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『時』に生きるイタリア・デザイン-2: 「相違の中の統一性」を追求するイタリアデザイン

 前回読んだところで、1923年のミラノビエンナーレから1930年にトリエンナーレとなった後、1968年以降の開催が不定期になります。その後、2016年の第21回トリエンナーレから3年ごとに開かれています。この不定期になった部分が気になって、「4. イタリアのインダストリアル・デザイン、5. イタリアのインテリア・デザイン、6. デザイン空白時代」を読み進めました。


イタリア人にとってのデザインの意味

 イタリアの建築家などが使うプロジェクトという言葉は、設計する・企画するという意味だと、佐藤氏は言います。プロジェクトをする人(Progettista)が、デザイナーなのです。プロジェクトは、何かを生み出すことであり、スタイルだけではなく幅広い活動を含みます。また、イタリアでは、デザインを小さい領域(グラフィック、家具など)ではなく、境界線を外してプロジェクトとしてとらえます。これは、1970年代に起こった既成の枠組みを超えるラディカル・デザインに由来しています。

20世紀のイタリアデザイン史

 ここで簡単に20世紀以降のイタリアのデザインの歴史を振り返ってみます。1909年にFilippo Tommaso Marinettiによって、未来主義創立宣言が起草されたことを機に始まったモダニズム未来派は、肯定的に近代文明の産物や、産業革命後に生まれた新たな視点を、芸術に取り入れようとしました。都市化の象徴である速度・運動・雑音を芸術に取り入れ、戦争の賛美にも繋がっていったようです。未来主義創立宣言自体が、1848年の共産主義者宣言を模倣した様に、イタリアでのファシズム運動と関係性を深めていきました。1948年にイタリア共和国健保が施行され、中道政治が始まります。その後、新しい中小企業が登場・イタリア・デザインの萌芽をきっかけとして、19050-60年のイタリア・デザインの黄金時代が到来します。

 1968年のパリの5月革命の影響を受け、イタリアでも新左翼の学生運動が激化し、ラディカル・デザイン運動が始まります。デザイン・プロジェクトの空白時代の後に、1970年代に始まるポストモダン、イタリア共産党解党、1989年ベルリンの壁の崩壊。その後佐藤氏は堅実志向へ移行した、と。

ヨーロッパのその頃のデザイン

 19世紀にウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動は、産業革命の結果としての大量生産、工業化に対する抵抗として手作業による製品の価値を重視しました。産業革命による社会的、経済的変化は、デザインに対する新たな価値観の形成を促し、機能性と美的価値の統合、手仕事の尊重、そして日常生活における美の追求を目指しました。

 1919年にドイツのヴァイマールでヴァルター・グロピウスによって、バウハウスが創設されました。この運動は、芸術と工芸を統合し、機能性と美学を融合させることを目指していましたが、1933年にナチズムによって閉校させられました。1955年(-68)、バウハウスを甦らせようとウルム造形大学がデザイン専門学校として創設されました。佐藤氏の上司であったボネット氏は、ウルムでも教鞭をとっていました。イタリアにデザイン学部ができる前のこの時期は、ドイツの機能主義と、イタリアの美的冒険心・遊び心がうまくつながっていた時代だったのでしょう。

イタリアのデザインの本質

 以下本書からイタリアのデザインを示す言葉を示します。

ドイツのブラウンとイタリアのオリベッティの製品について、とます・マルドナドじゃ次の様な見方をしている。「『ブラウン・スタイル』は均衡の中の統一性を表現したデイザインであり、一方の『オリベッティ・スタイル』は相違の中の統一性を追求しているデザインである」

『時』に生きるイタリア・デザイン p152

エットレ・ソットサスはデザインと昨日について、かつて次の様に語っている。「機能と生産と形は、どれもが初めでも最後でもなく、最初と最後が一緒であると思う。芸術家は、機能を知りながら、生産方式を知りながら、形を発見していくのでなくて、彼の発見が形を与えていくのだ。チャールズ・イムズが彼の椅子をデザインした時、彼は単に椅子をデザインしたのではなくて、座っていられる方法をデザインしたのだ。すなわち、機能のためにデザインしたのではなく、機能をデザインしたということだ」

