、私の中に少なからずあることを認めなければならない。

具体的にいうと、「みんなジャスミン茶でいいよねー?」と声高に叫び、本当はちょっとお酒が飲みたい人には気まずい思いをしつつ、店員にこっそり「あの、私はビールで」と伝えて欲しい。「お酒が美味しいお店がいいな」という気持ちをガン無視して、料理だけに焦点を当てた店選びをしてやりたい。ひどいと思う? 意地悪だと思う? そうだろう、これらは私が今までずっとやられてきたことだ。

先のツイートは、そんな私の意地悪な気持ちが反映されている。「飲み会」なんて名称はなくしちゃえばいいじゃん、だってみんな酒なんか飲まないんだから。酔っ払いなんて時代遅れでダサいよ。ちょっとは空気読んでノリ合わせてよ。……と、ここまでひどいことは考えてないけど、そういう側面がゼロだったといえば嘘になる。

ただ、私はここで立ち止まったし、反省もした。自分が、実に醜い考え方をしていることに気がついた。なんというか、昨今の様々な問題の原点はこういったところにあるし、差別はこうやって生まれるんだ、と思った。嫉妬、復讐心、私の悲しい気持ちを理解してほしいと思うこと。同じ立場に立ってみてほしいと思うこと。そういったひとつひとつの小さなことが、大きな渦となって、人と人との間に壁を作るのだろう。

ところでこいつ、どこまで本気で書いてるわけ? と読んでくれている人は今ギモンに思っているかもしれないが、はじめは、ちょっとユーモアを交えた笑えるエッセイにしようと思ったんだよね。下戸の自虐として。が、書いているうちにけっこうマジになってきちゃったな。まあ酒飲みだの下戸だのってのはさすがに半分冗談だけど、この構造は、昨今の様々な問題に、わりとシリアスに接続している気がする。

私は高潔とは程遠い凡庸な悪を抱えた人間なので、今、ちゃんとここに宣言しておこうと思う。

私、世の中がどんなにノンアルスタンダードになっても、酒飲みを差別しません。仲間はずれにしません。無視しません。ノリを強要しません。みんながジャスミン茶を頼んでも、お酒が好きと聞いている子にはちゃんと「ビールとかのほうがいい? こっちにあるよ」っていうし、酒が美味しいお店はあんまり知らないけど、酒飲みの友達に聞いてちゃんとそういうお店もリストに加えておこうと思う。

私は正直、今もなお、酒飲みを恨んでいる。若い頃、みんなに無視されてきたことを相当、根に持ってる。

でも、同じ過ちは繰り返さない。復讐心を乗り越えなければならない。ここからが、下戸としての第2のスタートなのだ。

冗談? いや、マジで。


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