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80年代後半_体験的堂山記 


「ゲイタウン」堂山


1980年代後半、そのシーンでぼくは膨大な時を費やした。
「そのシーン」とは大阪市北区堂山町界隈。堂山といえば新宿2丁目などと並び日本の「ゲイタウン」のひとつとして、知る人ぞ知る街であった。「であった」と終わったかのような言い方をするけど、いまのようすを知らないぼくはこう書くしかない。実は当時から多様な性的指向を持つ人びとが集う歓楽街であったと思うし、そのなかでも異性愛者がやはりいちばん多かったりしたかもしれないのだけど、ゲイ男性しか当時目に映らなかったので、体験的にいちおう「ゲイタウン」としておく。

遅れてきた NEW COMER


回りくどい説明はおいといて。
週末の夜はだいたい、そこにいた。
土曜の夕刻になるといつものように、新御堂筋を挟んでローズ劇場を臨む交差点にぼくは立つ。そして、信号を待つほかの何人かと同じように「パークアベニュー堂山」と、看板の付いたゲートが入口に建てられた通りへと吸い込まれていった。
もうあと何年かで三十路というヤツが、自分より下手したら10も離れている若い人たちとつるんで、ツーブロックヘア(ただしモミアゲパッツンなところが80年代風)に渋カジという、年不相応のチープな出で立ちでクラブに出入りし、バーでは飲めもしないアルコールをあおってカラオケ、そしてGYMに泊まって朝を迎える日々。「GYM」って何かはまあおいといて。

年下の先輩たち


年下の彼らは堂山デビューしたばかりのぼくに、その界隈での遊び方を教えてくれる「先輩」たちであった。元々集団のなかではマウントを取るキャラでもなく、精神的にマッチしたのかもしれないが、しかし現実が露わになるとホントはどう思ったのかは聞いたことがないからわからない。実年齢を明かすと「え~、見えへん」というレスポンスがじっと見つめられた後にひと呼吸おいて返ってきたりしたが、まだしも「バケモンねっw」と返してくれた人には感謝している。
「先輩」には違いないが、まだ彼らも昨日や今日デビューしたばかりで、この夜の街で羽振りを利かせていたのは「ゴーカなおネエさん」方や(金を持った)オトナの遊び人、そして店子たち。若い子は若いというだけで相手にしてもらえるが、そこにくっついて来た「遅れた新人」など堂山的ヒエラルキーのもとでは「何この人」って感じだったかもしれない。
まあ、こうしてぼくの堂山体験は始まったわけです。

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