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バブルのころが懐かしい~と思うただの人です。バブルから崩壊に至るころの世の中と自分史を…

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バブルのころが懐かしい~と思うただの人です。バブルから崩壊に至るころの世の中と自分史を記録してみます。

最近の記事

80年代後半_体験的堂山記3

Club Christopher(ゲイにとっての)堂山町と言えば、当時の二大スポット、「クリコ」とGYMを語らなければ。 なのだが、その前に、そこに至る「道」について順序として、語られなければ。ということで、その至る道をごくごく簡単にたどれば、ゲイ雑誌で目に入ったサークルに連絡を取り、そのメンバーとなってから約1年ほどのちに、サークルのリーダーに連れられてデビューしたのだ。 サークルは「出会い」目的?キレイぶるわけじゃなくて、それはなかった。ただただその、ヘテロ中心のこの日常

    • 80年代後半_体験的堂山記2

      ADON誌 これより以前のことはいいだろう。わが性的生活のゲネシスはともかく、堂山町に至る起点として『アドン』という雑誌(以下A誌)は記録しなければ。 千葉への出張の帰り、新幹線の時間待ちで東京駅地下の書店に立ち寄ったとき、初めてこの雑誌を手にした。 初めて知ったのはコチラ 『B族』(以下B誌)は高校生のころに初めて知った。同じクラスの男子が「おい、こんなん知っとうか?」とワラかしのネタで見せてきたのがそれ。初めて目にするゲイポルノ誌だったけど読んでみたいとは思わなかっ

      • 80年代後半_体験的堂山記 

        「ゲイタウン」堂山 1980年代後半、そのシーンでぼくは膨大な時を費やした。 「そのシーン」とは大阪市北区堂山町界隈。堂山といえば新宿2丁目などと並び日本の「ゲイタウン」のひとつとして、知る人ぞ知る街であった。「であった」と終わったかのような言い方をするけど、いまのようすを知らないぼくはこう書くしかない。実は当時から多様な性的指向を持つ人びとが集う歓楽街であったと思うし、そのなかでも異性愛者がやはりいちばん多かったりしたかもしれないのだけど、ゲイ男性しか当時目に映らなかった

      80年代後半_体験的堂山記3