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なぜ「政治家」はウソをつくのか:心理学的考察



この10年間ほど、政治家のあり方が変わったなと感じています。特に、安倍政権以後、政治・行政がしばしば虚飾化されて来ています。

情報開示は民主主義において大事な要件ですが、現状には明らかに不備があります。疑惑に関わる事案については、常に黒塗りにされ、情報開示の意味が損なわれ続けています。

また国会審議においては、野党の質問に対してまともに答えないはぐらかしが散見されます。このような回答が多いのは、答えられない理由の存在を示唆します。

そして極めつけは数多くのウソです。素人の私からみてもウソと分かるようなウソを平気で口にする政治家は少なくありません。これでは正直な所、まともな議会政治など不可能でしょう。

時に、イギリス議会の議論などを聞くと、あまりにもまともで驚きます。人類には、こういう議論が可能なのかとびっくりします。翻って、日本の政治家が如何に不誠実かということが明確になります。国会審議はまるで「茶番」であり、審議をしたかのように振る舞うためのアリバイそのものです。官僚が用意した原稿をただ読み上げるだけの回答にどんな意味があるというのでしょうか。

このような事が起こる理由の一つは、属人的な問題もありますが、およそ社会的構造に依存するのではないでしょうか? そしてその構造は特定の人間たちを拾い上げる仕組みなのではないでしょうか? この直観より、心理学的な切り口で考えてみる事にしました。

政治家特有の心理とはどういうものかについて、以下に考察していきたいと思います。

政治家たちの本来の仕事

政治家たちは、社会問題を調整する役目を持っています。それが主たる仕事です。そして、みんなが必要としている公共的なサービスを実現するという事です。このためには、多くの人の意見を聞き入れ、要望に答えていく必要があります。では、どうやって要望を叶えるのか?

一つは先に上げたように、立法機能です。現状の社会的な問題を解決するためには、権限を駆使して規制をかけたり、調整を行う必要があります。これは時代によって変化する価値観に応じて、求められることが変わるために常に変化し続ける必要があるわけです。例えば、夫婦別姓や、同性婚のあり方は、21世紀の現在、国際的に許容されるべき事柄です。そういうものに対応するのが立法府の役目の一つです。(とはいえ、立法に関しては実質的には官僚たちが主導していますし、政策秘書と呼ばれる人たちが作成するわけですが。

もう一つは予算です。税金を使途を決める権限をもつのが議会の人々です。国でも市町村でも変わりません。税金を投じて社会的問題の解決を図るわけです。この使途を決定していくのが議会の機能です。また、税金をどうやって徴収するかという点においても議会が役割を担います。(実際には、官庁の人々がほとんど予算を決めていて、政治家は承認という形が主たる役目ですが。

つまり、政治活動とは私達の生活そのものに関与する機能の具体的な実行と言えます。この重要な役割を選ぶが選挙であり、代議士制を採用する日本では、誰かを選ぶ他ありません。そして、ろくな政治家がいなければ、自分がやるという事が求められているのが、この社会制度です。

各議員たちは、これを実現するために地域や国の現状を理解し、対応策を練る必要があります。それを法律や予算配分や徴税によって解消していくという事です。これが本来的な仕事です。

政治音痴の日本人

人々がどうやって政治家を選ぶのか。実は、私はここに一番の問題があると考えています。

選挙に行く人といかない人たちがいます。ここでは、選挙にいかない人たちについて考えましょう。選挙にいかないのは、もっぱらサラリーマンやその家族たちでしょう。特に20代~30代の世代です。

その理由は「政治が自分の生活に直結する」と考えていないからです。そして、投票が何も生活を変えないと諦めているからです。

自分の生活に占める割合として、仕事が大きなウェイトを占めているでしょう。雇われであっても、経営者であっても、日々考えることの7,8割くらいは仕事の事ではないでしょうか。専業主婦であれば、生活や子育てを考えることがメインかもしれません。およそ仕事か生活を考えることで大部分の時間を使っています。

ここに趣味や娯楽の時間を加えれば、ほとんど全部の時間でしょう。このような人々が、いわゆる社会問題を考えることは滅多稀です。

しかし、自分の仕事や生活のかなりの面で、政治は影響を与えています。例えば、生活面では、給与明細をみて、差し引かれる年金や健康保険料や介護保険料などは、政治的に決定されます。買い物をしたら支払うことになる消費税もまた政治的に決められます。もっと言えば、日常的な出費である酒やガソリンといったものには、酒税やガソリン税といった消費税以外に税が課されています。また、税金で作っているはずの公共財に使用量が発生するものが少なくありません。例えば高速道路です。電気料金も送電線などの使用量を支払う必要があります。本来的に社会インフラは税で賄うべきものですが、そこに使用量が規定されています。こういうものを決めているのが政治です。
 また、仕事面でいえば、仕事における規制という形で行政が介入します。それぞれの業界ごとに規制があり、それに準じて仕事をしなければなりません。その規制の度合いや自由度は政治が決めることです。正社員と派遣社員の扱いなども国の規制が関与しています。
 要するに仕事をしたり、買い物をしたりすると、そこに必然的に政治が関係することになります。つまり、政治は人々の人生に直結する大問題なんですね。

ですから、その政治を誰がやるかは、大いに問題となります。まさに、我々の一大事なのです。多くの選挙では半分の人が投票放棄をしています。このことは、自分の生活に介入されているにも関わらず、無関心であるという事です。あなたの行為に影響を与えている規制や権限を決める人々がいて、実際的にあなたの行為を縛っているのに、その代表者達選びに参加しないというのは、全く損だとしか言えません。

