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F1

先日、元T-SQUAREのキーボーディスト、
和泉宏隆が62歳、急性心不全で亡くなった。

ソロで、ジャズ・フュージョンピアニストとして、
亡くなる前日もステージに立っていたという。

ご冥福を祈りながら、少し書いてみる。
ちょうど1990年頃の話なのだ。

大学生で一人暮らしを始め、
明け方まで夜更かしをする僕は、
インターネットもない時代、
テレビで遠い国のライブ中継を楽しんだ。

当時、サッカーよりもモータースポーツが、
日本では人気があったかもしれない。

日本が誇るホンダ・エンジンが無敵の強さで、
そのチーム、マクラーレン・ホンダに、
音速の貴公子、アイルトン・セナが乗っていた。

彼とチームメイト、アラン・プロストとで、
優勝争いを演じた88〜89年。
チャンピオンは88年がセナ、89年がプロスト。

このふたりの確執で90年に、
プロストはフェラーリに移籍する。
90、91年は華麗なセナの時代だった。

ホンダは91年まで、
コンストラクターズタイトル6連覇、
ドライバーズタイトル5連覇という、
歴史的な偉業を達成する。

これを時差の関係で真夜中に、
独占生中継していたのがフジテレビ。
T-SQUAREのテーマ・ソング「TRUTH」が、
古舘伊知郎のマシンガン実況が、
フル・スロットルを盛り上げる。

91年、本田宗一郎が亡くなった。
すると92年、ウィリアムズ・ルノーの
ハイテクマシンが火を吹いて、
この年を最後にホンダは撤退する。

93年、ベネトンの新鋭ミハエル・シューマッハと、
セナとの対決は熾烈を極め、
94年、セナは念願の、ウィリアムズ・ルノーに移籍。
しかし皮肉にもこの年からハイテク規制が始まり、
5月イタリアのサンマリノGPで悲劇の事故死を遂げる。

人間と機械の、限界への挑戦。
それは本田宗一郎の夢であり、
セナのロマンだったと言えるかもしれない。

20世紀はそういう時代であり、
F1の世界は、まさにその象徴だった。

T-SQUAREは、最近まで、
よくメンバーが集まっては活動していた。
セナが亡くなった時、
追悼アルバムを発表している。

敬意に満ちた、鎮魂もまた音楽だ。

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