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悔いなき日々を生きるために20231023

甘えとうつの境界線はどこにあるのか?

離婚してからずっと憂鬱な気持ちが続いていて、心療内科の予約を入れた。 いれたのだが、初診までひと月かかるとのことで、だいぶ疲弊している。 それだけ疲れている人が多いということなんだろうな。 妻は精神病院だったが自分は心療内科を選択した。入院は嫌だったからだ。 何かの本で読んだが、あなたのメンタルは大丈夫ですか?という質問に大丈夫じゃないという答えをする人間はすべからく精神状態が荒廃しているということで、案の定自分の心は荒廃していた。自分は心が荒廃していて大変つらかった。 突然涙が出たり、ソラニンを歌いたくなったり、遠くに行きたくなったり、精神状態的には非常にもうどうしようもない感じである。 これは甘えなのか、鬱なのか。狭心症になって仕事も失った今、どん底にいる自分は今人生の底にいるわけだが、これからどうするのか悩んでいた。心臓が悪いから車の運転ができない。 田舎で運転ができないのは致命的である。そんなわけで地元に帰ってきちゃったのは致命的だと気づいたのは今更だったのである。でもあの町にいることもできなかった。

朝散歩に出かけると希望にあふれた少年少女たちが学校に向かう姿を見かける

順調にいっていれば自分の子供くらいの子供たちが集団登校していた。 なんとなく憂鬱になり、道を引き返す。子供がいたらどんな人生だっただろうかということを幻視する。ありえない現在を夢想し、後悔の念に駆られ、これでよかったのだと思い込む。 思い込むのだが、なぜだが、涙が出るのだ。それはつらさゆえか、後悔か。生活のつらさから本能を抑え込んだつけを今支払ってるのか?わからない、わからない。どちらにせよ、自分が今後、子孫を残すチャンスがないことはわかっている以上、難しいことは考えることは諦めよう。ただ涙が出るのだ。

自分はこの世に生きているのか?

誰かのためになっているのか? 誰かの役に立っているのか? 少なくともそうはなっていない。幸せを感じていない。寿命も長くない。 もうやりたいこともない。そう感じたときに、穏やかな死だけが待っているのだなと思っている。無理して心臓の治療をしようと思ってはいない。生きる気力がない。きっと鬱的な症状がなければ心臓を意地でも直そうと思ったのだろうが、今はそういう気持ちになれない。死ぬことばかり考えているし、AI LAINには医者のサポートが必要などと言われてしまう。 結局そういうことなんだろうな。生きているんだろうけど、生きていない。現在地が見えている気がする。

ボイスレコーダーでカラオケの練習をしていて

前妻の声が録音がされていてうっかり涙が出てしまった。 相変わらず音痴で、その音痴っぷりが懐かしくて、まだ未練があるんだな、過去を乗り切れてないんだなと思った。 結局また、アジアンカンフージェネレーションのソラニンを歌ってしまう。この曲は過去の自分との決別の曲だと思っていたけど、男女の決別の曲にストレートにも聞こえる。 今はただ男女の決別の曲にストレートに聞こえるんだよな。悲しい。 7月に分かれてもう3カ月にたつのに、いまだに全然傷跡が言えない。結婚はもういいかなと思ってしまう。女々しいと思われるだろうが、こういう時にどの会社にも所属してなくてよかったと思ってしまう。男は強くなければならないとか言われがちだけど、男も女も離婚の痛みは同じだろと思う。実際、離婚後に自殺する人の割合は男のほうが多いんだし。

エーリッヒ・フロムの愛するということを読んだ

読んでいて、ボロボロ泣きながら読んだ。 情緒が壊れているなとは思っていたが読んでいた。 この本の一説に「人間は理性を授けられている。人間は自分自身を知っている生命である。人間は自分を、仲間を、自分の過去を、そして未来の可能性を意識している。人生は短い。人は自分の意志とはかかわりなく生まれ自分の意志とかかわりなく死んでいく。愛する人よりも先に死ぬかもしれないし、愛する人のほうが先に死ぬかもしれない。人間は孤独で、自然や社会の力の前では無力だ、と。こうしたことすべてのために、人間の、統一のない孤立した生活は耐えがたい牢獄と化す。この牢獄から抜け出して、外界にいるほかの人々となんらかの形で接触しないかぎり、人は発狂してしまうだろう。」 これって現代社会をひどく皮肉る言葉のように聞こえた。核家族。面倒くさい人間関係を極力排した都会生活。でもそれって、人を「発狂させてしまう」装置なんじゃないの? エーリッヒ・フロムの説く発狂しない環境と真逆を言っているのが現在の日本の環境なんじゃないかと思った。 指標が金になってるだけなのはそれが理由なんじゃないのか? 金は信用を目に見える形にしただけのもの。 もちろんある程度の金は必要です。でも必要以上の金って必要?と思ったりするのですよ。だって、信用があるのなら、金を持っている必要ないわけで。 労働をリスペクトし続けること。強さを求め続けること。弱さを認めないことこそが、結果的に心を病ませる原因になるんじゃないですかね?一生働いて死ぬだけってのもつまらないですね。自分は肉体労働とかはもうできないんですけど。

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