あなたがもし生活が厳しいと思っているなら、それは政治のせいかもしれないのです。例えば派遣法。小泉政権時に大きく変更されました。社会保障がない社員を許容したわけです。会社は安く雇えるのでコストカットになり、派遣会社は紹介料を得られるがゆえに利益が上がります。その煽りを受けているのが労働者たち自身です。これははっきりと社会問題なのですが、解消のために政治は動きません。なぜなら、派遣社員達の利害を調整する政治家が少ないからです。

そして、派遣社員はなぜか、派遣社員の待遇を考えない政党や政治家達を選びがちです。結局、政治に無関心であることで、ますます生活を厳しくさせているのです。 参考:https://go2senkyo.com/articles/2022/07/09/69835.html

選挙に意味を見いだせないのは、無駄に思えるからでしょう。投票したからといって何が変わるというのか。そういう諦めによって、更に、自分たちに無関係な政治が行われるという悪循環を招いています。票を入れない人たちの意見は反映されないからです。

また、我々には現状維持バイアスがあります。今の状態でまあ、それなりに満足という人も少なくないでしょう。多少とも仕事に不満があるとしても、それでどうにもならないというほど切羽詰まっていない。ならば、わざわざ政治に訴えかける必要もないのではないか。そう思っても不思議ではありません。
 しかし、現状を維持するには主張が必要だと言うことを忘れています。社会は常に変化し続けます。そして、政治とは世界を変えるものです。その政治に無関心であれば、関心を持つ人々によって社会を作り変えられていきます。そう、現状維持をしたければ投票に行くほかないのです。


では、政治に関心ある人達はどういう人達なのか。それは政治家たちをみればはっきりします。

政治家という人間たち

ニュースでみる政治家たちには、ある程度のグループがあるように思われます。一つには、官僚や弁護士などから議員になった人々。およそ社会問題に携わっていて、その解決には法的な部分の問題だと気がついて立ち上がった人々です。動機は良い社会にしたいという点において最もマトモな議員さん達と言えるでしょう。

一方で、政治家の一部は二世・三世議員たちです。政治家の家に生まれ、政治家の跡取りとして育てられた人々がいます。そうして父親や母親の地盤を受け継いで政治家をやっているという議員たちです。彼らにも社会正義というようなものがあるでしょうが、それよりも利権構造を維持したいという周囲の思惑に準じて行動する人々と言えます。本人はその役目をまっとうする事がもっぱらの仕事になるでしょう。

更に、タレント議員も少なくありません。政治というのは本来、社会的な問題を立法という形で解消・調整するものですが、タレント議員たちにそのような資質があるかは全くの未知です。むしろ、彼らはその知名度を生かして議員になるという事であり、議員としての仕事はもっぱら党議への賛成票を投じるという役目でしょう。そして党のイメージアップを図るという事です。元来的には政治にもっとも向いてない人々とも思えます。動機が職業議員という事になります。

また、集団の利害を調整するために政治家になる人々もいます。宗教団体をバックボーンとして議員になる人や、経済界の特定分野から議員なる人などもいます。彼らは国という制度を変更することで、自分たちの利益を拡大したいと考えています。各集団には目的がありますから、明確な意図をもって政治関わることになります。そして、もっとも政治的に害となる存在と言えます。なぜなら、全体を考えず、自分たちの利益が第一になるからです。組織が大きくなるほど、票を集めることが可能なため、組織拡大もまた目的になるでしょう。

地方に行けばまた事情が違います。地方政治では、顔を見る政治が行われています。それは世代的なものもあるでしょう。地方の中核は60代から80代です。彼らの票を得られるかどうかは、知っているかどうかです。話をしたことがあるかどうかです。いわゆるどぶ板選挙というものがものを言う世界です。この場合は、政治内容というよりも、あの人は信用できるとか、話をしたことがあるとか、そういう次元において選ばれます。親切に見えたとか、話を聞いてくれた。そういう事が票を投じる理由になるわけです。

このように各政治家ごとに事情は異なります。これらのグループに複数かぶる人もいれば、これらのグループからはみ出る人々もいるでしょうが、大きくはこのような人々だと想定できます。

これは逆に言えば、こういう人たちを支持する人が選挙にいく人々という事になります。つまり、市民活動に賛同する人々、二世・三世議員を応援する人々、タレント候補に投票する人々、そして宗教活動や企業活動を支援する人々です。

そしてそれ以外の人々は政治に興味がありません。ごく普通にサラリーマンをやっている人々は、これらの人たちを積極的に応援する動機がありません。会社に言われて特定候補に票を入れるということがあるくらいでしょうか。サラリーマンたちは、特定の場所に住んでいますが地域での生活をしていません。殆どを都心の部のオフィスや外回りをして過ごしています。そこが彼らの生息場所であり、住んでいるといっている場所は、寝るための場所であり、子供を育てる場所という事です。
 もちろん、経済に影響があることは知っているので、社説などを読む事も、ネットで主だったニュースをみることもあるでしょう。しかし、それらの情報は昨今、どれほど信用できるのか不明となってきました。

そして、政治家たちの性質は、まさにこういった支持者たちの性質を反映する事になります。

政治家の心理学

さて、準備はここまでとして、いよいよ政治家の心理について考えていきたいと思います。政治達がどういう人たちから支援されるのかというのは、その実、どういう人間が政治家になりうるかという事に繋がります。

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