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コラム・エッセイ「特筆すべき点P」(無料)

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脈絡のない思いつきを長々と書いているシリーズです。
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だと思う広告

『TVブロス』2016年8月掲載のコラムを加筆修正したものです。  最近、「だと思う広告」が気になる。  これは僕の造語で「『○○は、☓☓だと思う』という形式のキャッチコピーが使われた広告」のことだ。この説明で「ああ」と思った人は多いのではないか。誰もが一度は見たことがあるはずだ。  たとえば、タバコのポイ捨てをやめよう、という広告に、こういうキャッチコピーが付く(これは架空です)。  旅行会社の広告だと、こう(これも架空)。  こういう感じの「だと思う広告」に触れ

「叩かれても仕方がない」の巧妙さ

相手の気持ちになるとはなにか「相手の気持ちになって考えよう」というのは、子どものしつけの常套句で、大人になるまでに何度も聞かされる。 たしかに他人の気持になって考えられることは、生活上とても重要なスキルだ。しかし、それは手放しに善と言えるような能力でもない。 まず「相手の気持ちになる」とき、実態としては「自分が相手の立場だったらきっとこう思うだろう」とシミュレートしているにすぎないという大前提がある。 これは自我を仮想の他人に移植しているようなもので、考えようによっては

思想は偏っていてもまっとうでいられる

楽しくインターネットを見ていると 「私は右でも左でもなく、自分の頭で考えて中道をゆく普通の人間です」 的なことをTwitterとかの自己紹介欄に書いている人が、ちょくちょく目に入ってくる。 で、実際にその人の発言を追ってみると、ほとんどの確率で思想的にはどちらかに偏っているように見えて、えーっ となる。中道ってなんだったの、と。 これがしばらく不思議だったんだけど、もしかしたらそういう人たちは「思想」を空間的に表現することと、「人としての正しさ」を空間的に表現すること