『時』に生きるイタリア・デザイン p153

「どんなに見すぼらしいオブジェでも、その外見上の形ではない、オブジェの持つ内面について、私たちに語ってくれる物語があるはずだ」とカスティリオーニはいう。彼は、普段、人が何気なく見過ごしているものにも常に注意を向け、それを逆手にとって全く新しい別の機能を見つけ出す。そのアプローチの仕方は、ある定められた方式によって行われるのではなく、彼個人の直感と偶然性から生まれてくるファンタジーから飛び出してくる。…
誰もが日常的に見ている平凡な素材を使って、ファンタジーの広がりの中で新しい発見へと繋げていく。その発見を、確実に合理的にデザインしていくのが、カスティリオーニのデザイン手法なのだ。だからカスティリオーニの合理性とは、動機とかテーマをオブジェに供給していくという意味であり、外見上の形からだけの判断ではけしてない。時としてアイロニーを含んだ作品がとても美しく魅力的なのも、カスティリオーニが、常にイタリア・デザインのアバンギャルドとして存在しているゆえんである。

『時』に生きるイタリア・デザイン p188-189

イタリアのトリエンナーレの歴史

 以下に、トリエンナーレの開催年代とテーマを示します。

1923 ミラノビエンナーレ (ヴェネツィア・ビエンナーレは1985年開始)
1925 第2回ビエンナーレ
1927 第3回ビエンナーレ
1930 第4回トリエンナーレ
1933 第5回トリエンナーレ「Style - Civilisation」
1936 第6回トリエンナーレ「Continuity - Modernity」
1940 第7回トリエンナーレ「Order – Tradition」その後イタリアは戦争へ
1947 第8回トリエンナーレ「The House 社会問題としての再建」QT8計画 全ての人に家を、家具の大量生産は可能か?
1951年 第9回トリエンナーレ「Goods - Standards」
1954年 第10回トリエンナーレ「Prefabrication - Industrial Design」、インダストリアル・デザイン会議
1957 第11回トリエンナーレ「Improving the Quality of Expression in Today’s Civilization」
1960 第12回トリエンナーレ「House and School」
1964 第13回トリエンナーレ「Leisure」
1968 第14回トリエンナーレ「The Large Number」サブテーマ「間違い・情報・展望」
1973 第15回トリエンナーレ「lo spazio abitabile 居住空間」
1979-82 第16回トリエンナーレ「The Domestic Project」
1970 大阪万博「Progress and Harmony for Mankind」
1988 第17回トリエンナーレ「The Cities of the World and the Future of the Metropolis」
1992 第18回トリエンナーレ「Life between Things and Nature: Planning and the Challenge of the Environment」
1996 第19回トリエンナーレ「Identities and Differences」
2016 第21回トリエンナーレ「21st Century. Design After Design」
2019 第22回トリエンナーレ「Broken Nature: Design Takes on Human Survival」
2022 第23回トリエンナーレ「Unknown Unknowns. An Introduction to Mysteries」
2025 第24回トリエンナーレ「Inequalities」

 1968年第14回トリエンナーレは、国の介入による文化政策といった政治色の強い組織に対する学生たちの会場占拠ではじまります。1964年のベネチア・ビエンナーレで、大ポップ・アート展が開かれ、イタリアの若者に影響を与えました。そのため、今までのデザイン、アート活動を破壊するラディカルデザインや、反デザイン活動が盛んになります。それらの理論が先行する難しい活動を支えたのがデザインの雑誌です。古いデザインと、この新しいデザインをつなぐ立場にいるSottsassは、ラディカルデザインなどが盛んになる前の1965年にDomusでポップアートと家具の融合を示しています。Sottsassはその後メンフィスを率いて行きます。


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