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流動

 坂本冬美の「また君に恋してる」のメロディーが、頭のなかで断続的に流れているのに気づいて、なにげなく歌詞をたどってみようとしたら、歌いだしの「朝露が~♪」のあとがどうしてもわからなかった。まあそれほど気になったわけでもないというか、「朝露が~♪」の歌いだしが間違っていないかをたしかめたい気持ちのほうがむしろ強かった気もするが、ちょうどパソコンを開いていたから検索してみると、「朝露が~♪招く~♪光を浴びて~♪」だった。たしか、そんなに離れていなかったはずと思って、坂本冬美の年齢を調べたら、自分より十コも年上だった。誕生日は三月三十日。つまり学年でいえば十一コちがうということでいいのか、すこし迷った。というのも、「早生まれ」の区切りは三月二十五日くらいまでと、むかし誰かにそんなふうにきいた記憶があったからだが、調べてみると、四月一日生まれの人までが「早生まれ」になることを知って、びっくりした。そのサイトには、「四月一日生まれの人が早生まれとなる理由」と題して、「早生まれ」についていろいろくわしく書いてあったが、後半のほうは法律がどうこうとか面倒になっていて、途中でみるのをやめた。
 玄米をたべはじめて、かれこれ二週間になる。確実にいえるのは、便通がよくなったこと。気のせいかもしれないが、食道から肛門までのあいだが、スーッとする感じがする。できるだけ長生きしたいと思う。そのためにも、とにかくまずタバコをやめたいが、なかなかやめられない。金だってかかるし、ほんとうに、なんでこんなモノを吸うことになってしまったんだろうと思う。
 タバコをはじめて吸ったのは中学二年のときで、高校のころにはもう完全に手放せなくなっていた。小学校を卒業するころまでは、まさか自分がタバコを吸うようになるとは夢にもおもわなかった。そうはいっても大人になったらだいたいみんな吸うようになる、と、両親をはじめ、大人たちはみんなそういった。そういった大人たちのなかで、もしかしたらそうかもしれないと、当時のぼくに一番そう思わせるような言いかたをしたのは、小学校のむかいにあった文房具店のおじさんだった。文房具店の名前をそのままとって、坂口のおっちゃん、とみんなで呼んでいたそのおじさんの店舗兼住宅のよこにある、ほそい路地をすこし進んださきの左側に、十九歳のときに交通事故で死んだ井川の家がある。さらにそこを五十メートルほど進んだところの右手に、すっかりハゲてしまった江藤の実家があって、さらにもっと進むと、いちおう二車線のちょっと大きい道路にでる。そしてそのちょっと大きい道路を曲がってずっといった先に、合浦(がっぽ)公園という、たぶん市内で一番か二番目に大きい公園がある。三カ月くらい前に、その合浦公園の海沿いで、高校のときの現国の先生にバッタリあった。といっても、むこうはぼくに気づかず、あるいは忘れたのか、かなり至近距離で目があったものの、素知らぬ顔でとおりすぎていった。誰がつけたのか、その先生のあだ名は「ダンディ」だった。ワイシャツの胸ポケットにいつもハイライトをいれていて、石原裕次郎みたいな髪型をしていたから、まあダンディな感じといえば、たしかにそうだったかもしれない。真っ黒だったダンディの髪は、まっ白になっていた。でもハゲてはいなかった。砂浜を散歩していたらしく、両手をうしろに組んで、ゆっくり歩いていた。そういえばあんなふうに歩いていたような・・・・というか、ああいう歩き方をする先生は、わりと多かった気がした。
 実はその何日かまえに、ぼくはダンディを見ていたかもしれなかった。というのも、ダンディの家をぼくは知っていて、たまたまその前を通りかかったときに、庭の植木にだれかが水をまいているのがみえて、しかし植木が邪魔で足しかみえなくて、だからそれがダンディだという確信はもてなかった。ルパン、ペチャ、キャベ、サリーとか・・・・そんなあだ名の先生たちも、そういえばいたことを思いだした。「サリー」とは、「魔法使いサリー」というマンガの、主人公サリーちゃんではなく、サリーちゃんのパパのほうで、要は男の先生だったのだが、ぼくは「魔法使いサリー」をみたことがなかったから、よくわからなかった。ネットで調べてみると、たしかに髪型が・・・・といっても、サリーちゃんのパパほどはっきりと角みたいな髪型ではないが、輪郭はけっこう近い、と思った。サリーは小学校六年のときの担任だった。だから修学旅行にも一緒にいった。その夜に泊まったホテルでサリーが、「みんないっせいに風呂にはいるぞ」といって、クラスの男子全員で輪になって湯船につかった。当時、「チン毛がはえている=恥ずかしいこと」だったから、修学旅行の前日に、ぼくは父のカミソリできれいにチン毛を剃っていた。ハゲの江藤は、そういう準備をなにもしないで、最後までタオルを手放さないでいた。事故で死んだ井川は女だったから、もちろんそこにはいなかった。
 修学旅行は仙台だった。そのとき撮った集合写真によると、伊達正宗像があるところと、日本三景のひとつとして有名な松島海岸と、ベニーランドという遊園地にいったらしいが、そのうち松島の記憶しかぼくにはない。それから二十五年ぶりにいった松島は、とにかく風がつめたかった。この場所、こことおなじ位置を、二十五年前にも踏んだかもしれないとか・・・・寒すぎて、そんなことに想いを馳せる余裕はなかった。店はどこもガラガラで、もしかしたらここに入ったかもしれないと思った土産屋に、妻が気にいるものはなかった。しかも、目的の牡蠣祭りの会場で牡蠣をたべていたら、むかいの席にすわっていたおばさんが急にたおれて、救急車をよぼうか店の人と相談したりして、要はさんざんだった。しかしそのあと、小学校の遠足できたという松島水族館へいったら、妻の機嫌はすっかりなおった。まもなく閉館するらしい館内の入口ちかくに、水族館の歴史を映した小さい写真展があって、祖母の生まれ年とおなじ、「昭和二年開館」とかかれていた。その真裏に、ペンギンのコーナーがあって、たくさんのペンギンたちが、見物客にエサをせがんで走りまわったり、水の中をもぐったりと、ごちゃごちゃしていた。一匹だけ、おそらくそこから出てきたであろう穴のほうをむいたまま、微動だにしないペンギンがいた。いや、おなじく立ったまま微動だにしないペンギンが、反対側にもう一匹いた。ソイツは壁をみていた。しばらく待っても、二匹はいっこうに動く気配はなく、それぞれ穴と壁のほうをむいたままじっとしていた。「立ったまま寝てるんじゃない?」と妻はいったが、目を閉じているようにはみえなかった。

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